夜の駅の構内から一歩外に踏み出せば、いつだって聞こえてくる。
アコースティックギターの乾いた音、派手な四つ打ちのビート。
そこでは、歌ったり踊ったりして、たくさんの人が自己表現をしている。
彼女は僕の手を取ってその合間を抜けていき、
スーツ姿でくせっ毛でアコギを抱えたお兄さんが、よく見える位置の壁にもたれて一息ついた。
すると、タイミングを見計らったかのように、彼は女性のような甲高い声で歌い始める。
「実際、この中にはプロになって街中で歌声が流れていてもおかしくない人も居るよね。
きっと、運が足りなかったんだろうな。」
彼女が知ったような口で言う。
「そうかな。やっぱりすごい才能って言うのは、自然と世間に出て行くものだと思うけど。」
僕が知ったような口でそれに答える。
この場所にいる、あの人もあの人もみんな「自分こそがすごい」と思いながら、
声を絞って歌っているんだろうか。それとも、ただ自己表現が好きなだけだろうか。
……なぜだろう、だんだんと気持ちが沈んでいくのを感じる。
そういえば彼女も、持ちかけてくる話題が、なんというか――暗い。
「私って、おかしいと思う?」
ねえ、おかしいとか普通とか、そういうのは僕にはよく分からないよ。
そもそも、世界が狂っていたら、普通こそがもっとも狂っているのかもしれないだろう?
そんな不毛な話題を思い返しながら、僕は電車に揺られていた。
iPodからは久しぶりにミッシェル。手には「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」。
図書館のお姉さんと寝る、なんともエロティックな場面だったのだが、
僕はその場面を想像することもなく、すぐにまどろみの中に落ちていった。
すると不思議なことに、僕は夢の中でも電車に乗っていた。
いや、僕はまだ眠っていないのかもしれない。ミッシェルの二曲目も耳元で鳴り続けている。
浅い眠りと覚醒の間なのだろうか、音楽は鳴り止まない。
しかし、三曲目の「世界の終わり」に差し掛かった瞬間、パチン、
僕は塗りつぶされた黒の中にダイブしていき、気がつくと彼女が手を握って先を歩いていた。
あの、張りぼての町がそこにあった。
僕は少し強引に手を引いて進んでいる道から外れ、適当な家に手を触れてみた。
プラスチックのような触りごこちを期待したのだが、この質感は、紛れもなくコンクリートだ。
おかしいな、張りぼてだと思ったのに。これじゃあ、本物じゃないか。
そして僕はまた気がついた。きっかけは分からないけれど、確かに気がついたのだ。
この家の中には人がいない。それも一時的ではなく、かなりの長い間。
そうでなければ、こんな風に存在感が一枚の板のようにぺらぺらに感じられるわけがない。
そういえば、車道には一台も車が走っていない。
このよく知っているはずの町には、住んでいるはずの人達が欠如している。
……彼女がまた、僕の手を引っ張って、早足でどこかに向かって歩いていった。
目が覚めると、電車はもう乗り換えの駅にたどり着いていて、僕は慌てて電車から降りた。