おおゆうしゃよ なつやすみをすててしまうとはなさけない

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https://www.hogera.com/pcb/cgi/dq_str.cgi

11れんきゅうをてにいれた!

 

 

8/9 金 テトリス99(3)←括弧の中はプレイ時間

8/10 土 ゲーム購入三昧 テトリスエフェクト + BUY!! ぷよぷよテトリスドラゴンクエストビルダーズ2 + Detroit: Became Human + BUY!! 麻雀 + BUY!! Cities: Skylines(12)

8/11 日 飲み会 FGOぷよぷよテトリス(3)

8/12 月 帰省 FGOぷよぷよテトリス(6)

8/13 火 お盆 ぷよぷよテトリステトリス99(6)

8/14 水 親戚のおじさんの自慢話に付き合ったのち台風を考慮し東京に戻る ドラゴンクエストビルダーズ2(6)

8/15 木 ライジングサン一日目中止決定 テトリスエフェクト + ドラゴンクエストビルダーズ2(10)

8/16 金 ライジングサン含む北海道観光のキャンセル テトリスエフェクト + ドラゴンクエストビルダーズ2(10)

8/17 土 ドラゴンクエストビルダーズ2(10)

8/18 日 ドラゴンクエストビルダーズ2(10)

8/19 月 飲み会 ドラゴンクエストビルダーズ2(10)

 

 

82じかんげーむをぷれいした!

めのまえがまっくらになった!(じょうたい がんせいひろう)

きょむをてにいれた!

ナンバーガールがひびやおんがくどうにあらわれた!しかし ちけっとをもっていない!

なつやすみは さびしそうなかおをして さっていった

Stardust Prayer / 初音ミクオリジナル

ニコニコ動画

https://www.nicovideo.jp/watch/sm35467722

YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=bkD5AXauHWM

 

key = E / BPM = 128

主要コード : E F#m G#m A B C#m D#dim

サビ :
A A E_sus4 E * 3
B7 B7 C#m C#m

Aメロ :
A A C#m C#m
A A G#m G#m
F#m F#m G#m G#m
F#m F#m B7 B7

Bメロ :
A B A E
A B F#sus4 | G#sus4 G# |

消えないように毎日今日をなぞっている
忘れないようにチェックペンのキャップをあける

なぞっては安心して
なぞっては安心していて
赤い下敷きの向こうは
あってもなくても分からない

穏やかな毎日にひどく疲れながら
寝る前にスマホに今日の意味を聞いた
既読のついたラインも
流れていくタイムラインも
鳴り響くアラームも
朝淹れるコーヒーも

信号は青になり誰もが歩き出す
行先がないならばせめて同じでいたい

目を閉じて目を開いて僕らはずっと祈っている
目を閉じて目を開いて僕らはずっと祈っている
目を閉じて目を開いて僕らはずっと祈っているから
違う明日に連れてってくれよ

恵まれぬ子供に愛の手をと叫ぶ
学生を横目に僕は街を歩く
時々苦しく くやしくてかなしくて
それなのに何故だろう 幸せだから救われない?

信号は赤になり誰もが足を止める
どこにもいけないならせめて同じでいたい

目を閉じて目を開いて僕らはずっと祈っている
目を閉じて目を開いて僕らはずっと祈っている
目を閉じて目を開いて僕らはずっと祈っているから
せめて昨日に連れてってくれよ

いつまで気づかぬふりでいるのか
いつならまだやりなおせるか
諦めて 目を閉じて 頭上には 流れ星
水溜り 映し出す 最後の願いを

無い物ねだりの 夢追い人たちは
今でも今でも 満たされずに星を見上げる
行き場を無くした 祈りよ集まって
キラキラキラキラ 降り注げ!!

