暴言と0と1の夜

例えば、僕が物凄い暴言を吐いて、その言葉を、胃が痛くなるくらいに後悔した時。
浴びせかけた相手に対して、何ができるかどうかを考える。


その際、何か日記的な媒体(ブログやmixiなど)に、反省文を書くのは、少しまずい。
なぜなら、僕みたいに心の弱い人間にとって、自分に「反省したという証拠」を与えてしまう。
受け取った側の心の傷を考えれば、そんな文章ぐらいですっきりするのが正しいとは思えない。


同じ理由で、安易に謝るのも危険といえるだろう。
こちらがすっきりするために謝るのだとしたら、それはまぎれもない偽善だ。


だから、真摯に謝った上で、この心の煮え切らなさをそのままにしておくこと。
きっとそれくらいしか、できないのだろうな。
非常に夜らしい文章から、どうもso-naです、今晩は。



さて。



最近は木曜日の課題のために、水曜日の帰りの電車では、
パソコンの構造についての本を抱えていることが日課になったわけなのですが。
そうすると、つい思っちゃいますよね。


「あの夕陽の美しさを、0と1で表すことが果たして可能なのかどうか」



…それはともかく、今週の課題はまさに茨の道でした。
これで完璧に書けたと思ったら、パソコンがエラーを連発したり。
友達に聞いてエラーを直してもらおうとしたら、同じ文なのにエラーがでなかったり。
帰り際に、頭の良さそうな人が書いた、レポートの断片を反故紙の中から見つけて、
神様からの贈り物だとか思いながら、参考にしちゃったり。


ただ、こんなしんどい課題でも、うまく作動すると嬉しかったりするんですよ。
まあ正確にいえば、うれしさと悲しさと虚無感と達成感をまぜこぜにしたような気持ちですが。
そう、うれしさと悲しさ、愛と憎しみように、相反するはずの感情って結構共存するもので。
そう思うと、人間の感情を表す言葉って、全然足りないなあとか思います。


「この僕の気持ちを、0と1で表すことが果たして可能なのかどうか」



…どうなんでしょうね。ちょっとだけ痛々しいまま、今日はこの変で。