HIGHVISION/SUPERCAR(前編)

HIGHVISION
もう、このCDは僕にとって日常だ。今まで数え切れないくらい聞いた。もう、メロディどころかどの音がどう配置され、どのタイミングで鳴るかすら覚えてしまったように思う。でも、ふと思い出したように、聞く。


このアルバムは凄くキレイだ。でもそれは、まったくの別の、夢の世界を描き出したことによるキレイさではなくて。このアルバムは「愛」に溢れてる。でもそれは、男と女と「愛してる」っていう言葉でできた当たり前の「愛」ではなくて。


「視点の違い」だと思う。例えば僕らが、街中でキスしあってる男女を見て、分かりやすい愛と少しの嫌悪感を感じている時。このアルバムは、その足元でつぶされそうになりながら、女王アリのためにえさを運んでいるアリを見て愛を感じている。その足元で踏まれそうになりながら、わたげを飛ばすタンポポに愛を見い出している。そんな感じ。一般に言われてる「愛」より、もっと素粒子レベルぐらいまで細かい「愛」。崇高な「愛」。それを見つける崇高な「ビジョン」。


だから、このアルバムを聞きながら、日常を過ごすと、なにかいつもと違うものを見ているような感覚に襲われる。それはこのアルバムの持つ景色が見えるのではない。このアルバムの音が、見えている景色の角度を少しずつ変えていくのだ。


そんなこのアルバムの持つ魔法に大きく貢献しているのが、ジュンジ君の言葉だ。ジュンジ君は、電子音主体の、大して演奏が必要の無いこのアルバムで、ナカコーのヴォーカルという「音」に、言葉をつけるという作業に全精力を注いだ。上で言ったような、「愛」を多用した言葉を。確かに、歌詞として完成度は「Futurama」のが高いかもしれない。抽象的で意味不明、言葉遊びに懲りすぎっていう否定的な意見も聞く。でもこのアルバムで歌われている言葉を、「歌詞だ」と思わずに気負わずに受け止めた時、その器の大きさに気付かないだろうか。いろんな解釈と、いろんな想像を許しつつ、それでいて、決してぶれずにただ一点を見据えている言葉だと、思わないだろうか。僕は、このアルバムで、ナカコーがジュンジ君の言葉を歌っていなかったらと思うと、ぞっとする。ナカコーの作る音世界と、僕らの距離をそっと埋めてくれる、この言葉が歌われていなかったら。


抽象的な話になってしまったが、僕はこのアルバムにそれくらいの凄みを感じている。そして、このアルバムは僕が今まで聞いてきたどのテクノとも違う。四つ打ちが多様されているが、躍らせる気はない(これはナカコーが、あるインタビューで「リズムは心臓の音に近ければいいと思った」と、言ったことからも分かる)。かといって一時期のAphex Twinのような、「自分の世界に引きこもる」ためのベットルームテクノでもない。もっと外に開けている。もちろん前衛音楽を目指してもいない。そして歌ものでもない。一つだけ確かなのは、聞いていて気持ちいい、ということ・・・ナカコーが「新しいことをやるんじゃなくて、ただ単純に、いいメロディといい音の詰まったアルバム」を目指して作ったものは、結果的に世界のどのテクノとも違う新しいテクノになったのだ。


いったいどの曲が「STOROBOLIGHT」ほどの幸せをくれるのだろう。いったいどの曲が「AOHARU YOUTH」ほど、若者の空っぽさを描いているだろう。いったいどの曲が「SILENT YARITORI」ほど耳に心地いいだろう。いったいどのアルバムに「HIGHVISION」ほどの器の広さがあるだろう。僕はこのアルバムを聞き続ける。そしてもちろん、SUPERCARの最高傑作はこの「HIGHVISION」だと思っている。