星降る夜には 誰もが祈ってる
叶わぬ願いは 燃え尽きて光り輝いて
確かに僕らの 時間を進めていくのなら
違う明日が聞こえてくるよ

さよなら 僕の 流れ星

ツイッター風紀委員長達へ捧ぐ

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 ツイッター何だか疲れちゃった。

 ニュース含めた情報収集に使っているから、流石にアカウント消すまでは行かないのだけれど、僕のiPhoneからツイッターアプリはアンインストールした。これでひどいと噂の WebUI でしか見ることはできない。まあ、見ることはできるので禁止というほどでもない。昨日のフジロック配信の感想ツイートを眺める時間は至福だった。

 が、ツイッター風紀委員長達が嫌いだ。僕らを育てた漫画やゲームでは風紀委員長は倒すべき存在だったはずだ。正しいルールを守らない人を袋叩きにして分からせるなんてことはなかったはずだ。そんな主人公に僕らはついていかないはずだ。

弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく

その音が響き渡れば ブルースは加速していく

 

TRAIN TRAIN / THE BLUE HEARTS

 やはり甲本ヒロトは天才だった。今の twitter も同じだ。何かのフラストレーションを抱えた弱いものが、正義の名の下に誰かを叩いていく。誰もが風紀委員会所属で、誰もが風紀委員長で、それぞれ告発できる相手を探している。それをひとしきり叩くことで、少しストレスが消え、そして少しのストレスを抱え、その音が響き渡ると、ブルースは加速していく。

 今朝もまだアンインストールを忘れていた iPadから twitter を見てしまった。そこで、統計学を理解せず日本語として成立しない教師のツイートをスクショして「こいつはダメだ」と晒されていた。僕も心底バカだなあと思ったが、別に彼が本当に先生かどうかもわからないし、本当に先生だったとしてここで晒し上げておけば僕の知ってる人たちの子供が救われるかというとそうでもなかった。僕がここで怒る理由は何もない。しかし、ツイッター風紀委員達の巧みな戦略で朝から怒りを覚えさせられてしまった。やはり僕も風紀委員会に所属していたようだ。簡単に乗せられてしまう。

 自分の仕事がらみのツイートはもっとダメだ。また 7pay の話で、石器時代のようなプロジェクト運営をしているツイートが流れてくると僕はご意見を表明するしかなくなるだろう。note か。note に書くならまだいい。ただ呟くだけかもしれない。一体それが当事者のブラックな職場のなんの改善になるのだろうか。インターネットで任意のサイトを見るために申請をしなければいけない会社はまあゴミだろうが、僕がゴミとつぶやいたところで何も変わらない。

 

 自分のエネルギーをもっとまともに使おう。そう思った。

 料理報告ならインスタで投稿できる。

 フジロックレポートは文章はブログで、写真はインスタで投稿できる。

 質問箱はツイッターがなくても開くことができる。

 月ノ美兎の動画はチャンネル登録してるから新作がこればすぐにわかる。

 なら僕は……ツイッターをやらなくても困らないと思う。

 

 ツイッター風紀委員会に加わることの中毒性と言ったらすごい。「僕のフォロワーだけでも、フジロックは撮影禁止だって知ってください」……風紀委員長、悪いけれど黙ってもらっていいですか。本当に止めたかったらスタッフがスマホ出してる人の前でバッテンを構えたり、アーティスト出演の合間に流す映像とかで周知したりするだろう。それをスタッフがしないということから察してほしい。去年のスクリレックスのライブでスマホ撮影をした人をつまみ出したらどうなると思う? グリーンステージから人がいなくなる。それがあなたの望み?

