僕が世界に一つだけの花を嫌いなわけ(後半)

前半以上に独断と偏見に彩られた意見になると思うので、この曲好きだけど前半ぐらいなら大丈夫・・・とかいう人も、もしかしたら見ないほうがいいかもしれません。


(↓覚悟はできましたか?)
オンリーワンに過剰な価値を見出して、それに甘んじている部分。


ではあくまで表現について書きましたが、結局僕が嫌いなのは、この詩の根底に流れる思想そのものなんです。とりあえず、この曲が歌う「オンリーワン」が僕にとっては、かなり胡散臭い代物。


まず、この曲では「僕らはもともと特別なオンリーワン」と言っているわけですが、これちょっぴりおかしい。僕ら(=みんな)が特別なら、それはもはや特別じゃないのでは?例えば、学校で「俺、人間だぜ」と自慢する人がいないように、みんながオンリーワンなら「俺、オンリーワンだぜ」とも誇れないんじゃないかと。まあこれは極端な話ですし、多少揚げ足取りな面がありますが、とりあえず僕が矛盾を感じていることは確かです。


加えて思い切ったことを言ってしまうと、僕らに大事なのは、オンリーワンに対する誇りよりは、自分がちっぽけな一人の人間という自覚じゃないかなとも思います。かくいう僕も、心の奥底ではでっかいことがしたいとか、何か素晴らしい才能があらわれて世界に名が残ればなあ、なんて冗談交じりにしろ考えることがあるんです。そして、そのたびに現実を見なきゃと思い、大学に通うことを続けている。これは、同じようなことが、「バカの壁」にも書いてあったんですけどね。ある程度自分の立ち位置を知ることも、冷めた考え方かもしれないけれど、重要なんだと思います。


あと、NO.1にならなくてもいい、と言い切るのもどうかなと。確かに何でも比べたがる事がよくないのは分かる。しかし最近は、比べることに関してあまりにみんな敏感になりすぎているように思う。「手をつないでみんなでゴールする徒競走」などと言うものが、平然と行なわれている世間。僕は足が遅くて徒競走が苦痛でしたけど、あのときの挫折は決して無駄ではなかったと思うし、スポーツや勉強なら、始めはNO.1を目指すべきですよ。たとえその結果が挫折であっても、NO.1を目指したということに価値ができる。はじめから、NO.1にならなくてもいいなんて宣言してしまうのは、正直逃げとしか思えません。


あとは、視点ですね。この曲にはプロセスがあまりないんです。花屋の店先のほほえましい光景から、いきなり説教へとジャンプしてる(詳しくは参照)つまり、僕の嫌いな校長先生のお話的な(上から視点な)匂いがする。説教が言いたいために、美しい例えからはじめているような。かのカート・コバーンという、それこそNO.1でありオンリーワンといって間違いないNIRVANAのヴォーカルでさえ、「IN UTERO」というアルバムの中の『RAPE ME』という曲で、

I'm not the only one.

と悲痛な声で何度も、叫んでいるんです。槇原さんよりも、明らかに僕より遠いところにいるはずのカートの、この身も蓋もない叫びのほうが、僕は共感できるのですよ。





と、好き勝手語ってきたわけですが、僕の思想の根底には、「みんなが大好きなものを好きになりたくない」というひねくれた意地があることを付け加えて・・・このColumnを締めたいと思います。では、そういうわけで。