成長と喪失

昨日(から今日にかけて)は高校の頃のクラス会でした。ええ、正直なところ出費は痛かったけれども、楽しかったのでまあよかったと思います。ちょんみん、ありがとう。


ところで、そこに出席していたとある彼氏持ちの女の子が、「大学で彼氏、彼女のいない人は変態だよ」って言ってたらしいんですが・・・。そ、そうなんだ。あれ、なんだか痛いなあ。心とかが、痛いなあ。具体的には胃が、痛いなあ。


まあそれはともかく、そういえば会う人会う人に「俺、大学の一年で全然成長してない、失っただけ。」というようなニュアンスの事を言っていたんですが、よく考えたところ、「成長」と「喪失」って表裏一体ではないかな、という結論に達しました。


例えば、自分のことばっかり考えている子が、いろんな人のことにまで気が回せるようになったとしたら、きっとみんなはこの子は「成長した」と言いますよね?でも、もしかしたらその子は小説家志望で、その変化のせいで、今まで自分の世界に閉じこもることで書けていた文が、他人の評価を気にして書けなくなったりだとか。それは「喪失」とは言えませんかね?


まあ、上のは極端な例にしろ、「理想の人間性」が人それぞれである以上、簡単に自分が「喪失」したとか「成長」したとか一面的に言うものでもないなと、思ったわけです。可愛いあの子は、ちょっとわがままなところがまた好きなわけで、「成長」とか言って中途半端に僕のことを考えてくれるようになっても困るわけだ。昨日みたいに「象徴と記号の違いって何か?」を聞くために午前4時15分に、電話してくれたほうが魅力的なわけだ。


まあ、なんか村上春樹の小説の一場面と、現実がちょっとごっちゃになってしまいましたけど(どの小説か分かったあなたは凄い)、やっぱり夜中にいきなり電話かけてきちゃうような彼女もまたいいなあ・・・ただいい人なだけじゃ物足りないしね。じゃなくて成長とか、喪失とか簡単に言って悲観してばっかりなのもなんだかなあと思ったのでした。