 そう、それが望みなのだ。もっとも中毒性の高い麻薬は大麻でもタバコでもコカインでもなく正義なのだ。最も気持ちよく酔っ払えるものが正義なのだ。正義でお互いを監視しあっていい社会が生まれるのだ。確かに、ああ、正義で人を叩くのはなんて気持ちがいいんだろう。こうしてまたフジロックの動画をツイッターにアップロードする悪の枢軸から世界は守られるのだ。すべての風紀委員達におめでとう。ありがとう。僕も、風紀委員だったんだ、昨日まで、ね。

 これで明日には僕がツイッターでつぶやいていたら笑える。でもそれはとても良いオチになるかもしれない。そう、正義とはこれほどまでに気持ちいいものなのだと、離れられないものなのだと、僕自身が身をもって示すことになるのだから。胸には風紀委員会のバッジをつけて、TRAIN TRAIN を口ずさみながら、意識の低いエンジニアを、体罰をやめない教員を、インフルエンザで出社するのが当たり前の会社を、京アニ被害者親族のふりをする狂人を、叩いて、叩いて。僕がツイッターの最後の一人になるまで、ずっと繰り返すんだ、きっと。

フジロック2019の感想「ライブ配信が始まってもブレないフジロック感」

 今年からフジロックライブ配信YouTube で始まった。海外フェスの流れからすると当たり前ではあるものの、その取り込みの早さはさすがフジロックである。僕もやはり朝11:00から中村佳穂を見る気力はなかったので(11:00とか会社に出社する時間じゃん!)、道中にライブ配信で見た。彼女の言葉は歌になる、そんなパワーを感じる素晴らしいライブだったし、それをフジロックの道中でワクワクしながら見られるなんて本当に良い時代だ。

 ライブ配信フジロックに行く客は減るだろうか。減るはずがない。ライブ配信があるからフジロックにこない人は、そもそもフジロックに来ていない。けれど、これまで興味がなかった人がフジロックの配信をチェックして「今度は現地で見たいかも」っていうのは大いに期待できる効果だ。じゃんじゃんやって欲しい。

 ついでにこのまま撮影も解禁して欲しい。今年は去年と違って撮影禁止ツイートがバズることはなかったが、このままツイッター風紀委員長たちが怒る理由をさっさと奪って欲しい。メモリアルな体験を残しておきたいと願うのは人間の自然な感情だと思う。自然な感情をルールで規制するから争いが生まれるのだ。僕は知っている。口ではルールを守れと言いながら、ツイッターにアップロードされたエルレガーデンの「風の日」の動画を見てしまった人がいることを。早く、みんなが罪悪感を感じず楽しめるようになるといい。

 やはりフジロックは特別だな、というのを一日目に入場ゲートをくぐった時になんとなく思った。山の綺麗な空気を吸い込んでかすかに聞こえる Green Stage の音楽に胸の高鳴りを感じる。ここは特別、とは様々なアーティストが口にしていた。「出演者だけが渡ることができる小さい橋」について語った ELLEGARDEN の細美さん、「まるで家みたい」と語ったクラムボンのミトさん、「音楽が好きな人がこんな山の奥でフェスをしてるってことが愛おしい」と語ったクラムボンの原田さん、「グラストンベリーより規模が小さいのがいいね」とインタビューで答えた The Chemical Brothers 。Superfly もこのフェスの特別さには感じ入るところがあるみたいで「良い緊張感がある」と評していた。

 僕もやはり大学一年生の夏に無理をして行ったフジロックの一日が忘れられない。最後に見た White Stage の Sigur Ros のステージは僕の人生でも一二を争う経験だった。大自然の中で Sæglópur(サイクロウブル:この曲の日本語読みがすらっと出てくる人はだいぶ重症な Sigur Ros 信者だと思う)を初めて聞いた時の感動は語りつくせない。

youtu.be

 今回はあまりに雨が辛く、僕も心が折れて二日目は早期退場してしまったが、それでも屋根があるステージがたくさんあればいいのにとは思わない。この時の感動は、屋根があるステージで聞いていたらなかっただろうなと思うから。今年も、クラムボンのステージはピアノの響きが雨のホワイトステージととてもあっていて泣きそうだった。泣きそうだったのは雨で体が冷え切っていたからかもしれない。

