バーチャルさん達がごっこ遊びに留まらない理由とその危うさについての考察

 

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https://www.youtube.com/watch?v=J8PUUv4LFkQ

繋ぐ力 - ボカロと歌ってみたと生主 -

まあ、この myrmecoleon さんのつぶやきが全てなのですが、もう少し詳しく。

2007年、初音ミクというボーカロイドが注目されて、アマチュアがパソコンで作った曲がこれまでの音楽投稿サイトの10倍、100倍聞かれるという現象がおきました。スガシカオが一聴して売れる声と判断した彼女の声は、これまでの合成音声ソフトにはない萌えと少しの憂いを含んでいて、そしてその可愛らしいデザインで絵的にも映えてPVも作りやすく、ブームになりました。彼女はシンガーでありながらそこに透明性があり、これまでは小室哲哉中田ヤスタカクラスにならないと認知されなかった音楽プロデューサーが注目されやすい環境を作りました。

そしてそれは、映画のエンドロールやゲームのエンディングでしか名前を見なかった動画製作者への注目をも集めました。動画製作者そのものだけでなく、動画制作を支援する無料のソフトウェアを開発したりする技術者もいて、その人たちも認知されました。

また一方、歌ってみたと言ってボーカロイドの曲を歌うことも行われました。無機質な歌よりも生々しく感情を引き出す歌い方のほうが合う曲も確かにあり、一部の歌い手は絶大な人気を得ました。しかし、せっかく注目され始めた音楽プロデューサー個人を、また「歌:安室奈美恵 作詞・作曲:xxx」という匿名の世界に戻すような発言(「ボカロ曲は歌ってみて初めて完成する」みたいなこと)をついうっかり口に出してしまい、炎上騒ぎになったりもしました。

また一方、それを弾いてみたという形で参加する人も現れました。打ち込みギターの表現が今ひとつな作曲者の曲を完成させてやったぜ、みたいな炎上は歌ってみたほど起こらなかったのは、やはり演奏者もバンドで言えば裏方だからでしょうか。

さて、この辺りの人たちを初音ミクはその透明性で注目させる力を持っていたのですが、やはり安室奈美恵ブームが去るように、一人のボーカロイドとその後輩たちではその牽引力には限界があり、ブームは落ち着いて安定期に入りました。

それが今、VTuberによって再び集い始めました。

歌ってみたと何が違う、と言われるとそこに動く二次元/三次元アバターがいるというところが完全に違います。今時、YouTuberになろうと思ったら、スマホ一台でカメラで自分を映して動画を保存してアップロードするだけですが、アバターを介そうとするとそこに技術者の力も必要です。滑らかに体ごと動かそうと思うと企業レベルの環境が必要です。バ美肉おじさんになろうとしたらボイスチェンジャー技術が必須となります。歌は肉声ですが、存在がバーチャルなのでボーカロイド向けに書かれた歌詞とも相性がいいです。まず、ここまではボーカロイドが一度スポットライトを当てた人達。

しかし、それだけに飽き足らず、VTuberはこれまで上記の文化とは棲み分けられていた生主(配信者)そのものでもあり、二次元/三次元であるがゆえに漫画家やMAD製作者も参加し、加えて歌って踊れる美人でないともはや成り立たない声優という職業の厳しさに絶望していた声優志望女子も集まってきます。噂を聞きつけたお笑い芸人すらも。

たった一枚の動くアバターがいるだけで、これだけ間口が広がるのは恐ろしいことです。以下の動画をみてください。たったこれ一つの動画に、


【wowaka】アンノウン・マザーグース/歌ってみた【花鋏キョウ&獅子神レオナ&流石乃ルキ&流石乃ロキ】

伝説のボカロPが演奏してみた勢含めて声をかけ集ったバンドメンバーと作編曲して演奏した曲をVTuber四人が歌ってみた音声をボカロPがミックスしそれを動画製作者が絵師がデザインしたバーチャルアバターを使って動画にしている(オタク特有の早口)わけです。「おーおーおー」というコーラスの部分で四人が四つの光となって集う姿はまさにこの文化の「繋ぐ力」を象徴しているかのようで、とっても感動的です。

時を超える力 - ときのそら握手会 -

「#ときのそら会ったよ」というタグでTwitter検索してみてください。

 人気VTuberのときのそらとのイベントは、これまでのアイドル握手会文化を根本から覆すすごいものでした。この企画はclusterというバーチャルイベント空間で行われ、これまでの握手会と異なり「自分の空間に」アイドルが来てくれるのです。この方式の素晴らしいところは、まずアイドルの危険回避でしょう。握手会の握手を両手で包み込むようにするのは、片手同士の握手では引っ張られる危険があるからだそうです。これは、生身じゃないので危なくなったらログアウトするだけですみます。当然、ナイフで刺される事件も起き得ません。

そして危険性を回避するだけでなく、自分の部屋に来る、そして並んでいる他のファンたちがいないのも大きいです。どんな準備をしましょうね。美少女になって、ボイチェンの練習をし、擬似女子会みたいにするのもいいでしょう。思い出のファンアイテムの写真を紹介するのもいいでしょう。上記のツイッターのように、歌を歌ってもらっても大丈夫。

