日記19

僕は全てを知ってしまった。これからそれについて書く。


悲しいことに、僕らの世界はもう終わっている。五年前、地球に小さな隕石が落ちたからだ。
しかし、それが直接地球を滅ぼしたわけではない。
隕石は大気圏を抜けた時には直径50cm足らずだったし、誰もいない島の真ん中に落ちた。
一部の科学者と一部のマニア以外には相手にもされなかった。


だが、二年後に研究に関わった科学者達が急死して、状況は一変する。
小さな隕石は、もっともっと小さなウィルスを運んできていたのだ。
そのウィルスは、じわじわと人間の血液をのっとっていき、やがて殺してしまう。


世界はその時から、即座に行動を起こした。
各国の優秀な医者や科学者達が、こぞって研究に研究を重ね、ワクチンを開発しようとした。
幸いなことに、サンプルは吐いて捨てるほどあった。
二年の間に世界中にウィルスは広がっていて、ほぼ全ての人類が感染していたからだ。


やがて一年がたって、どの研究者もさじをなげた。彼らの必死の研究がもたらした成果は、
あと一年以内に感染者の99.9%が死に至るという残酷な事実だけだった。
もちろん、99.9%ということは、0.1%の例外がいるということである。
血液に、生まれながらにしてある特殊な成分を含む人間のみ、
(それは1000人に一人の割合で存在する)
そのウィルスと共存して、生きていくことができる。


だが、1000人に1人というのは、希望にするにはあまりに小さな確率だった。


やがて一年がたち、ウィルスは0.1%の人間以外を全て葬り去っていた。
残った人々のほとんどは大事な人々を失って、生きる気力をなくしていた。
このままでは世界はゆっくりと自殺してしまうだろう。誰もがそれを疑わなかった。



そんな状況の中、ある小さな国のプログラマー達が画期的な一つのツールを開発した。
彼らは、終わった後の世界でもかろうじて機能していたパソコンを使って、世界にこう発信した。


「死んだ人達が僕達を絶望させるのなら、それを忘れてしまえばいい。
しかし、一部の記憶だけ選んで消去するのは、現代の科学技術では無理だ。


なら、僕達は演技をしよう。ある脚本にそって、滅びる前の地球で生きていく役者になるんだ。


そのために、残った人達一人一人に与える、脚本を僕らは開発した。ブログというツールだ。
これは、簡単に言えばパソコンの中につける日記だ。
日記帳ではないから忘れることはない。パソコンがあるところならばいつだって見れる。
僕達はこのひどい世界を思い出しそうになるたびに、ブログを開くのだ。
そして、自分が更新をしているという錯覚に浸りながら、
ブログが自動生成した、未来の自分について綴った文章を確認する。
自分の与えられた役を――明日の世界がどうやって成り立っているか、自分がどうやって動き、
どういう台詞を話し、どうやって生きるかを――確認するんだ。


これで、僕達は終わった世界の、終わりのない絶望から逃れられるんだ!」



最初はこの提示に対して、人々は懐疑的だった。記憶を失うことへの恐れもあった。
だがしかし、何かの弾みでひとたびブログを受け取ると、
その中毒性に病み付きになり、本来の世界を忘れ、
「ブログという脚本に書かれた、自分という役」を演じるようになった。


そして、ブログを得た人々が、空白に向かって楽しそうに会話をしている姿を見ているうちに、
かたくなにブログを拒み、自分の記憶に固執していた者も耐えられなくなった。
彼らも自分のブログを受け取って、虚構の役割を演じることとなった。


やがて世界の終わりについて知るものは、ほとんどいなくなった。
人々はすべてがプログラムによって定められた、
終わりの決まった脚本の上をただ歩くだけの存在になった。


奇しくも、それは人々が頑なに拒否した、「世界の終わり」に似ていた。




















 

2007.07.06.0:45am