ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い

ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)
とりあえず、ネタバレを含みます。


いやあ、しっかり終わってしまったなあ。思えば弟が「クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識 (講談社ノベルス)」という突拍子もないタイトルの本を買ってきたのが始まりだった。半ば馬鹿にしながら、読み始めたら止まらなくなった・・・そんな僕の、西尾維新との出会い。戯言シリーズとの出会い。


淋しくもあり、悲しくもあり、潔く終わってよかったっていう気持ちになる。でも、一番強いのは、「ひねくれてひねくれて、曲がって捻じ曲げて、突拍子もないスタート地点から始まったこのシリーズも、いざ終わるとなると、ありふれた場所に着いてしまったなあ」という気持ち。多分そこは、西尾さん自身も感じているんじゃないかな。哀川さんに「王道でいこうぜ、王道で。そんなところで奇ィ衒ってどうするんだよ。」「―ハッピーエンド以外は認めねえっつーの」と言わせているのも、ちょっと皮肉っぽく響いた。


伏線も、多くは抽象的な答えの示唆があるだけで、多くは投げっぱなしで終わってしまった。結局、玖渚といーちゃんの過去は?どうして妹は死んだのか?いーちゃんの本名は?といった問題の詳細は謎のまま。まあ、ミステリーと銘打ってない以上、伏線は必ずしも回収しなくていいのかもしれないけど、やっぱりここはあえて、「クビキリサイクル」の時のように、違和感を感じた部分をすべて理由付ける(まあもちろん強引もいいとこな方法なんだけど)ぐらいのことはして欲しかった。


ずっといわれ続けていた「世界の終わり」も、ようは井の中の蛙的な、その人の中だけの、閉じたものだったし。もちろん、エヴァみたいに、思いっきりマジに世界を巻き込めばいいってもんでもないけども。うーん。結局のところ、「物語のなかで『物語のおわり』を追求するというアイロニー」をやりたかっただけなのかな・・・難しい。


もっと単純に、いろいろこねくりまわしてカモフラージュした「一人の少年が少し大人になる物語」と読めば、納得できるし、分かる気もするし、キレイに終われていると思う。いーちゃんはごく自然に、気付かないくらい自然に、成長(というと軽すぎるけど)して、少し大人になった。玖渚と一緒になれたのも、素直にうれしい。そういえば、読後の後味が悪くなかった西尾維新ってこの本がはじめてかも。ただ、僕が西尾維新を読むときに期待しているものは、そこじゃなくて。それは、「クビシメロマンチスト」での、一人称の主人公が読者をだますような・・・そんな読み終わったあとに、してやられたと思うような、いい意味の後味の悪さであり、それが許されるライトノベルっぽさであり、あえてぐだぐだで自己嫌悪な「いーちゃん」を語り手としてをもってくることでのシニカルでアイロニカルなところであり、無意味ともいえる畳み掛ける戯言、言葉遊びであり・・・だから、どちらかというとストーリーを進めることに特化し、ミステリ要素、というか人を食ったような驚きという要素がイマイチ欠けていた、「ネコソギラジカル」シリーズはちょっと消化不良がいなめなかった。


と、散々文句を言ったけれど、僕は戯言シリーズが大好きだし、これからも西尾さんの著作は読み続けていくでしょう。戯言シリーズはなんだかんだで、僕の心をとりこして離さない力があるし、西尾さんはこれを代表作として、フェイドアウトしていく人じゃないと思うので。彼はどこに進むのか。いつかは、誰もたどり着いたことのないようなゴールを見つけてくれるんじゃないかな。期待、期待。あの人を食ったようなライトノベル色全開の表紙で、いつか純文学、純文学言ってるやつの鼻を明かすところを、ぜひ見てみたいなあ。


おまけ。どーでもいいけど、やっぱりイラストのtakeさんの絵は昔(局所的にいうと「サイコロジカル」かな)のがよかったなあ。今のがうまいとは思うんだけど・・・なんかイマイチ。単純に可愛くなくなったのかも。