休憩もあらかじめタイムスケジュールを組んでおけば容易です。我々は待つ間並んでいないのですから。部屋で熱中症になることもないでしょう。

僕も昔、一度だけ握手会に言ったことがあります。一時の気の迷いで、リアディゾンの握手会に行きました。そこそこ緊張しましたが「#ときのそら会ったよ」にもし参加していたら、その緊張は比較にならないと思います。だって、自分が用意して待っている空間に大好きなアイドルが来るんですよ。それどこのラブコメ漫画ですか。

そして恐ろしいことに、この体験、保存できるんです。視覚と聴覚を。clusterが今どこまでのサービスをしているかは把握していないですが、当然「自分だけのアーカイブ空間」ができ、それはある過去の瞬間です。そこにさらに自分を重ね合わせれば、それは過去へのタイムトラベルじゃないですか? そう、この動画のように、タイムパラドックスは、VTuberにとって演出技法に過ぎないのです。


【本物の月ノ美兎に投票しろ!】

そしてそして、もし今後、AIがVTuberをやるようになったらどうでしょう。当時のversionのAIに、当時のデータベースを読み込ませた上で、当時の場所で、今の自分と会話することもできますね。そういえば、MacPCのバックアップ復旧システムは TimeMachine と名付けられています。バーチャルであれば、もはや時間とは移動可能なパラメータの一つなのです。そのうち「#ときのそら会ったよ」のあの空間に戻り、過去の自分を消してやり直すことだって可能になるでしょう。多分、もうすぐ。

生々しさを隠す力 - 抱える危うさ -

このVTuberの二次元/三次元アバターは、生身の人間が持つ生々しさを持たず、そして動きのトレースもまだ完璧でないがゆえに、人の想像力というクッションを挟むことができます。これを生かした動画は数え切れないぐらいあります。

バーチャルだから、女の子同士のカップリングも生々しくない!

バーチャルだから、自分は可愛いと言っても恥ずかしくない。相手を可愛いと言っても恥ずかしくない。結婚を申し込んでも恥ずかしくない。


【対決】失敗した数だけ水を飲まなければいけないHappy Glass

ゲームで負けたら水を飲むという過酷なルールでも大丈夫。だって、バーチャルだから本当に飲んでいるかどうかわからないでしょ?


みとちゃんの着衣風呂配信

着衣でお風呂に入っても服が透けないし問題ない。

 

……これらはすべて、アニメにも出た人気者たちの動画で決してアンダーグラウンドではないのですが、なんなら三番目のヒメヒナの動画は200万回も回っているのですが、ちょっと心配になります。多分、バーチャルだから、まだ倫理的な基準が追いついていないのです。そのうち、誰もがバーチャルアバターを持って生きていくような世界が来たとして、当然そこにはバーチャルとしての倫理基準が必要だと思います。

僕は「#ときのそら会ったよ」が安全だと言いましたが、実は自分で部屋を用意できる関係上、精神攻撃を行おうとする輩も参加者が増えればいずれ現れるでしょう。気持ち悪いアバターでわざと迎える、ぐらいならかわいいですが、見た瞬間にショックで倒れこむようなレイアウトにすることもできるかもしれません。

もし、ヒメヒナの負けたら水を飲む動画を生身の人間がやっていたら、そしてそれが体を張る芸人ではなく高校生の少女たちだったら、誰かが炎上させたかもしれません。委員長の着衣風呂配信は委員長だからクレイジーな後味がありますが、生身の女性YouTuberがやっている他の動画はほぼカテゴリ「エロ」です。いずれ安心安全なYouTubeを目指すGoogleに消されます。

そして、一番危ないなと思ったのは「ASMRで心音を聴かせる」という動画です。僕もファンのVTuberなので、ここからリンクを貼るのは控えておきます。女の子の心音を聴かせるというのは、現在の基準では特に問題ない範囲にも関わらず、集うコメントを見ていると完全にカテゴリ「エロ」です。そして「好きな女の子の心音を聞く」という体験は現実では彼女としかありえないところからすると、これをエロとして捉える人がいるのは仕方がないと思います。

これらの問題は生身のYouTuberであれば、直感的に危なさを察知できるのですが、バーチャルのアバターを介すことでそこに曖昧なラインが引かれ、判断力が損なわれると思います。そのグレーにあえて立ち向かう織田信姫のようなパンクロッカー的な存在ならばいいのですが、狙わずにやってしまったとしたら、それは不幸を呼び寄せかねません。

果たして、美少女アバターをまとったおじさんが、美少女アバターをまとったおじさんにスカートめくりをするのはセクハラか? それは今ではセクハラにはならないでしょう。でも、いずれそこも考えなければならないところだと思います。この辺りの議論を重ねて適切に距離を置くことで、少し自由度は減りますが、さらにVTuberは市民権を得る、そんな気がします。

まとめ

バーチャルさんたちによって、過去にインターネットで名を挙げた有志たちがジャンルを超えて繋がり、その握手会は時を超えて空間ごと保存され、一枚のアバターに守られることでできることも広がりました。今とても、一視聴者として楽しいです。けれど、そこに潜む一筋の危うさに時々不安になります。この辺りを、うまくバランスをとってもっともっとメジャーな存在になってしまえばいいなって、思いました。

