きのこ帝国の佐藤 千亜妃はどうして「アホくせぇ」と歌わなくなったのか

僕ぐらいになってくると自己啓発本を読む時には「あれ、やっぱりタカフミ(注:堀江貴文)も同じこと考えてたんだ、わかるー☆」とか「ニシノン(注:西野亮廣)の発言にいいね連打したい」とか「ミノワー(注:箕輪厚介)の本超わかりみが深いんだけど!?」とか思いながら読むようになる。自己啓発本を読むと心が汚れると信じている僕がおそらくこの前に自己啓発本を読んだのは、本能寺の変が隣の寺で起こり騒がしかったあの夜に睡眠導入剤のつもりで読んだ「バカの壁」だが、やはり「タケシ(注:養老孟司)も同じこと考えてたんだ」としか思わなかった。なにせ僕の家庭では旧石器時代のころから世界に一つだけの花をディスっていたからである。その頃には(多分歴史書からもすでに記述が消されているので信じてもらえないと思うが)SMAPという超人気グループがいて、アウストラロピテクス一甘いマスクの木村拓哉がまわりの類人猿を虜にしていたのだ。

バカとつき合うな

バカとつき合うな

 

 しかしこの世界において無駄なことはないとはよく言ったものだ。自己啓発本を読んでわかるのはこの世界の住民たちはいかに漫画を真面目に読まず音楽を真面目に聞いていないかということである。「死ぬこと以外かすり傷」は、仕事を引っ張るリーダーとして海賊船の船長のように(本当にこうやって書いてある)やりたいことだけ言ってあとは全て部下に任せろとか、もはや半分ぐらいONE PIECEだった。

ホリエモンは「バカと付き合うな」で「今を生きろ」と言っていたがこれはもはやBUMP OF CHICKENの天体観測で言う「今というホウキ星 君と二人追いかけている」に他ならない。「オウイェイ、アハン」という記述がなくて良かった。

そしてこれらの本に書いてあることの多くは「アカギ」と「カイジ」にも当然書いてある。福本伸行のアカギ、カイジ、ゼロ、金と銀などの多作ぶりと最近のハンチョウ、トネガワのスピンオフの好評ぶりなどまさに「多動力」で記述された生き方そのものである。なんなら堀江氏は「余計なものが付いてくるから牢屋でデトックス」なんて言っていたと「死ぬこと以外かすり傷」で書かれていたが、これは天の方の老アカギの「成功を捨てろ。人は成功に捕らわれていきている実感を失う」という姿を実践しているようですらある。

そう、僕らが読んでいる漫画もライトノベルも映画も音楽もゲームも脳死ゲーと呼ばれるスマホゲームですら、その全てには自己啓発要素が含まれている。ただただ、それに「自己啓発本」もしくは「ビジネス書」と書いていないが故に気づかない人がいるだけである。 

死ぬこと以外かすり傷

死ぬこと以外かすり傷

 

そして僕は非常に真面目なので、その多くに書かれている「自ら考えること」をそのまま実践するため、日曜日に買ってきた自己啓発本を破り捨ててたき火に放り込んだ。たき火の煙が細く長く空に舞ってその向こうにホリエモンが「よくやった」と笑っている気がした。そういえば、夕焼けを見るなんて久しぶりだな。会社の窓のない部屋からも深夜帰宅の電車から見る車窓からも夕焼けが見えたことはない。切ない。そういえば、昨日も夕焼けを見ながらそんなことを考えた気がしてきたけれど。

実際「死ぬこと以外かすり傷」の著者は(僕と異なり)不真面目に読書をする人たちに苦言を呈していた。「行動しろ」と言うと何も考えずに会社を辞める人や考えろというとずっとスマホを「にらみつける」して守備力を低下させている人を見て切なくなり、最近は「いい感じにやれ 任せる」としか言わなくなったという。

(このツイートの最初のリプライがまた面白い。まったくこの文脈を読んでない)

 

確かに僕が読んだ「バカと付き合うな」も「死ぬこと以外かすり傷」も読み物としてドライブ感があり非常に面白かった。

確かにホリエモンが「人はもともとやりたいことを持っているが、平均化と我慢を美徳とする学校教育で忘れてしまった。周りに夢を持つ人間がいれば昔を思い出せる」なんて人間賛歌をぶち上げている人だと知って新鮮だった。

確かに箕輪厚介さんの言う「意味がないしわくわくしない仕事をこなすのは僕は仕事に対して【不真面目】だと思う 」と言う言葉は心に刺さった。

 

しかし、僕がこれらの本を読み漁って得られた本当に大事な知見は、自分が寂しがり屋で構ってちゃんで暇で暇でしょうがないのだ、というあまりにも当たり前で虚しい事実だった。僕が読みふけった、ジョエル・スポルスキの本は彼女との待ち合わせで偶然見つけた本だった。僕は多分、その頃を思い出して行動してしまったのだろう。しかし因果を逆転させることはできない。本屋で本を探しても彼女はできない。

 

結局のところ、ホリエモンが正しくて、全ての人間がやりたいことを持っていたとしても、それが彼女に「ビジネス本なんて読んでないで、夕食の支度手伝ってよ」と言われることだと気づき一人暮らしの小さな部屋の片隅で泣く、僕のような矮小な人間が存在するのだ。やりたいことが世界を変えることであるなんて少数なのだ。もっと尖っていた頃の佐藤千亜妃に吐き捨てて欲しい。「阿呆くせえ」と。

フェイクワールドワンダーランド

フェイクワールドワンダーランド

 

結局最近の僕が最近得た一番の知見はビジネス書の言葉でもインフルエンサーの言葉でもなく、友人の「Pairsで出会うためには、三連休前の金曜日に登録して新着リストに載って土、日、月で相手を探す人を狙って機会を増やすことだよ」である。なるほど。これで僕も寂しい土日から解放されるのか。もう一度言おう。アホくせえ。