The Catcher in the Ryeに影響を受けた文章

人の幸せとは、えてして素直に祝いがたいものである。
それは時に、自分自身が幸せなときにすら適応される真理である。


と、こうした出だしから文章が始まったとしようか。
すると賢明で健全な君は、苦虫を噛み潰したような顔でこうつぶやくかもしれない。
「僕はそんなことはない!人の幸せは素直に祝い、友達に女の子を紹介し、
毎日のように惚気ブログを読み漁っている」
確かにそれも一つの意見だろうし、それを嘘だと断定することはできない。
だかしかし、僕がこの媒体を使って呼びかけているのは、残念ながら君だけではない。
すると僕が、ある程度一般的な意見を断定口調で書くことを理解できないだろうか。
そこは、ぐっと堪えて読み進めてみて欲しい。


そもそも、今僕は哲学を語るつもりはない。
すると一見無意味に見える「人の幸せは祝いがたい」という一文に、
最終的に意味が添えられるという展開が容易に予想できないだろうか。
そして、それを君が頭に置いたところで、僕はさらなる暴挙に出ようと思う。


僕はこれから、一番伝えたいことを一文だけ書く。
そこには、僕の感情や僕の意見は一切含まれていない。
修飾を拒否し、純粋な事実だけを述べることにする。
何故そんなことをするのか、今のところ僕しか知らない。
しかし、僕の感情や意見が、一切の修飾のない文章から伝わることに、
僕は半ば盲目的な確信を持っている。それでは行こうか。




taks君が彼女といるところを、大学の最寄り駅で見ました。