バイバイ、アナログの人生

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カスタムキャストで作った美少女)

iPhoneXRに機種変してアプリ「カスタムキャスト」をダウンロードすると、いとも簡単に僕の世界は変貌した。高性能カメラ搭載のスマホの向こうの美少女が僕の瞬きと上半身の動きと口の動きを綺麗にトレースした。なるほどな、と思った。

(少し半目でだるそうなのが僕っぽくあるような気もする)

ごっこ遊びに熱中した頃を覚えているだろうか、あの頃僕らは何にでもなれた、恐竜博士にも、変身ヒーローにも、世界を滅ぼす悪役にも。その時に感じたあのワクワクする感じ、それが大人になった今鮮やかに蘇る。予言するが一年経たないうちにLINEのビデオ通話はカスタムアバターでできるようになる。もしあなたがとてもさえないカップルの片割れだったとしても、稀代の美男子と美少女のビデオ通話に早変わりだ。そう、iPhoneならね。

電脳少女シロがラジオで言っていたのだが、VTuber を続けていると、つまり、ごっこ遊びを続けていると、いずれそのキャラクターにひっぱられるのだという。ちなみにこの引っ張られるという現象は双方向であることがポイントだ。バーチャルアバター側も影響を受けて、魂の好みを反映し、世界にひとつだけの二次元キャラが生まれていく。

youtu.be

6:40ぐらいから

こういうものの先駆者はだいたいアイドルマスターだ。ちょっぴりギャル系の星井美希はなぜかおにぎりが好きだ。マカロンではない。中の人が好きだからだ。天海春香はドジっ子天然真面目キャラのはずが、どこか芸人じみた印象がある。中の人が芸人気質だからだ。こうして美少女のガワは魂の影響を受ける。もしあなたが陰キャラであれば、星井美希のように、思いっきりキラキラしたアバターを見に纏えばいい。あなたはいつのまにか現実でもキラキラして、星井美希はあなたを吸い込んで美少女が持ち得ない感性と影を獲得するだろう。もしかしたら、疲れた顔のサラリーマンしかしらない場末の居酒屋の素晴らしさも。

僕らはいつも時間に追われている。意識の高い人達は特にそうだ。キンコン西野は毎日二時間しか寝ずに、ランニング中もスマホで文書を書いている。そのせいか飲みにいくとすぐにつぶれて熟睡してしまうという。落合陽一は寝不足を続けすぎて胃がやられ、カレーをストローで吸って事なきを得ている。堀江貴文はよく寝ているが、代わりに電話を蛇蝎の如く嫌い、新幹線の席を倒していいですかと聞くとブチ切れるらしい。おおマッポーの世だ、ナムアミダブツ。

彼らは自分の時間を生きることに命をかけている。そこにおいて、現実世界の制約が彼らに課しているものの大きさは計り知れない。もし肉体がなくて、毎朝走らずとも体のコンディションを整えられ、食事をしなくてもお腹が空かず、睡眠だけが必要な脳だけな存在になれば彼らの時間はもっと増える。彼らは一刻も早く存在をデジタル化するべきだ。そこには移動コストもないし、新幹線の席を倒していいか聞いて堀江貴文の二秒もの時間を奪う人もいない。イケダハヤトは自らを概念にしたいと高知の片隅で叫んでいた。概念化し自らを複製したいのだろう。彼はいずれVTuberになる。

かくいう僕も時間に追われている。彼らからすると目眩がするほど無駄な時間を謳歌している僕も現代人の例に漏れず時間に追われているのだ。テレビは時間を拘束しないとみられないから見たくない。スマホゲームイベントの残り日数は僕をいつも憂鬱にさせる。これだけやりたいことが多い「はず」なのに、僕は朝起きた時の倦怠感、首や背中や腰の痛みに囚われ別に行きたくもないジムに通い、なるべく自炊することで体調を整えている。早く肉体を捨てたい、そんな想いは日々強くなるばかりだ。

確かに、今のバーチャルアバターはまだまだ過渡期だ。カスタムキャストは腕の動きをまだトレースしてくれない。自分の声をうまく美少女の声にボイチェンするためには発声法からトレーニングが必要だ。

しかし、それはまだ実装されていないだけだ。「ヘビーメタルはガンには効かないが、いずれ効くようになる」そう言った人がいたが、僕ならばこう言う。「VTuberは今は遊びだが、いずれ視覚だけでなく触覚や嗅覚や味覚も実装されてデジタルに住めるようになる」と。40年後のデジタルの世界を想像しよう。ディープラーニングによって漫画や小説から飛び出したAIと人間の区別はつかなくなる。僕は戦場ヶ原ひたぎと友達になり、由比ヶ浜結衣とバーベキューをして、午後は二、三時間、仕事をする。今日の相手はトヨタの役員(美少女)だ。そして愛する家族の待つ家に帰る。家は宇宙空間に位置して子供に「あれがデネブアルタイルベガ」と教え、ショップエリアには桜が咲き乱れ、食事は週に二度、楽しむためだけにする。

