日記24

僕の目に映る世界は、「思い出した」後も変わらなかった。
僕がいて、彼女がいて、それ以外にもたくさんの人が平穏に生活している世界――
ブログによって刷り込まれた、偽者の世界。
けれど僕には分かっていた。もう、時間の問題だということが。


昨日は塾講師バイトの日だった。僕はまだ休みだったが、Kさんは確か入っていたはずだ。
僕は今、とてもKさんと話がしたかった。
今ならばKさんの不思議な行動も、不思議な言葉も、理由を与えられる気がしていた。
彼女は「思い出した」僕を見て、どう思うのだろう。
同情、もしくは哀れみのたっぷり含まれた瞳で見つめられるのだろうか。


僕は寝巻きを脱ぎ、適当にその辺りにあった服を着て、
彼女に何も言わずに外に出て、塾に向かった。そろそろ授業の終る頃だ。
僕は、どうしてもKさんと話がしたかった。一刻も早く、話がしたかった。


塾にたどり着くと、Kさんと僕の友達の講師が、バイト終了の準備をしていた。
彼女は僕を見ると、うんざりしたような、それでいてどこかうれしそうな、
今までに見せたことのない表情を浮かべた。友人は、どうしてここにいるのかと聞いてきた。
Kさんと話したいことがある、と僕ははっきりと伝えた。彼は不審そうな表情を浮かべると、
タイムカードを押す機械のコンセントを勢いよく切って、何も言わずに去っていった。


「私に話したいことがあるみたいね。一体何かしら?」
「……ねえ、俺はもう思い出したよ。もうすでに、世界が隕石によって終っていたこと。
ブログによって作り上げられた偽りの世界の中で、僕達は生きていたことを。」
「そう……もう、気付いてしまったのね。ご愁傷様。」


「君はいつから真実を知っていたの?」
「はじめから――つまり、あなたにはじめて会った時から。
そもそも、私はブログを持っていないのよ。」
「どうして?君にはブログが与えられなかったってこと?」
「違うわ。私は自分の意思で、ブログというツールを拒否したの。
そもそも、終る前の世界にだって、私が繋げておきたいものなんて存在しなかった。
両親は物心つく前に死んでしまったし、友達もほとんどいなかったから。
ずっと教室の片隅で読書にふけっているような女の子と、あなたは友達になりたいと思う?」
「悪い、そんな子がいたら、俺は結構友達になりたいと思うかも。」
「……まったく、趣味が悪いのね。まあ、あなたのことはいいわ。
そもそも私は、他人にプログラムされた脚本通りに生きることになんて、耐えられなかった。
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のラストを覚えているかしら。
私はあの小説が大好きだけれど、主人公が最後に選んだ選択は、何度読んでも不満だった。
自分の脳内に作り上げられた世界で生きるなんて、おかしいわ。
よりリアルな世界が存在するのなら、人はそこで生きるべきなのよ。
それが、どれだけ絶望にまみれた、吐き気をもよおす世界だろうとね。
だから私は言うのよ。ブログなんて、心の弱い人間のための媒体に過ぎないってね。」
「けれど、君は耐えられたの?周りの人間が、次々と偽りの脚本を手に入れていくことに。」
「それは……正直言うと、確かにきつかったわ。
一番おそろしかったのは、人が何もない空間に話しかけている姿ね。
あれを見るたび、例え話ではなく吐き気がした。
あなたは見たことがないだろうけれど、それは恐ろしく空っぽな風景だったのよ。
いなくなった友達、家族、恋人の姿を透明な空気の向こうに見出して喋る人達の姿。
空虚な会話、空虚な笑い声、空虚な喧騒。
私もブログを手に入れて、楽になってしまいたかった。
でもね、そんな時に、たまたまこの塾を見つけたの。
何故だかはわからないけれど、この塾には、本当に生き残った人たちが集まっていた。
生きている人間が生きている人間に話し掛ける、そんな当たり前のことが行われていた。
1000分の1しか人は生きていないのに、素敵な偶然があるものよね。
本当に、心が和らいだわ。だから私は、この塾でバイトを始めることにしたの。」
「だから塾講師の似合わない、目つきの悪いKさんが、
ここでわざわざバイトしていたのか……。」
「あら、似合わないとは失礼ね。この目つきは、小さい頃に培われてしまって、もう直らないのよ。
はあ……そんなこといわれると話す気がなくなるわ。
……私、あなたと塾の終りの時間に話すのも、とても楽しくて、心が和らいだんだから。
感謝しているのよ。だからこそ、あなたの狂ったブログから、あなたを救おうとしたのに。」



僕が彼女に聞きたいことは山ほどあったのだけれど、彼女はそれ以上のようだった。
いつになく饒舌に彼女は話し続けた。


続きは、明日書こうと思う。


「塾講師Kさんとの、長い長い会話」2007.08.05.01:00am