世界一馬鹿な旅人に捧ぐ

あまりに暇で暇で、このまま溶けてこたつと一緒になってしまいそうだ。
やっと明日から塾のバイトが始まる。少しだけ安心する。
いや、やることなんて探せばいくらでもある。何だこの当たり前の言葉。俺の言葉か?


何が言いたかったか忘れてしまった。ブログって何を書くんだっけ。
僕もtaks君よろしくカメムシの成長日記を書くべきだろうか?


また嘘をついた。言いたいことは分かっている。分かっているんだけど。


自分の中の、自然に浮かび上がってくる感情や思考…
その中での、大雑把に言えば「汚い」部分。
それの中でも、これはまあ仕方がないと割り切れる部分と、
どうしても許せなくて目を背けたくなる部分がある。


何かしら、人と比べてしまう自分が大嫌いだ。


僕はO型だからかもしれないが(そもそもこうやって血液型で片付けてしまうのは、
馬鹿げているけれど。人間の性格が4タイプで表現できるわけなんてないのに)、
ふと何かについて自分と人を比べている、そういう自分に気付く。


♪時には誰かと比べたい 私のほうが幸せだって
globeのKEIKOのハイトーンヴォイスに、頷きながら聞き入っている自分に気付く。


友達がmixi日記に「勝ち組になりたい」って書いていて、それにイライラして×ボタンを押した後に、
そんな「勝ち組負け組みとかでしか人生を計れないお前が負け組みだよ」と、
自分が同じ方法論をとって相手を貶めていることに気付く。


おかしいな。いつもの自分だったら、そういうもんじゃんって笑い飛ばすはずなのに。
人が言わないようなことをあえて言う、ひねくれ者を演出するはずなのに。


「どうしてテストの点を他人と比べるんだい?
大事なのは過去の自分と比べて成長したかどうかじゃないかね。」


こうやって僕らを戒めた嫌われ者の理科教師がいた。僕はこう思っていた。


「あたりまえじゃないか。他人と比べなくちゃ自分の成績の位置なんか分からない」


ならば、


「どうして自分の幸せを他人と比べるんだい?
大事なのは過去の自分と比べて成長したかどうかじゃないかね。」


こうやって問われた時に、僕はどうやって答えるだろう。
成績が幸せに置き換えられただけで、根本的なことは何一つ変わっていないはずが、


「あたりまえじゃないか。他人と比べなくちゃ自分がどれくらい幸せか分からない。」
と言い切ることはどうしてもしたくない。偽善でも何でも、これだけはパスだ。


まあ結局のところ、上や下を見たらきりがないってことなんだろうけれど。
比べるものでないはずの幸せを比べるということが、すでに間違っているんだろうけれど。
フルーツバスケットに出てきた、世界一馬鹿な旅人になれればいいんだけど。
悪いやつに騙されて、自分の身体をすべてあげちゃって、それでも幸せだったあの旅人に。


理屈では分かっているのに。理論で必死に押さえつけようとしているのに。
僕の心が当たり前みたいに人を貶めて安心したり、何も分からないまま人を妬んだりして、
それをふと自覚してそんな自分が嫌になる、そんないたちごっこ。
僕はいつまで続けていけばいいの?
ねえ、いつまで続けていけばいいの?