映画「A.I.」を交えた科学論

ちょうど、大学のレポートで、

科学者(科学技術)が登場する映画、アニメ、小説などを一つ取り上げ、分析せよ

という、素敵な課題が出たので、それをここにも転載してみようと思います。
今回取り上げた映画は「A.I.」。
本当は「2001年宇宙の旅」がよかったかなとも思ったんですが、
講義の始めに講師が導入として使ったので書きにくい。
ここは、友達と見に行った時に、誰一人泣かない中、
一人でボロ泣きした思い出深い映画であるこれを、あえてピックアップしてみました。
あんまり評判のよくない映画とは分かっているんですけど、
僕は不器用なモノとか、無機質なモノとか、純粋さとかに弱いんですね。
しかしこの映画を、キューブリックが撮ったらどうなっていたのでしょうか。
(実際、これはキューブリックスピルバーグに「『君のが適役だ』と頼んだ」映画)


さて、続きを読む前に一言。
僕は世の中のすべての科学者は、社会で倫理を選択し、
学んでから研究すべきだと思っています。


それでは、レポートをお楽しみください。
A.I. [DVD]
A.I.』(2001)
監督 スティーブン・スピルバーグ


これは、かなり特殊な映画だ。まず、主人公がロボットである。そして、観客が人間ではなく、そのロボットに感情移入するように作られているというところだ。現代からかなり遠い未来に、初めて「愛」をプログラムされたロボット、デイビット。彼はとある夫妻にあずけられる。しかし、彼はロボットゆえ、歳月を重ねても成長しない。そんな問題がどんどん露呈していき、デイビットは、ついに捨てられる。


そこから彼は、本当のお母さんを探しに旅をしていくわけだが、その道中、彼に優しくしてくれるのはやっぱりロボットなのである。科学技術を駆使して、人間の手によって生まれたはずのロボットが、人間の手によって迫害されていく様。これは、「科学技術」というものの懐の大きさを掴みきれないままに「科学技術」をどんどん進めていった人間が、自らの作り上げたものを処理できないでいる状況である。現代の核兵器問題(作ったはいいけれど、莫大なコストがかかるため壊せない)といった事柄にも繋がるものがある。


また、前述したようにこの作品では、ロボットが優しい。未来を舞台にしたSFには、ロボットの反乱を描くものが多いように思えるのだが、この作品はむしろ、逆だ。人間が失くしてしまいつつある純朴な「愛」を、変わりに受け持つような存在として描かれている。これは科学技術の新たな可能性を肯定的に示唆しているのだろうか?しかし、ロボットが愛をもって、僕ら人間が愛を失うなんて本末転倒もはなはだしい。やはり僕は、この、感情すらも科学で得ようとするような、過度の科学への依存を皮肉っていると感じる。


ただ、それだけではない。行き過ぎた技術で、感情を持ってしまったロボットを慈しむ態度も、この作品からは感じられるのだ。越えてはならないはずだった、感情の機械化という一線を越えた産物として生まれたデイビット。彼が主人公として僕らの涙腺を揺さぶるというこの映画では、科学技術に対して、一面的な否定でも肯定でもない、一歩引いた目線からの、多面的な姿勢を感じられる。だから僕はこの作品がなんとも言えず好きなのだ。


簡単に批判するのはたやすい。盲目的に信じるのもたやすい。だが、それではいけない。もう科学技術とは切っても切れない関係になった現代に必要なのは、もう一度科学技術を多面的に、そして冷静に見る目だと考える。そして、それを少しの涙とともに教えてくれるこの映画を、たくさんの人に見てもらいたいと思う。