何処かで誰かが書いている

オンリーワンになることはすこぶる大変だ。
僕が今ぷっつりと大学に行くのをやめたところで、ひねくれ毒舌キャラが一人いなくなるだけ。
僕らはもともと特別なオンリーワンなんてことはなく、
仮にオンリーワンという称号が欲しいとしたら、それこそナンバーワンになるに匹敵する
努力と根性と才能が必要になるのは必至だ。


これを例えることはひどく簡単だ。例えばクリスマス。
この時期になると、笑いを目指すブログを書いている人は、
どれだけ面白くクリスマスを皮肉れるかということに全身全霊をかける。
一例を挙げてみるとこんな感じ。


今年からクリスマスは中止になりました。
サンタクロースは住居不法侵入罪ですよね。
私、仏教徒だから(このあと、日本の「何でも祝う節操のない風習」批判に展開)。


そして、自分的にたいそう面白く、最高傑作ともいえるだろう記事を書き上げ、
軽やかに更新ボタンをクリックしたところで、あなたは驚くことになる。
あれ、この人のブログと僕のブログ、ほぼ同じ文章を書いてんじゃんと。
えびちゃん系のファッションしてる女の子達ぐらい、見分けがつかないじゃんと。


こういう事実に気がつくと、人はそこから抜け出したくなる。
去年、「今年のクリスマスには囚人が出所するそうです」という、
ひねりもない、皮肉もない、笑いもない、高揚感もない、
多分ぐぐれば同じようなこと書いている人が、一万人ぐらい居そうなことを言った僕。
今年こそはと意気込んで、「いっちぬーけた」といわんばかりに、
こんな「クリスマス考察」の考察を書いている僕だが、
多分どこかに似たような考察をしている人はいるだろう。


そう、僕はオンリーワンにはなれなかった。やっぱり無理だったよ。
僕は力不足なんだ。天皇誕生日イブ(R18)とか、そういう気の利いた皮肉はできなかったよ。


ただ、ここで僕は思い出す。
人にはオンリーワンになりたい時と、みんなと同じになりたい時が共にあるということを。
そして僕は今、圧倒的に後者なのだ。
高校一年の夏、国語の授業中に、人生目標は何かと聞かれて
「人に合わせることです」と言って、大爆笑をもらった僕。
そのひと夏のささやかな願いが今…


クリスマスイブ、僕はトレンチコートにシャツにネクタイという、
多分同じようなコーディネートの人が十万人ぐらいいる服装をして、街を歩き、
世界の背景の一部と成り果てるだろう。


でもそれでいい時がある、それがいい時がある。
メリークリスマス。