「それはマトリックスの世界だ、それはブリキのラビリンスの世界だ、人間はアナログを離れては生きていけない」まあまあそんな天空の城ラピュタみたいなセリフを言う前に少し落ち着いてほしい。確かに失うものもあるだろうが、そんなことを言ったら我々は縄文時代、狩りをして生の実感を得ていたあの頃から失い続けてきたのだ。相変わらず足の引っ張り合いばかりで仕事をさせてくれない日本企業はさておいて早急に帰宅し、スマホの向こうにアップロードされた動画を眺めて思う。

・麻雀を四窓同時にプレイし、溶かして固め直しただけのチョコをディスる美少女(夜桜たま)

・2D、3Dモデリングを嗜み勉強せず好きなことだけする美少女(もこ田めめめ)

ムカデ人間について語り校庭の雑草を食べ尽くし万引きをする母親の声真似がむちゃくちゃうまい美少女(月ノ美兎

・コンビニではたらくおっさんの声を発する美少女(ねこます)

縄文時代から数えて、これまでの時代に存在しなかった何かが溢れ始めている。世界は明らかに歪み始めている。スマホの向こうでは美少女になった自分が笑っている。ウィンクをするとウィンクを返してくれる。この歪みは果たして地獄か天国かはわからない、でも、深淵が僕をのぞいている。望むところだ、まだまだ、見たことのない世界が待っている。その深淵へ、ダイブしろ。

人のアバターを笑うな。そして無為な土日を笑うな。殺すぞ。

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ぼくのゴミのような土日について知りたい人がいると思えないが、もしかして人の無為な土日を収集する趣味のある奇特な人がいるかもしれないので書いてみる。

コンビニ人間を金曜日の午後に半休を取って読み、その鮮烈な現代の実存の描き方、普通こんなところまで掘り下げないだろというところを掘り下げて「普通」の人の気持ち悪さを語った小説に私は感服した。クレイジー沙耶香の異名は伊達じゃない、狂ってる。でも、もしかしたら「正常」な僕らの方が狂ってるのかもしれない。なんて思っていたら一日は終わった。

土曜日、歯医者を終わった僕は途方に暮れていた。なんか体調が悪い。何もする気が起きない。PSVRの美少女を家庭教師するゲームも、名作と言われているドラゴンクエストビルダーズも、あと歌詞をミクに打ち込むだけの曲も、名作と名高いホライゾンゼロダーンも。昨日コンビニ人間も読み終わってしまったので読む本もなく(いや、なぜ生物は死を克服できないのか、という生物学のエッセイがあったけど、ちょっと今は気分じゃない)、ベットで寝ては寝方が悪いのか首への血流が悪く余計に憂鬱になる始末。

最後の力を振り絞ってツイッターで流行っている料理研究家のりゅうじさんが勧めるエリンギの海老マヨ風と壺ニラとご飯を食べたがやはり無気力状態は変わらず、仕方がないのでアニメの中でも特に意味のないバーチャルさんは見ているを眺めて、そして、一番目立っていた月ノ美兎の動画を見てしまったのが運の尽きだった。

この子、無茶苦茶面白い。

特に面白かったのが10分で分かる月ノ美兎の三番目である。ボイスチェンジャーを使った即興芸で、多分YouTuberにとってはありふれたネタなのだろうが、彼女はそこで溢れる個性を出してきていた。テレビやネットにかじりついていないと出てこないリアルな芸。これを脚本なしでやっているというところが恐ろしい。ここに「この世において無駄なことは何一つない」というエビデンスが示されたのであった。この辺りも彼女が「インターネットの擬人化」と言われている由縁であろう。インターネットは深い深い闇であるが、時々闇の泥水をすすりながらこんな希望が生まれることがあるのだ。まったくもって大草原でございますわね。

僕は常々、人は見た目が9割という事実に嫌気がさしていた。見た目で人が選る、これはまぎれもない事実だ。別に私はそれで損をしたのは、眉毛も伸びっぱなしだった高校時代までなのだが、単純にそれで面白い人が出てこれなくなるのはとても面倒な事実だし、そもそも天使のような海外の美少女も年月を経るとオートミールがにあうおばさんになる。だからといって美魔女みたいなのも面倒くさい。金と時間をそこにつぎ込み続ける情熱が理解できないからだ。

しかし、そこに二次元アバターを介すだけでこの問題は簡単に解消できる。今、多くのおじさんが二次元美少女になって驚いている。なるほどなと、女の子たちが旅行先で自撮りをするのは、こういう理由だったのか。それはするわ。俺もしたいもの。こうして世代間格差と思われていたものは単純な見た目の違いだったことが明らかになる。年齢も何も関係ないごっこ遊びの世界では大人も子供もおねーさんも全部同じフィールドだ。人間は老人になると子供に戻るというが、そうであれば彼らがごっこ遊びに回帰するのは当然の帰結ではないだろうか。シガーロスのぽっぴぽらのMVが眼に浮かぶ。そう、われわれを縛っているのは見た目、それだけなのだ。

こうして、落合陽一がみたら、あまりの時間の浪費っぷりにめまいを起こして倒れそうな空虚な土日を経て、僕の人生の第2部は始まった、のかもしれない。

バーチャルさんは見ているを見たよ - まだまだ実験段階。この作品で諦めるのはまだ早い。

■ バーチャルさんは見ている ★★★☆☆

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https://www.nicovideo.jp/watch/sm34468072

「悲報、Vtuberアニメがあまりに酷すぎてトランプ大統領ぶち切れ」より。
こけ下ろす動画かと思いきや、最後に月ノ美兎委員長をほめるんかい!

