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Syrup16g
セルフタイトルを冠した、syrup16gのラストアルバム。


「ニセモノ」という、今までのシロップを全否定するかのようにはじまり、そして「これはこれで青春映画だったよ 俺たちの」と言ってのける「さくら」と続き、それからも、「つかめない」、「何一つ無い」といった言葉が続く。


僕はなんて救いのないアルバムだと思った。泣きながら笑顔でさよなら、なんて綺麗な終わりとは程遠い、未練と嘆きにまみれた不細工な終わり。うまく締められないところも、それもシロップらしさなのかな、とも思った。だけど、そんなのは、ちょっと悲しすぎる。


しかし、何度もこのアルバムを聞いていくうちに、吐き捨てるような言葉にはおよそ不似合いな美しいメロディが歌われていることに気が付いた。そして、投げやりな言葉の合間に、とても優しい言葉があることにも。


僕が一番好きな曲、「sence through」を聞いてみて欲しい。「心の中に 答えの中に 確かなものは 何一つ無い」と歌う、そのメロディは、まるで確かなものを見つけたかのように、キラキラしているように思えないだろうか?


もしかすると、五十嵐さんは自らに「シロップであること」、「ネガティブであること」を課しすぎていたんじゃないかって思う。未練、嘆き、心をえぐるような言葉、確かにそれも抱いている感情の一つだと思う。けれど、それがこのアルバムで一番伝えたいことではないんじゃないだろうか。彼の優しい歌声を聞いていると、そう思う。


五十嵐さんは不器用だから、人が「シロップらしさ」と呼ぶ刺すようなネガティブさと、それとは真逆の優しくて暖かい気持ち、どちらかに絞ることが出来なかったんだと思う。でも、だからこそ、このアルバムはこんなにもリアルで、不思議な暖かさを持っている。


この最後のアルバムは、確かに彼らの最高傑作ではないと思う。でも、syrup16gの中で、一番美しいアルバムだと思う。