 アジカンのゴッチが言っていた。

 「誰の真似もしないで、それぞれのやり方でノってくれればいいから」

 「昔は歳をとることが怖かったけれど、豊かになったものも増えて。アジカンは変わったと思うかもしれないけれど、変わった僕らを楽しんで欲しい」

 「誰の真似もすんな 君は君でいい」とはミスチルの歌詞だが、数多のアーティストが歌い続けているからきっと死ぬほど難しい事なんだろうなと思う。そんななか、誰の真似もせずフジロックは変わらないまま、出演者が歳をとって変わっていく。それが本当に素晴らしい。その「変わらない場」の引力はまた誰かを苗場に連れてくるだろう。雨でびしょ濡れになるのは本当にしんどくて、寒い、帰りたいと何度も思うし、バスで越後湯沢駅に行くのも向かうのも本当に遠いし、たまにバスは立ちっぱなしだし、もうしんどいことばかりなのに、そのしんどさがフィルターとして機能して、そのしんどさを知っているのについ来てしまう音楽好きだけが集まる幸せなフェス、それが、フジロックだと改めて感じた三日間だった。

 

☆ 超よかった

★ 掘り出し物

 

<一日目>

中村佳穂(配信)

七尾旅人(配信)

★ JANELLE MONAE

ELLEGARDEN

The Chemical Brothers

THOM YORKE TOMORROW'S MODERN BOXES

 

<二日目>

銀杏BOYZ(配信)

JAY SOM

★ DYGL

ASIAN KUNG-FU GENERATION

clammbon

American Football(断腸の思いで配信)

 

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天気の子 感想「碇シンジが辿り着きたかったハッピーエンド」

【Amazon.co.jp限定】天気の子【特典:CDサイズカード「風たちの声」ver.付】

 新海誠監督本人が賛否両論あると思うと言っていたクライマックスの全肯定組です。これは「君の名は。」以上の最高のハッピーエンドだと思います。

 

 これまでセカイ系と呼ばれる数多の作品が、セカイと繋がってしまった彼女とセカイどちらを選ぶかという問いを投げかけてきました。この作品もその系統にあり、世界よりも彼女を選ぶという選択をします。君がいてくれれば世界はどうなってもいい。その選択をした瞬間のカタルシス。それはもう美麗すぎる映像とRADWIMPSの音楽で完璧に演出されていたのですが、この作品の素晴らしいところは更にその先を描いたことです。

 

 天気と繋がってしまった彼女が祈って天気を変えることを繰り返したことで、東京は異常気象にずっと見舞われ続けることになります。それを元に戻すためには彼女が消えなければならない。それを強引に引き止めた主人公によって東京は永遠に雨の降り続ける街になり三年が経って完全に水没してしまいます。これが彼女を選んだことに対する代償なのですが、そこに関して今回のキーマンである小栗旬が声をあてる須賀が言うのです。

 

「世界なんて元から狂ってる。自分たちが世界を変えたなんて自惚れるな」

 

 世界を変えてしまったことと思春期の感情の爆発をこの台詞で結びつけたわけです。それはお前らの勘違いだよ、世界は元から狂っていてお前たちではどうすることもできないものだったんだ。

 

 本当にそうかもしれません。実は彼女が居なくなって晴れたのは一時的なものだったかもしれない。もともと東京は水没する運命だったかもしれない。全ては青春時代が見せた妄想だったのかも。そんな煮え切らない思いを抱えながら、もう一度陽菜に会いに行くと、彼女はまた空に対して祈っている。その姿を見て帆高は思うんです。やはり僕らは世界を変えてしまって、彼女を選んだ結果が今なのだと。

 

 このラストで新海誠さんの伝えたい事がストレートに伝わってきて映画が終わった後もその余韻に浸っています。極めて冷静に世界を変えることなどできない自分を見つめながらも、思春期の感情の暴走を許して受け入れたということなのです。

 

「これは彼女と僕だけが知っている

 世界の秘密についての物語だ」

 

 CMのモノローグがそのまま伝えたいことだったわけですね。

 

 このラストは本当に優しい。御都合主義だろうと何だろうとこの優しさを僕は前面肯定します。これに対して、実際に雨しか降らない東京で被害にあった人達はどうなるんだというツッコミはここでは野暮というものです。そもそも世界は狂っているのでそれは彼らのせいではないのです。