 

昨今話題のVTuberバーチャルYouTuber、又の名をバーチャルライバー。これは、アニメと言いつつ彼女らを豪華に組み合わせた深夜コント番組風の実験的な作品と言える。第一話から内輪ネタ満載で、なおかつ脚本・構成が今ひとつなのか内輪ネタで全力で突っ走るわけでもなく中途半端な出来になっており「学芸会」「痛い」「出演者がかわいそう」などと言われAmazonは荒れている。

 

その意見に対しては概ね賛成なのだが、だが、はじめてのVTuberコント番組でタモリさんもダウンタウン中居正広もいない中で、VTuberをそれぞれプロデュースする企業も異なる中でいきなり成功というのは難しいのではないだろうか。少々みんなのVTuber地上波に関する期待が高すぎたのではないか、と感じられなくもない。

 

何も知らない僕はといえば、特に内輪ネタっぽい発言はスルーし、ぼーっと眺めている分にはそれほど問題ないアニメだった。かぐや様とか見ていると感情が忙しくなっちゃうので夕飯時とか、FGOの周回ついでとかにはこれぐらいがちょうど良かったりして、なんだかんだ最後まで見てしまったという感じであった。むしろ、この退屈さの中でも月ノ美兎委員長からなにか光るものを感じ、10分で分かる月ノ美兎*1をネットで見てしまったところから沼にハマったのだから、このアニメは少なくとも僕と言う一人を沼に誘い込むことには成功している。それだけでも、星3は硬い。大成功である。

 

VTuberに愛がある人がこれを見て辛くなってしまう、彼女たちは本当はもっと面白いのに、そう怒りを覚えて冒頭のトランプ大統領みたいになってしまうのはわかる。ヒカキンがさんま御殿に出て適当にあしらわれたのが許せないことと、似た気持ちと思う。でも逆に考えて欲しい、ヒカキンすらその存在感を示すことが未だできない地上波という別次元の媒体において、彼女らがこのアニメでこれまで触れてこなかった僕のような層に少しでもアピールできたとしたら、それは成功ではないだろうか。

 

このアニメが酷いのは出演者が面白くないからだ、という感想は文脈をある程度読める人であれば抱くことはないはずだ。今視聴者の頭の中には千差万別の「こうすればもっと面白くなった」があるのだと思う。僕にもある。委員長が中居正広的に司会をするトーク番組風に編集すればよかったんじゃないかとかね。これで諦めず、もっといろいろ実験していって欲しい。それを何度か繰り返すうちに、最後には、キズナアイ輝夜月ももじもじと遊びに来るかも、しれないよ。

 

余談

スタッフロールにブラザーPや三重の人などボカロ黎明期を動画制作で支えたメンバーを見つけて嬉しくなりました。やはりVTuberVOCALOIDが下地を作った延長の文化なのだと。

余談2

なんだかんだ言ってサブコーナー「委員長、3時です。」は結構面白かったと思う。「てーへんだ!アカリちゃん」も時々ぶっ飛んだ回答は面白かった。

余談3

いつものアマゾンレビューも。

まだまだ実験段階。この作品でアニメ進出を諦めるのはまだ早い。

*1: 初回から委員長のキャラの濃さが光る

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こんな時代だから幸せになれないとかいうのは毎晩VTuberを見ないやつの戯言に過ぎない

元ネタ:

貧乏だから野菜が食えないとかいうのは毎晩キムチ鍋を食べないやつの戯言にすぎない・冬 - 関内関外日記

競争力を失いお金がなくなった企業が使えない45の中年をリストラしたり? 富士通退職の匿名ダイアリーがバズり? 世の中はやけになったかのようにアライさんなりきりがTwitterではやり? マック赤坂が当選したり? 辛いことばかり?

俺にはわからない。俺たちにはバーチャルYouTuberがいるじゃないか。

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……

………。

バーチャルYouTuber、昔流行ったけれど今更? とお前たちは言うかもしれない。何もわかってない。そもそもわざわざ美少女3Dモデルを作ってそれを動かして動画を撮ったら、よりお金もかかるし、YouTuberの王道ネタの食べ物を食べたり商品を紹介したりもやりづらいし、ゲーム実況やラジオ配信じゃあ3Dモデルが生きないし、何の意味があるの? 俺もそう思っていたからVTuberは1年間も放っておいた。そういう時期があった。でも今は違う。それを伝えたいんだ。

人間は見た目によって、環境が変わり性格が変わる。俺やお前の3Dモデルはまあテレビ映えはしない。それに加え経年劣化もする。だから仕事やトークで面白くなるように努力するんだろう? 逆に俺が美少女だったら、多分仕事やトークで努力はしない。自分の見た目を維持するためには頑張るかもしれない。最上もが? しょこたん? あれは美少女がオタクで珍しいから売れている。新垣結衣浜辺美波トークはそんなに面白くない。

