明日ということ

シンクロナイズド・ロッカーズ
the pillowsのトリビュートアルバムを借りたんです。BUMP OF CHICKENのカヴァー目当てに。そうしたら、そのバンプのカヴァーした曲「ハイブリッドレインボウ」が予想以上に良くて、何度も何度も繰り返し聞いています。メロディもいいし(なんでこのバンドはこんなに埋もれたまんまなんでしょうか・・・)歌詞がシンプルでありながら胸に迫りますね。

昨日まで選ばれなかった僕らでも 明日を待ってる

という歌詞が次のサビでは、

昨日まで選ばれなかった僕らでも 明日を持ってる

に変わってて、それがとっても格好いいなって思いました。まあ、菊次郎のブログで言われてるように、明日こそって先伸ばしにした事は、だいたい明日になってもできないもので、「明日」に必要以上に甘えちゃいけないとは思うんですけどね。バンプ「明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった」天体観測)って歌ってるし、くるり「今が昨日じゃなくて明日だということ 信じるだけなのさ」(マーチ)って歌ってます。明日なんて虚構の概念っていえばそのとおりだし。でも、この「明日」という言葉には今日起こらなかったことが起こるかもしれない、という可能性が示唆されているわけですよね。それが1%に満たないわずかな望みであろうと、もっと状況が悪くなる事だって考えられても・・・その「可能性」に人はすがって、明日を夢見るんだろうなあって思います。それはきっと悪いことじゃない。だからこそバンプも、この曲をカヴァーしたんだろうし。




そんなことを考えていると、いい加減、前に進まなきゃいけないかもって感じます。疲れてしまって、ちょっと休むつもりが、ずっと休んでしまって。気付いたら、大学一年が終わったのに、何一つ得られていないなって(もしかしたら、得ていたはずの大事なものに気付いてないのかもしれないけど)。そう思ったから。明日大学受験の人たちと一緒に、僕も前へ。何かを捨ててでも。


さてと。

もう気付いたろう 目の前のドアの鍵を 
受け取れるのは 手の中が空のときだけ

「同じドアをくぐれたら/BUMP OF CHICKEN」より