 

 この達観した視点は新海誠さんの強い個性だと思います。他にはない。思春期の暴走をそのまま形にしていくエヴァと対極に位置する優しさ。碇くんにこの言葉をかけてくれる須賀のような大人がいればな、と考えてしまうぐらい。

 

 本作「天気の子」は、「君の名は。」と比べると更に粗が目立ち(ストーリーが少し淡々としてる分余計気になるのもあると思います。前作は展開の目まぐるしさでそれをカバーしていたので)音楽とのシンクロも前作には劣ると思います。しかし、前作にはないじわじわとくるカタルシスがあるのです。勝手に世界を変えてそれらを世界の秘密と呼んで青春の輝かしい思い出にしてしまうそんな不謹慎さを受け入れてあげたっていいじゃないですか。新海誠監督曰くの「映画は普通に言ったら世間の人に眉をひそめられてしまうような自分を表現するもの」そのものだと思います。僕はこんな世界を変えるような壮大な青春がしたかった。それをそのまま表現できたのは、君の名は。で新海監督が得た実績のおかげです。全ては無駄ではなかった。新海監督が作りたいものをそのまま作ってくれてそれはゼロ年代セカイ系に対する回答となった。あれは「僕らだけが知っている僕らだけのための物語だった」のです。

 

 追伸

 

 拳銃という分かり易過ぎる非日常のモチーフや昭和の髪型でよく分からない警察は、なんだか笑ってしまいました。まるで key 作品のようなチープさがあって、新海誠監督もゼロ年代エロゲ世代と繋がってるんだなと思わせてくれて、なんだか懐かしい。確かにこの映画、後三人ほどヒロインを足したらきっとそのままゲームにできますね。本作は多分トゥルーエンドルートでしょう。他のエンドでは別のヒロインと結ばれて陽菜は消えてしまうルートでしょうね。まあここはわかる人だけわかればよく、別に拳銃と警官が安っぽいという批評には一ミリも反論するつもりはありません。知ってる人がくすりとできる要素、ただそれだけのお話です。

 

Yahoo! 映画にも寄稿しました。 

https://movies.yahoo.co.jp/movie/366483/review/3439/

 

君の名は。」の当時の感想はこちら。

http://so-na.hatenablog.com/entry/2019/07/22/235857

君の名は。 感想「みんなの新海誠はみんなが望んだものだったのか」

君の名は。

客層

今回はご存知の通り、普段の新海誠の三倍ぐらいの宣伝が打たれていて、これまでの客層から広げようという意思をありありと感じました。実は宣伝も最初はこれまでの新海誠的なモノローグと映像だったのが、ストーリー重視のものに途中から変わりまして、意識的にやっていると思いました。

その宣伝攻勢の結果、僕の隣には中学生が座っていて「やべー髪型が決まってないよ」とか生意気なことを言ってたり(これからデートですか?)、隣にはカップルが座ったりといつもの新海誠作品と客層が違うことをありありと感じました。髪の毛が雨でボサボサになっている人が隣に座っててごめんなさい。いや、お気に入りの帽子なくしちゃってさ。。

新海誠村上春樹

僕がこの新海誠の客層の拡大に不安を覚えていたのは、彼の作家性にあります。彼は非常に村上春樹との共通点が多く、出てくる男主人公がうじうじしていて、好きって公言すると女の子に嫌われます。そして、村上春樹がその文章の柔らかさで非現実的な会話を自然にすることと同様に、新海誠はその背景の綺麗さでリアリティを柔らかくします。

ただ、村上春樹の作品で展開される物語は骨太で、世界の終わりとハードボイルドワンダーランドのメタファーに富んだやみくろとの戦いや、ねじまき鳥クロニクルノモンハンの戦争の生々しい描写があります。これが、ただの妄想作家とは評価されていない彼の今の立ち位置を決めていると思います。