そこで人類は発明した。プロメーテウスから火をさずかって、立ち上がって歩き始めてから幾星霜、やっと次の進化の火が灯った。最近読んだコンビニ人間では「縄文時代から人間はずっと一緒」が口癖のキャラクターがいたし、Fate/Zero衛宮切嗣も「石器時代から人間の本質は変わっていない」とセイバーに吐き捨てたが、ついに、次の時代が到来したのだ。見た目を外注することができるようになったのだ。

もう気づいているだろう。お前が「今日一杯どう?」と同僚の女性社員に言うとセクハラになるのに、「今日一杯どう?」を優秀な3Dアバターが吐くと「ラブストーリーは突然に」が流れ出す現実に。しかしそれが外注でき、容易に代替可能な存在になれば、あとに残るは俺やお前の純粋な魂だ。VTuberの中の人のことは魂と呼ばれている。ついに魂だけで勝負できる時代がきたのだ。

とりあえず然るべき場所で「キズナアイ」で検索してみろ。話はそれからだ。検索したか? 適当に動画をサーフィンしたか? ならいい。

今売れているバーチャルYouTuberの四天王の五人(?)は、独特の哀愁が受けたねこまたを除き、何人ものスタッフの運営でなりたっているのが感じられてしまったかもしれない。お前は「予想通りだ、面白いが、そこまでか……?」と思ったかもしれない。だが、その反応は俺の予想通りだ。そこで冒頭の動画をクリックするのだ。

そこには、実家で、洗濯機の上にMacを乗せ、洗剤にスマホを立てかけて、中腰のまま自分の顔をバーチャルに変換し、魂の面白さだけで上り詰めた月ノ美兎がいた。雑草を食し、くだらないLINEニュースを待ち受けにし、サブカル知識に精通した彼女の魂は、新垣結衣が持ち得てはいけないものだ。世界の法則が乱れているのがわかるだろうか。

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11:57〜 トロッコ心理テスト(5人引くか、自分で切り替えて1人引くか)に対して想像もつかない回答をする月ノ美兎

 

予言するが、いずれ人間は性別や肩書きは切り替え可能になり、世界征服を成し遂げたGoogleの運営するサイトの下で国籍問わず集い、魂で話し合うようになる。だからお前の会社がなくなろうと、気にする必要はない。好きなことだけしろ。見た目は後から買える、魂だけを磨け。なんなら今のそのブラック体験を3D美少女モデルの顔に変換して配信しろ。バズるかもしれない。お前がどれだけ薄給でも、この日記を読めているなら環境は揃っている。多分。

 

 

 

 

(怒られなければ)次回はサイコパスイルカ少女「電脳少女シロ」を紹介します。

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途中のイルカの声みたいなのは、人間の声です。

その人の作品と人間性を切り離すことが僕らには可能なのか?

本当にヤバイホラーストーリー ネット地獄 (講談社コミックスなかよし)

 多くのアーティストが自分の作品と人間性を切り離すことを切望している。Travisというバンドは「The Invisible Band」で透明なバンドとして自分たちが死んでもいい曲は残ると信じたいとアルバム名に冠すほどだし、ぼくのりりっくぼうよみも似たようなことを言っていた。しかし、最近やっと気づいてきたのだが、マジョリティな人たちにとってその作品と人間性を切り離して語ることはできないらしい。

 そう言えば思い返せば、僕がある女の子と付き合った時に、僕がいかに酷い人間かアドバイスという名目で彼女に吹き込みまくり、あわよくば自分と付き合うように促すという行為に及んだ知人がいた。僕はその知人がそういう奴と伝え聞いて、内心ムカデ以下と見下しながらも別に縁を切りもせずニコニコしていた。なんならその知人はオシャレだったので服を買ったりもしていたのだ。適当に服を褒めると彼は古着への熱い想いを語り始めたのだが、僕はムカデがなんか喋ってるなーと思っていた。

 それを友達に語ると「怖い」と本気で怖れられた。でも、僕はムカデが服を着ていてそれがオシャレだと思ったら、服を単独で評価できたのである。なるほど、今文章にしてみるとこれはどう考えてもマイノリティな人間性かもしれない。

 ある日、大好きなアーティストの You Tube をのぞいていたら、最新のコメントで「このアーティストは昔、インタビューでいじめを容認するような発言をしている。このアーティストを聞くのはやめろ」なんて書いてあって、本気でうんざりしたことがある。僕はこのようなインターネットの地獄を見つけるとその奥まで踏み込みたくなる性質なので「アーティスト名 いじめ」で検索すると、そのアーティストを聞くのはやめろ、聞いているならば、人として終わっている、むしろ過去を知らなくても本物の音楽を知っている人間は必ずこのアーティストの薄っぺらさを看過するだろうぐらいの勢いで声高に主張するブログと、賛同するコメントたちが目についた。

 「この人の音楽性からもゲスさが伺えますね」

 なんてコメントもあった。これを冷静に論破するのであれば、こじつければ音楽性とゲスさを関連させることなどひどく容易である。清廉潔白な曲を作るアーティストならば「こういう一面的な希望しか歌えない薄っぺらさから人間性の薄っぺらさが見て取れる」と言えるし、ゲスな歌を歌っている乙女であれば「その名の通りやっぱりゲスな人間性だよね」と言えるのである。誰でも当たっていると思う「今日の占いカウントダウン」と同じ手法だ。

