戦場からの帰還(前編)

僕にとってPARCOとは、すなわち戦場である。
そして今日も僕は、その戦場に決死の覚悟で赴いた。



僕がどれくらい、服を買うことに関して気を揉むかといえば、
一定時間を越すと息苦しくなって、タワレコに逃げ込みCDを見たくなるぐらい、
と言えば分かるかだろうか(ちなみに一人で服を見ている時は実際にタワレコに行く)。


どうしてそんなことになるかというと、つまり僕は服について知らないからだ。
知らないものが周りにいっぱいある中、知らない店員が話しかけてくる環境。
(誰か、耳にイヤホンつけてる客に話しかけてはいけないという法律をつくってくれ)
どうしてタワレコに逃げると安心するかといえば、単純に知っているものが多いからだろう。


そして極めつけは、僕は服について中途半端に知ってしまったということ。


一年前まで、服といえば色と柄と種類(パーカーとかジャケットとか)だけだと思ってた。
ファッション雑誌なんか読まなくても、金山に歩いてる人を見れば分かると思ってた。
歩いてる人を見ながら、実際服の着こなし方なんて大して種類はないと思ってた。


でも今は、服といえばサイジング、丈、形といろんな価値基準があることを知ってしまった。
今までGパンと呼んでいたパンツが、生デニムやらブーツカットやらストレートやらダメージやら、
千差万別の見方と、種類と、呼び方があることを知ってしまった。


僕は服を見るたびに、迷い続ける。


「このパーカー、生地はどうなってるのか」
「このパーカー、ジャケットと重ね着して合うのか」
「このパーカー、フードはペラペラじゃないのか」
「このパーカー、流行が巡る中で、ずっと着ていけるのか」
「このパーカー、完璧だ。あ、高過ぎるから無理


そんなことを考えながら、生半可な知識で考えすぎるくらい考えながら、今日もまた僕は、
結局何も買えないままPARCO(「せんじょう」と読んでください)を後にするのだった。



とまあ、そういうわけで、僕はPARCOの西館にいた。
一人ではない。スーパーエンジニアと一緒だ。
彼女は、「自分の服のセンスは大したことない」とか言いながら、
「自分の着たい服」と、「ある程度の流行」をしっかりと知っている。


もうそうなると、かなり強い。店内を自由自在に飛び回ったかと思うと、
早速可愛らしい服を見つけ、適宜問題点を検討した後、試着もせずにレジに向かった。
僕はと言えば、その雄姿を目に焼き付けることしかできないのだ。
女物の店に入っているという事実に緊張して、変な立ち方をしていたら、
「普通にしてて」といわれてしまうのだ。


分かってる、ある程度ファッション雑誌を読み、街の人の格好に敏感になればいい。
一応「自分がどういう服を着たいか」だけは、それなりにあるんだから。
でも、コンビニに行くと「Spymaster」を横目に、真っ先に少年マガジンを手に取り、
さよなら絶望先生」を読んでしまうのはどうしてなんだ。


話を戻そう。




やっぱり、戻さない。続きはまた明日。