後味の悪さランキング(西尾維新編)

毎日三時に寝ている僕の睡眠時間は大惨事で、毎朝目覚ましとの地獄絵図を描いています。
冒頭に地獄絵図という言葉を使いたかっただけです、こんばんは。
地味に「地獄絵図」は「時刻絵図」と被っていて、なんか上手いこと言った気分になりました。
深夜に勢いに任せて文章を書くというということは、これだからやめられない。


:以下西尾維新氏の著作、「不気味で素朴な囲われた世界」と、「クビシメロマンチスト」と、
新本格魔法少女りすか」の致命的なネタバレを含むので、
これから読もうかと思ってタイミングを計っている人や、
もしかしたらこれから読むかもしれない人、
勘違いしないでよ!別にこんな本に、興味なんかないんだからね!な人は、
絶対に読まないように気をつけてください。
逆に絶対に上記の本なんて読まないよ!というかたは、もう是非見てください。
本編を読む前に、僕のネタバレ文章を読んだことを後悔させてやるよ!



僕の敬愛する西尾維新氏の著作でありながら、いままでなんとなく読まずにいた
新本格魔法少女りすか」シリーズを、弟が図書館から借りてきました。
このシリーズ、弟はなんと本屋の立ち読みを繰り返して読破したらしいのだが、
今なら言える、わざわざ僕の為に図書館から借りてきてくれたのは美しい兄弟愛ではなかった!
この後味の悪さを共有させるためだ、そうに違いない!


そしてその弟の思惑通り、「新本格魔法少女りすか」を読んでみたならば、
そのあまりの後味の悪さと読んでいる時のドライブ感のせいで、
僕はまたこんな時間に文章を書くはめになりました。


単刀直入に僕が一番後味の悪さを感じた部分を言うと、
それは第二話「影あるところに光あれ。」の最後。
オチといっても良いかもしれない場面。


新本格魔法少女りすか (講談社ノベルス) [ 西尾維新 ]


商品画像をはさんで一呼吸。
なんとこの第二話で、主人公の供犠創貴君(小学五年生)は、誘拐されていた友達の少女を
「魔法の世界の知りすぎ(誘拐犯から聞いたから)で自分の目的の邪魔になる」として

殺してしまいます。しかもそのあと、ヒロインに「もう殺されてたよ」って言っちゃう冷徹ぶり。
僕は安易な救済というか、例えばリメイク版ドラクエ4にある、
デスピサロが救われる外伝――みたいなのはあまり賛成できない人間なんですが、
さすがにこの殺された少女に関しては、助けてほしいと願ってました。
次の話で名前が出てくるたびに「時間操作で生き返らないかなー」なんて思ったりして。
完全に西尾さんに頭をかき回された気分です。


そうしたら第三話は、勝ちはするものの主人公がわりと酷い目にあうストーリーで、
これ絶対僕みたいに思いっきり胸糞悪くなった人への救済だと思いましたね。
今まで読んできた小説の中で、主人公が酷い目にあって爽快になるものなんてあったっけ?


クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識 (講談社ノベルス)


というわけで、僕の中で後味悪かった本ランキングを、めでたくこの本が更新したわけですが、
西尾維新と言えば出会いの作品――「クビシメロマンチスト」もそうとう後味悪かったです。
まあこの小説のオチについて細かく説明するようなことはしませんが、
「友達だけど殺す。好きだけど殺す。これは優先順位の問題。」という言葉の暴力性には、
ピトーにくちゅくちゅされたポックルの様な気分を味わいました。
後味の悪さでは長い間不動の一位。今夜リスカの一巻に後味のひどさでは抜かされましたが、
面白さだけ見れば、今でも西尾作品で不動の一位です(化物語も捨てがたいけど)。


不気味で素朴な囲われた世界 (講談社ノベルス)


さて最後は最近読んだ「不気味で素朴な囲われた世界」。
久しぶりに「『アンチミステリ』ミステリ」な西尾節爆発で、
大どんでん返しとそれに伴う後味の悪さも備えている小説だったので、
きっと感想は絶賛ばかりだろうと思っていたところ、賛美両論でびっくりしました。
(興味ある人は、上の画像からいろんな人の感想を巡ってみてください)


僕個人としては大好きな作品です。前作「君と僕の壊れた世界」からの
言葉遊びのようなタイトルから始まって、ここまで人を食った作品が作れるのはすごい。
ただ、実は主人公が黒幕だったとはいうものの、
あまりに手を下していないからか、彼が思い描いていたミステリ小説が偶然起こったような、
そんな感じだったので後味としてはそこまでひどくなかったです。
それにしても病院坂迷路というキャラは発明だなあ。
事件の推理を話す時の長文では、いつ例のあの一言が来るかわくわくしながら読んでました。


とまあ、こうして書いてみることで後味の悪さも薄れ、
読後のドライブ感も落ち着いてきたので、そろそろ寝ることにします。



最近は、「ケータイ小説」と「ライトノベル」と「ブログ」という、
一般的に「売り上げと質が比例しない」といわれている三つの媒体について、
共通項と違いをまとめてコラムに出来たら格好良いのになあと思っているんですが、
なかなかそこまでうまくいかず、文章が形になるかどうかは不明です。


ただ、「ケータイ小説」は音楽としてのヒップポップとかダンスミュージックとか、
若者に受け年配に嫌われる、そのジャンルの可能性を広げて切り開くモノではないと思います。
むしろ文学でそういった新しいナニカを期待するのなら、
西尾維新を追いかけていったほうがよほど先があるんじゃないかな。


だって彼は、修飾の少ない短文が好まれる傾向にある今に逆行するように、
シェイクスピアを思わせるような言い回しの反復と過剰な修飾を用いて、
それでなお若者達に支持され「売り上げランキング」上位に著作をぶちこんでいるんですから。