映画版デスノート(後編)から その①

今日は見よう見ようといいながら、なんだかんだで見ていなかった、映画版デスノートの後編を見に行ってきた。前編を映画で見て、なかなか面白かったので、後編も映画館で見ようと思っていたのだけど、これがとても良かった。映画終了後、エンドロールになっても立つ人はほとんどいなかった。みんな、映画の余韻を噛み締めていた。


ところで、漫画版デスノートっていうのは、捉え方によっては物凄く重い題材である「死を操れるノート」を扱いながら、どちらかというと正義とか命とかよりは、「天才達の駆け引きをスリリングに味わう」という思考バトル的な側面が強かったと僕は思う。その過程として、極めて軽くぱらぱらと人が死んでいくわけだが、それに特に感慨は抱かなかった。面白がって僕は「ライトが勝ってキラが世界征服すればいいのに」とか思ってた。


しかし、この映画には、僕が漫画でも映画の前編でも感じなかった「人の命が軽はずみに扱われていく嫌悪感」がまざまざと感じられた。それは、実写と言う強みもあるだろうし、冒頭から、緊張感のあるシーンを持ってきたこともあるだろう。目の前で本物の人間が「ぐああああ」という雄たけびを上げて心臓麻痺で死んでいく様には、目を背けたくなる。僕はいつ自分が遠くから殺されてもおかしくない状況という恐ろしさと、異常さを始めて身近に感じた。


僕はやっと、死刑囚を使った実験すら拒む夜神総一郎の気持ちを理解し、
夜神月やキラ信者達の気持ち悪さに、気が付いたのだった。


(重度のネタバレを含んだ②に続く)