僕が世界に一つだけの花を嫌いなわけ(前半)

どこぞの「後世に残したい曲ランキング」で親達が一位に選んだという、超メジャーなこの曲。
あえてso-naはこの曲に戦いを挑みます。


(この曲が好きな人、今日の記事はスルーしてね。読みたい人のみ↓)


具体的に言えば、僕がこの曲で嫌いなものはSMAPでもなければ、メロディでもない(まあ地味かつ特に美しいとも思わないメロディですが、嫌いになる理由になるほど悪くはない)。「歌詞」・・・これに尽きます。では、何故この歌詞が嫌いなのか。ポイントは二つ。


直接的で説教くさい。
とりあえず冒頭部分から順に見ていきましょう。

花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
人それぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね

状況説明部分ですね。ここをとやかくいうつもりはないです。

この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで
ガラスの中誇らしげに しゃんと胸をはっている

次の部分。ここはむしろいい部分だと思います。「ガラスの中誇らしげに しゃんと胸をはっている」・・・可愛らしくて、微笑ましい景色が浮かんできます。が、しかし問題は次の部分なんですね。ここまでで作り上げたいい雰囲気をぶち壊すフレーズが、挿入させるのです。

それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?

あー、やっちゃいました。説明しちゃいました。せっかく冒頭から丁寧に作り上げてきた世界観を壊しちゃって説教モードに入っちゃいました。これでこの歌詞のロマンチックな部分がなくなっちゃいました。そもそも歌詞っていうものは、その懐の広さが素晴らしいと思うんですよね。人それぞれ感じるものが少しずつ違う、けれどそこには共通する芯みたいなものがあってそれを共有する・・・それが素晴らしいと。


このフレーズでしてしまったことを例えるなら、前のフレーズでうまく比喩や象徴を駆使して、好きな女の子とメールすることを何となく匂わせておいて、サビで「あの部分は 俺が 好きな子と メールをする気持ちを 格好つけて表現したのさ」とか歌っちゃうようなもの。ぶち壊しです。一気に解釈の幅を狭め、受け手に一つの理解を強要している。


別に槇原さんの歌詞がみんなそうではないですよ。しかしこの歌に限っては、「みんなのうた」を意識するあまり、こういう説明フレーズをいれてしまったんですね。残念な話です。


あ、ちなみに二番からは、そこまでぶち壊しなフレーズは出てきません。サビでの「NO.1にならなくてもいい もともと特別なオンリーワン」については、いろいろ言いたいことがあるんですが、それはで語ります。今日はこの辺にしておこう。


では、一応「何故嫌いか」のメインである、後半の批評をお楽しみに。そうだな、予告タイトルは「オンリーワンの落とし穴」とでもしておこう。