しかし新海誠はまだその、批判を一蹴する骨太な部分を見つけてはいない気がしていて、それが「君の名は。」の宣伝から感じられる「ポップなストーリー」なのかと思うと違う感じがして、一抹の不安がありました。

参考(宣伝動画):


いつもの新海誠調。


ストーリー重視。ファンからすると違和感がある。

新海誠の悪いところが全て治っている序盤~中盤

しかし、それは杞憂だったと思わされるぐらい序盤と中盤は良かったです。

最初にアニメのOPみたいに主題歌とハイライトシーンを切り取った映像を挟むことで、新海誠のロマンチックな描写を一気に見せ、その後は物語中心の演出で例の綺麗すぎる背景をあくまで添え物として機能させていたこと。

入れ替わりの導入に工夫があり、最初は男の子が入れ替わって女の子として一日を過ごした部分をあえて飛ばすことで、使い古された入れ替わりというアイディアを新鮮に見せていたこと。

新海誠背景に雲が増え、雨が降りはじめる中盤からさらにすばらしく、入れ替わりに三年のタイムラグがあることが明かされ、それがすれ違いを生み、新鮮で切ない物語が語られます。

後から考えると、三年もずれて入れ替わるのに、どうして時間のズレに気づかなかったんだとツッコミたくもなりますが、見ている最中はそのことより主人公二人のすれ違いの切なさにうっとりしていました。

ちなみに、僕はツイッターにいた映画好きの方からいろいろ不穏な噂(ネタバレではない)を聞いた上で本作を見に行っており、普段より雑念にまみれながら見ていますが、中盤が終わる頃にはしっかり夢中になっていました。

「ごめんなさい、期待通りの感想は書けないかもしれない。大絶賛かも」

そんなことすら思っていました。

終盤に夢から覚めてしまう

しかし、その集中力が最後まで続かなかったのです。いや、終盤も主人公二人が三年の時間を超えて出会うシーンは素晴らしかったです。ああいう非現実的なシーンでは新海誠背景は最高にマッチし、可愛い二人の描写と相まって最高のロマンチズムを演出していました。これは新海誠の描きたかったシーンの一つの完成系と言っていいと思います。

そのあとです。二人はまた元の時間軸に戻り、入れ替わりも解消してしまいます。ここからは、現実に戻り、目の前に迫り来る災害を克服しなければならないシーン。でも主人公の女の子はここで迷ってしまいます。

「君の名前が、思い出せない」

いやいやいや、作中の友人にも突っ込まれてましたが「そんなこと言ってる場合かよ」ですよ。友人に犯罪ぎりぎりの行為をさせてまで、入れ替わりで知ることができた未来の災害からみんなを救おうとしている時に、いつまでロマンチズムを引きずっているのですか。

特に主人公の女の子が男の子に書いてもらった手の名前を確認したら「すきだ」って書いてあったシーン。ここでは野田洋次郎の甘い歌声が流れてくるんですが、

「ちがあああああああう!!!!」

と僕は劇場で叫びました。心の中で。

まあ、百歩譲って「すきだ」って書いてしまう男の子はいいです。でもそこで女の子の反応と野田洋次郎の甘い声は違うでしょ。むしろそのメッセージで「このアホオオオ」となって我に返って欲しい。目の前の災害を救うために、町長のお父さんを説得することに奮起して欲しいのです。

確かに、これは僕個人の例です。ここで特に違和感を感じなかった人もいるでしょう。しかしあえて言いますが、

ファンタジー > リアリティ(への野暮なツッコミ)

だった序盤~中盤に比べると、終盤は、

ファンタジー < リアリティ(への野暮なツッコミ)

となっており、明らかに精彩を欠いていたと思います。

街の人を助けることより予感を信じて会いに行く二人。
過去に「私も入れ替わったことあるよ」と言うのに、災害のことは信じないおばあちゃん。
大事な説得なのに、一切語られない女主人公と町長である父親とのやり取り。