 しかも、しかもだ。もし僕がいじめられっ子だった場合、このアーティストについて You Tube でわざわざ「こいつはいじめっこ、こいつの音楽を聞いてはいけない」なんて書いてない方が、トラウマを刺激されず心おだやかにいられると思う。しかし、このコメンターはゲスな人間が作った音楽を背景を知らずに好きになってしまう(本物の音楽を知らない)不幸な人間を救いたいと思って書いているのだ。IFルートでいじめられっ子だった僕が間違った音楽に惹かれないように導いてくれているのだ。大きなお世話だ。こうして、インターネットにまた一つ、誰も幸せにならない小さな地獄が生まれていく。正義の名のものに、ね。

 このような最低な正義感の発露に貢献するパターンに対する嫌悪感も後押しした上で、やはり僕はその人の作品と人間性は切り離していきたいし、僕のこのマイノリティな感性は多様性の名の下、守られるべきだと思う。同様に、おそらくマジョリティと思われるその人の作品と人間性を同列に語る人たちの感性も守られねばならない。わかっている、わかっているんだが、そのマジョリティの中の一部の人間があまりに嫌いすぎて、ふと思い出してこんな文章を書いてしまっている僕がいる。あわよくば、マジョリティの一部がマイノリティな感性に変わらないかと欲を出してしまっている。わざわざブログを書いたり You Tube にコメントする人なんて一部で、その集団の代表でもなんでもないのに。多くの人はベッキー騒動でゲスの極み乙女を聞かなくなり、関ジャムに出演していたら違うチャンネルに回すだけの無害さだというのに。

 そうして気が付いた。なるほど、こうして僕は人間性で選ることで良い音楽や絵や本に出会う可能性を狭める不幸な人間を救いたいという大きなお世話を働いてしまった。深淵が僕を覗き返している。ヘイトにヘイトが連鎖していき、インターネットの地獄に今僕は加担した。

 その人の作品と人間性を切り離すことが僕らには可能なのか? ある人には可能で、ある人には絶対に不可能だ。しかし、インターネットの地獄に加担するのは、多様性を犯すのは、誰だって可能なのかもしれない。ダークな内容すぎたね、ごめんね。

wowakaさんが繋いだもの、繋がっていくもの。

僕の超ざっくり理解で言うならば、音楽の進化というのは常に「今まで手が出せなかった人が手を出せるようになる」という価値観の転換によるものだと思うのです。

 

クラシック

こんな沢山の楽器で編曲できねーよ。ギター、ベース、ドラムで十分だろ。

ロック

コードなんて三つ覚えれば十分だろ。

パンク

歌歌えないけど他の歌のカッコいいとこ切り出してループして早口乗せればよくね?

ラップ

 

そしてこの変化が起きる時には、古い人達から「こんなの音楽じゃない」と言われることが常であり、逆にいえば「こんなの音楽じゃない」と言われ始めた時が音楽の進化する時だったりします。日本でラップが流行り始めた時を思い出してください。あの頃ドヤ顔で「ラップは音楽じゃない」と言ってた方々、元気ですか? なんちゃって。

 

そこで、ボーカロイドです。黎明期、ただの楽器であるボーカロイドも「こんなのは音楽じゃない」「歌ってみたの前の仮歌」などと言われて、その都度炎上したりしていました。そういう意味で、ボーカロイドは確かに音楽の進化の一つだったのだと思うのです。つまり、矢印の続きはこうなります。

 

ラップ

→歌も歌えない! 早口も下手! PC一台で初音ミク使えばよくね?

ボカロ

 

こうしてボカロ曲は一つのジャンルとして成り立つことになりました。VOCALOIDは所詮楽器なんですけれど、楽器が一つのジャンルを作ることはわりとあることなので大して驚くことではないのです。シンセサイザーがなかったらテクノはないわけで。

 

しかし、思い返せばこのジャンルにおいて、ロックの焦燥感を初音ミクの無機質なボーカルで表現することに成功した人は少なかったと思います。単純にロックとして完成度の高い曲を投稿する人はいました。ryo(supercellさんの「恋は戦争*1」、梨元ういさんの「ペテン師が笑う頃に*2」、などなど。でもそれは、ボカロが最適解、という曲かと言われるとちょっと疑問符がつくものだったように思います。

 

そこで出てきたのが現実逃避Pことwowakaさん、曲を重ねるごとにちらほら話題に上がっていた彼は「とおせんぼ」からの「裏表ラバーズ」で完全に有名ボカロPに成り上がりました。彼の曲の構造は非常に分かりやすく、BPM早めのチープな電子音やピアノで構成される一小節のループをひたすら繰り返して、そこに低音を思いっきりカットしたミクの声を乗せるスタイル。

 

ポイントは二点。
・繰り返しが多く、構造が理解しやすいこと
・リズムが性急すぎてライブハウスやクラブ向きでないこと 

 

前者は、なんか僕でも作れそう、となって爆発的なフォロワーを生みます(ちなみに、作れないので安心してください)。そして後者は、すなわちPCの前でイヤフォンをして全身を貧乏ゆすりするのに最適なリズムなのです。引きこもりの僕らにぴったり! 音楽の進化においてよくある、聞き手の環境に最適化した進化ですね。千本桜なども、平坦な連打が「針金のようなドラム」と揶揄されたりしましたが、ライブハウスで体を揺らして聞く想定がそもそも間違っている。当時のしょぼいサウンドカードのPCもしくはスマホで貧乏ゆすりするためのリズムからすると最適解だったのです。

