愛しさと切なさと心強さと賞賛と非難。

http://sososo.seesaa.net/article/89969887.html
今日は曲を投稿した。
その後にこのそそそPさん*1の記事を読んだ。


新しくLogic Expressというマック用の作曲ソフトを買って、
それについていたコンプレッサーで思わぬくらいに音圧が上がり、
うひょーってテンションが上がって曲にそれをかけ、勢いで今日投稿して、
そしたら上の記事を見つけて、今の自分と比較してみて、
改めて聞いてみるとなんだか音がもっさりしているかなあと思ってへこんだ。


でもって、褒めると批判の話なのだけれど。
こうしてブログで書く文章にしても、ニコに投稿する曲にしても、
やはり見られている数が少ない場合批判されることは少ない。
あまり見られていない、ということはそれだけ嫉妬されることも少ないし、
みんなの知らないいいものを見つけたいという気持ちは誰しもが持っているので、
するといいところを見つけて、やっぱり褒めてもらえることが多い。


そしてそれは決して悪いことではなくて、
やはり最初は褒められたほうが「次」への意欲がわく。
最初一日で作った曲に嬉しいことに二ブクマついたから、もっと頑張れば、
もっと凄いことになるんじゃないか、というのは僕の話。


でも、だんだん不思議に思えてくる。俺の文章/曲って、そんなにいいのか?
そして批判が無いのがおかしなことに思えてくる。
実際それはあながち間違いではなくて、
僕もブログで一日300PVになるようになってから、
やっと非難、批判のコメントもちらほら入るようになった。
もらった瞬間は辛いのだけど、長期的に見ると悪くない気がする。
やっぱり、磨かれなきゃ。どうせ日記を書いて音楽を作るならば、いいものを作りたい。


ただ、ある友人がこうも言ってた。


「自分で作ったものを自分で見ると悪いところばかり目に付くけど、
見てくれる人や聞いてくれる人は予想以上にいいところを見つけてくれる」


これは確かにその通りで、だから、批判が入らないからって、
再生数が低いから、閲覧数が低いからみんな嘘で褒めてくれてるんだ、
と思うのもまた歪んだ話、だと思う。


だから今は批判されないことを嘆いて無理やり批判してもらうのもやっぱりおかしくて、
最初のうちは小さな輪で褒めてもらいつつも、自分で悪いところを見つけていき、
(それこそそそそPさんのブログとか、今は教科書がたくさんある)
ある一定の集客が出来るようになったら、必然的に生まれる批判コメも、
受け入れるところは素直に受け入れて、そして、
もっともっといいものが作れるようになればいいなあと思う。


やっとちらほら批判が入るようになった文章。でもまだまだ。
そしてまだまだたくさんの人に聞いてもらえるまでには至らない、先は長い長い音楽。
もっともっといいものが作れればいいのになあ。


……もちろん、今やるべき最優先な、卒論や勉強とも付き合いながら、ね。


で、最後に結局投稿した曲を自貼りしてこの記事は終わり。
まだ音楽は拙いのはわかってる。
でも僕の歌詞に絵を付けてくれたomotiさんやmikanさんのためにも、
もっとたくさんの人の目にとまってほしいんだ。


*1:初音ミクで曲を投稿している、野性のプロさん、ニコではよくある話