いつもの新海誠作品ならばこんなに伏線を張り巡らせた緻密なストーリーを持っていないので、これでもいいのかもしれませんが、今回はきちんと曖昧にせずにストーリーを紡いでいるがゆえに、この辺りの粗が目につきやすくなっています。最後は社会人になった二人の再会シーン。

もうわかるのです、今回の新海誠ならば二人の出会いまでちゃんとやってくれるのは。きちんとポップなストーリーでハッピーに締めてくれるのは。だから、そんなにじらさなくていいのです。最後に二人が出会うシーンまで、どれだけすれ違いさせるつもりですか。

こうして、僕は最後の最後で、夢から覚めてしまったのでした。

みんなの新海誠はみんなが望んだものだったのか

まとめると、この作品の賛美は以下に集約されると思います。

「最後までリアリティが気にならずにそのロマンチズムに夢中になって見られたか。」

すでにこの映画はシン・ゴジラを超える好スタートを切っており、ツイッター上の反応も上々で、もしかしたら僕は最終的に少数派になるかもしれません。これからは、新海誠作品は、(僕含む)こじらせたオタクのものではなく、みんなに訴えかけるポップネスを持った作品として語られ、新海誠が好きだと言っても女の子に怪訝な目を向けられなくなるかもしれません。

でも、本当にそれでいいのだろうかと、僕は思います。

終盤に精彩を欠いていた部分は、彼の必然のようにも思えるのです。
彼は本作でポップなストーリーを描ききり、3.11.以降の災害をもテーマに組み込み大衆に訴えました。

けれど彼が描きたいのは最初から一貫して、男女のすれ違いから生まれるロマンチズムであり、今回もそれが主題だと思います。そうなると、丁寧に練りこまれたストーリーはそれを描くためのつじつま合わせとも言えます。

だったら。ストーリーなんて添え物で、雨の日だけ出会える女の子とか、そういうファンタジーを、美麗な背景で描き切ってもいいじゃない。「言の葉の庭」のように。そういうやり方であれば、今回の終盤のような曖昧な描写が一定のファンタジー効果を生むはず。

みんなの新海誠になること。それ自体は僕は歓迎です。けれど、「新海誠らしさを要所要所のキーとして使いつつ全体としては薄め、物語を緻密に構築する」という方向性には疑問があります。

僕の疑問については、彼の次回作の方向性が、答えを出すのかもしれません。

aurora arc / BUMP OF CHICKEN

aurora arc (初回限定盤B)(CD+BD)

僕が中学生の頃天体観測に衝撃を受けてから何年が経ったかはよく分からないけれど、BUMP OF CHICKENは、変わらずにイマというほうき星を追いかけていて、僕の音楽的嗜好は変わってど真ん中はレディオヘッドやらもう少し小難しい感じになったけれどそれでも目をそらすことができないでいる、ずっと好きでいつづけられる、そんな稀有なアーティストである。

そんな彼らは今もイマというほうき星を追いかけている。このアルバムの中核をなす曲、アリアの歌詞はまるで、天体観測の瞬間を別の視点から切り取ってさらに抽象化して純度を高めたように僕には聞こえた。

 

「笑うから鏡のように涙がこぼれたよ

一度でも心の奥が繋がった気がしたよ

冷えた手が離れた後もまだずっと熱いこと

見つけたら鏡のように見つけてくれたこと」

 

BUMP OF CHICKENのコミュニケーションは鏡から始まる。Smileという曲の歌詞をいまだに僕は覚えている。東日本大震災でいろんなアーティストがいろんな曲を歌って、僕はBUMP OF CHICKENがどんな歌を歌うのか気になっていた。彼らは決して軽はずみな希望を歌わない。好きな人や待っている人を失った人もいる。そんな時彼らは鏡の向こうに立った自分についての歌を歌ったのだ。自分を鏡に映して、笑ってみる姿を歌ったのだ。いつまでも忘れらない。

 