 

これ以降、このスタイルはボーカロイドによるロックのテンプレという枠を越え「ボカロっぽさ」として周知されることになります。Last Note.さんの「セツナトリップ*3」、日向電工さんの「ブリキノダンス*4」、Neruさんの「ロストワンの号哭*5」、トーマさんの「バビロン*6」、といったそれ以降のヒット曲において、wowakaさんが影響を与えていることは間違いないと言っていいと思います。

 

そして、僕個人としてエポックメイキング的な作品であるのが「ローリンガール」。この曲はボカロっぽい作風の完成形だけでなく、ナンバーガールから続く文系ロックの文脈も持っている曲であり、僕が初めてこの曲を聴いた時の衝撃といったら、言葉にできないレベルです。今でも鮮明に思い出せます。

少女というモチーフ。
歌詞全体から漂う生き急ぐ感じ。
ピアノ主体のリフと感情のないミクの声が生む焦燥感。

 

ここで僕が死ぬほど聴いていたNUMBER GIRLの文脈に続く曲がボーカロイドに現れ、点が線として繋がったのです。絵にするとこんな感じ。

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高速ボカロックの曲たち単体で見ると、NUMBER GIRLからの線がつながらず、この絵が描けないことがポイントです。前述したwowakaさん以降のヒット曲たちからは、NUMBER GIRLの匂いは感じられない。けれど、wowakaさんがいることでロックの文脈として繋がるのです。

 

ちなみに、ロッキンユーという漫画でも、この音楽の影響の流れは明確に提示されています。「透明少女」を部活動紹介で轟音で鳴らす先輩。そして次の校内ゲリラライブは「ワールズエンド・ダンスホール」。この展開が偶然とは思えない。

 

shonenjumpplus.com

ワールズエンド・ダンスホールは3話です。無料で読めない。すまない)

 

どうでもいい僕の話ですが、僕はBUMP OF CHICKENからロックに入り、そこからくるりスーパーカーナンバーガールにどっぷり浸かるという灰色の青春時代を送った人間の辿る文系ロックの王道ルートをなぞってきました。米津玄師がバンプ好きを公言しているように、バンプの影響はそこかしこに溢れています。ボカロの物語性のある歌詞もその一つ。バンドリの愛美もバンプが原体験だったはず。しかし、邦楽ロックで凛として時雨アジカン椎名林檎が影響を公言し心酔しているナンバーガールの系列がボカロに出力されないのが物足りなかったのです。そして、ずっと待っていたそれは最高の形でwowaka氏からアウトプットされたのです。

 

ローリンガールという曲は、PC一台で、自らの声という「感情を最も表現する楽器」を封印して、それでもNUMBER GIRLの奏でた焦燥感を鮮やかに鳴らせるということを証明した曲でした。wowakaさんはこうして、PC一台でロックの歴史の一つの線を繋げ、ワールズエンド・ダンスホールにてそれを締めくくったのです。PCの前で貧乏ゆすりしながら踊ったっていいじゃない、と。

 

そして早々にロックの焦燥感を無機物に乗せることに成功した彼は、ヒトリエでそれに肉体性を再度復活させる試みをして、そこでも成功を収めました。今や邦楽バンドの一つの登竜門となったアニメのテーマソングにも取り上げられ、これからさらに羽ばたく、そんな時に。

 

しかし、これまで語った通り、彼はここ数年で一人が成し遂げたとは到底思えないレベルの影響を与えたんだと思います。これで肉体性に回帰してさらに無敵になり、米津玄師と同じようにお茶の間で話題になる姿が見られなかったのが残念ですが、別にお茶の間に知られなくたって、すでに多くの人の心に刺さり、過去の邦楽ロック(文系側)とボカロを一本の線でつなぎ、数多のフォロワーを産んだという点においては、すでに米津玄師に勝るとも劣らない影響力と言って差し支えないでしょう。その影響力が偉大だからこそ彼の訃報が受け止められない人がたくさんいて、僕もその一人なのですが、ファンとしてただ語りたかったので気持ちが整理できないまま語ったのがこの文章です。

 

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もし、もしも、初音ミクという概念が、形となってこの世界のどこかに存在すると仮定したなら、彼女がロックのステージをする時には、wowakaさんの曲が選ばれて、初音ミクの隣でwowakaさんがギターを弾くことになるんだと思います。きっとね。

 

 

 

 

*1:リズムはヒップホップっぽくもあり。

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*2:ミクが歌うと少しダークで怖いのだが、格好つけて歌うとビジュアル系っぽくもなる曲。

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*3:ドラムがリフとユニゾンしていてリズム隊というより感情の発露みたく聞こえる。

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*4:wowakaさんの別名義みたく言われていたりしたけれど、歌詞の書き方が全然違う。言葉遊びが面白い。

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*5:わかりやすくも衝撃的な歌詞とあまりにキャッチーなメロディで大ヒットしました。

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*6:ハチさんの影響も受けた感じがする世界観重視の高速ボカロック。

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