大学生になって、高校生とは、環境がまったくもって変わった。
僕の高校は、異端を面白いと言って受け入れてくれる傾向にあった。
大学に入ってからは、そうではなかった。異端は拒絶され、排斥される傾向にあった。
もちろん、それは傾向の話で。例外はある。
高校一年生の時に聞いた話。ある僕の友人と毎朝電車が同じで、よく話しかけてくる子がいた。
その子は、友人がまったく分からないのにも関わらず、あるゲームの話をし続けた。
もちろん、その子なりに、友人が話を分からないのは気付いていたと思う。
だから、無理やり音楽の話にもっていこうとしたが、それはゲームの主題歌だった。
そして友人は興味がないことをうまく口に出せなかったので、
僕らを使って徐々に距離を置いていった。
結局、何処でも起こっていることなのかも。
じゃあこうやって言うことにしよう。
「幸い、僕は高校で環境に恵まれ、異端の要素を含みながら拒絶されずに生きてきた」と。
ところが、大学はそこまで甘くなかった。
具体的なエピソードは省くが、僕ははっきり、団体からの拒絶という洗礼を受けた。
その影響は今もささやかに続いている。
そして、後輩の一人も拒絶を受けたことを知ってる。
大学という空間は、社会の縮図だとよく言われている。
当然、それまでよりも拒絶が起こりやすくなる。
サークルや実行委員という、生徒が生徒の上に立つという集団の存在が一因だろう。
中学や高校のように、公平な視点をもつ「先生」が居ない分、
(もちろん最近はその先生の人間のできてなさが問題になっているが、そこは置いておいて)
その運営陣の誰かに嫌われてしまったら、それがいかに理不尽な嫌われ方であろうと、
さようならだ。
そこに救いはないし、もちろんそれを議題にクラス会が起こることもない。
人間のできていない人が上に立つことによる弊害。
そして僕は、「この人には何処まで言っていいか」のラインを作り上げた。
誰彼かまわず、がむしゃらに本音をこぼすことをやめた。
今は、趣味は合わないけれど、受け入れてくれる奴らと一緒にいる。
結局何が言いたいかっていうと、何も言いたくないんだ。
拒絶する側が悪いなんて限らない。
高校時代に僕は、友人が離れたい友達から離れるのを手伝ったこともあるんだし。
僕が拒絶されたのにも、もちろん理由はあった。少しの理不尽さを思ったけれど。
ただ、ちょっとだけ疲れちゃったなってこと。
僕はいつまで蚊帳の外で入れるのかどうかも、わからないわけなんだし。
こんな時はThe Prodigyのベストを聞くんだ。
「Spitfire」のガツガツつんのめったビートで、うまく踊れないまま適当に身体を動かす。
まったく、ダンスミュージックは麻薬だよね。
…The Prodigyとか、君はまったく興味がなかったんだよね。
じゃあ、どうするの?俺を拒絶するかい?