「心の場所を忘れた時は

鏡の中に探しに行くよ

映った人に尋ねるよ

零した言葉が冷えていた時は

拾って抱いて温め直すよ」

 

言葉の純度が高すぎて震えてしまった。何度でも僕はこの歌詞のすごさについて書きたいし、歌詞を語る時の出発点をいつもここにしたい。まるでデカルトのように思考の迷路の深淵に向かって、誕生日会を続ける時が止まったかのようなバンドを続けて、藤原基央が他の全てを留めてでも考え続けて出てきたこの歌詞の透明度といったら透けて向こうが見えそうだ。どんなひねくれ者も、ありえないぐらいひどい不幸の中にあっても、鏡の向こうの人間だけは、誰も失うことはできない。鏡の向こうにいる人間に笑いかけるという希望を完全に否定することだけはできない。

 

彼らはいつも同じことを視点を少しづつ、言葉を少しずつ変えて歌っている。シングルでも壮大だったアリアをこのアルバムで聞いた時の音の煌めきはすごかった。まるで別の曲のように聞こえてしまってシングルを聞き直すと、そこまで大きくアレンジは変わってないのに、このアルバムの中で聞くことで、まるでアルバムが旅のような役割を果たして、印象が変わったことに気づいた。鏡から始まった小さな小さな希望。それが鏡の向こうの「僕」から「君」という他者になった、応えてくれた、その眩しすぎる一瞬をこの曲は切り取った。

 

「僕らの間にはさよならが

出会った頃から育っていた」

 

そんな切なさを交えながら。

 

彼らは成長している。butterflies でのエレクトロへの接近からまたほとんど生演奏にもどったが音の粒の綺麗さと演奏のうまさは段違いだ。一曲目 aurora arcがインストなのはユグドラシル以来かもしれない。ここで、一曲目がインストのバンプのアルバムは名盤の法則を僕は提唱したい。このアルバムはほぼこれまでのシングルを並べただけでありながら、まるで一つの叙事詩のように壮大だった。最初の月虹から素晴らしい。オンリーロンリーグローリーと三ツ星カルテットと乗車権の美味しいところだけ取ったようなサウンドの切れ味がすぎる。

 

「何もいらない だってもう何も持てない

あまりにこの空っぽが 大きすぎるから」

 

二小節目の歌詞から切実さがすぎる。見えない空っぽを抱きしめたり、空っぽって言葉を何回使ってきた、そしてその度にこんなに新鮮なのはなんなんだ。

 

「あなたの言葉がいつだって あなたを探してきた」

 

Aurora より。もうほんと何なんだろう。またこうやって、気づかせてくる。僕はいつもこうして感動したものや怒りを覚えたものに文章を書きながら僕自身を探している気がしてきた。

 

「ねぇ きっと

迷子のままでも大丈夫

僕らはどこへでもいけると思う」

 

記念撮影より。この曲の歌詞だけで1時間語れる。まず記念撮影というタイトルで100点だ。切り取る景色の選び方がすごい。ねえきっと、と藤原基央は言う。少し自信なさげに、でも確かな自信を持って。迷子のままでも大丈夫。僕らはどこへでもいけると「思う」思うのだ。いける、でもなくいけ、でもなく、いけると「思う」のだ。なんて、優しい。でも、すごく信じられる。

 

butterflies も素晴らしいアルバムだったが、バンプのアルバムで素晴らしくないアルバムはこれまで聞いたことはないが、それはそれとして、最高傑作とはいえないかな、とは思っていたが、今回、バンドサウンドがあくまでメインに据えられたことの収まりの良さも含めて音楽も歌詞も過去最高の切れ味を示している気がしている。これはBUMP OF CHICKENの新たな金字塔になる気がしている。流れ星の正体を僕らは知っている。僕もバンプもお互い年を取っても受け取る気持ちは熱は何も変わらない。BUMP OF CHICKENと迷い続けられる贅沢な世代であることが何より嬉しくて泣きそうだ。ホントに。