僕の目に映る世界は、「思い出した」後も変わらなかった。
僕がいて、彼女がいて、それ以外にもたくさんの人が平穏に生活している世界――
ブログによって刷り込まれた、偽者の世界。
けれど僕には分かっていた。もう、時間の問題だということが。
昨日は塾講師バイトの日だった。僕はまだ休みだったが、Kさんは確か入っていたはずだ。
僕は今、とてもKさんと話がしたかった。
今ならばKさんの不思議な行動も、不思議な言葉も、理由を与えられる気がしていた。
彼女は「思い出した」僕を見て、どう思うのだろう。
同情、もしくは哀れみのたっぷり含まれた瞳で見つめられるのだろうか。
僕は寝巻きを脱ぎ、適当にその辺りにあった服を着て、
彼女に何も言わずに外に出て、塾に向かった。そろそろ授業の終る頃だ。
僕は、どうしてもKさんと話がしたかった。一刻も早く、話がしたかった。
塾にたどり着くと、Kさんと僕の友達の講師が、バイト終了の準備をしていた。
彼女は僕を見ると、うんざりしたような、それでいてどこかうれしそうな、
今までに見せたことのない表情を浮かべた。友人は、どうしてここにいるのかと聞いてきた。
Kさんと話したいことがある、と僕ははっきりと伝えた。彼は不審そうな表情を浮かべると、
タイムカードを押す機械のコンセントを勢いよく切って、何も言わずに去っていった。
「私に話したいことがあるみたいね。一体何かしら?」
「……ねえ、俺はもう思い出したよ。もうすでに、世界が隕石によって終っていたこと。
ブログによって作り上げられた偽りの世界の中で、僕達は生きていたことを。」
「そう……もう、気付いてしまったのね。ご愁傷様。」
「君はいつから真実を知っていたの?」
「はじめから――つまり、あなたにはじめて会った時から。
そもそも、私はブログを持っていないのよ。」
「どうして?君にはブログが与えられなかったってこと?」
「違うわ。私は自分の意思で、ブログというツールを拒否したの。
そもそも、終る前の世界にだって、私が繋げておきたいものなんて存在しなかった。
両親は物心つく前に死んでしまったし、友達もほとんどいなかったから。
ずっと教室の片隅で読書にふけっているような女の子と、あなたは友達になりたいと思う?」
「悪い、そんな子がいたら、俺は結構友達になりたいと思うかも。」
「……まったく、趣味が悪いのね。まあ、あなたのことはいいわ。
そもそも私は、他人にプログラムされた脚本通りに生きることになんて、耐えられなかった。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のラストを覚えているかしら。
私はあの小説が大好きだけれど、主人公が最後に選んだ選択は、何度読んでも不満だった。
自分の脳内に作り上げられた世界で生きるなんて、おかしいわ。
よりリアルな世界が存在するのなら、人はそこで生きるべきなのよ。
それが、どれだけ絶望にまみれた、吐き気をもよおす世界だろうとね。
だから私は言うのよ。ブログなんて、心の弱い人間のための媒体に過ぎないってね。」
「けれど、君は耐えられたの?周りの人間が、次々と偽りの脚本を手に入れていくことに。」
「それは……正直言うと、確かにきつかったわ。
一番おそろしかったのは、人が何もない空間に話しかけている姿ね。
あれを見るたび、例え話ではなく吐き気がした。
あなたは見たことがないだろうけれど、それは恐ろしく空っぽな風景だったのよ。
いなくなった友達、家族、恋人の姿を透明な空気の向こうに見出して喋る人達の姿。
空虚な会話、空虚な笑い声、空虚な喧騒。
私もブログを手に入れて、楽になってしまいたかった。
でもね、そんな時に、たまたまこの塾を見つけたの。
何故だかはわからないけれど、この塾には、本当に生き残った人たちが集まっていた。
生きている人間が生きている人間に話し掛ける、そんな当たり前のことが行われていた。
1000分の1しか人は生きていないのに、素敵な偶然があるものよね。
本当に、心が和らいだわ。だから私は、この塾でバイトを始めることにしたの。」
「だから塾講師の似合わない、目つきの悪いKさんが、
ここでわざわざバイトしていたのか……。」
「あら、似合わないとは失礼ね。この目つきは、小さい頃に培われてしまって、もう直らないのよ。
はあ……そんなこといわれると話す気がなくなるわ。
……私、あなたと塾の終りの時間に話すのも、とても楽しくて、心が和らいだんだから。
感謝しているのよ。だからこそ、あなたの狂ったブログから、あなたを救おうとしたのに。」
僕が彼女に聞きたいことは山ほどあったのだけれど、彼女はそれ以上のようだった。
いつになく饒舌に彼女は話し続けた。
続きは、明日書こうと思う。