そう、つまらないのさ。

前回の動画紹介の記事にSTARをつけてくれたid:cie7くんのブログを、久しぶりに読んでいた。
彼の記事を読んでいるとは僕とは考え方が結構違うなあと思うのだけれど、
僕とは違って、赤裸々すぎるくらいの本音で文章を綴っている気がして、
やっぱりそういうブログって言うのは面白く、二ヶ月分ぐらいを一気に読んでしまった。


でも、一つ好きじゃない言葉が引用されていて、それがどうも頭に残ってしまったので、
それについて書いてみようかなあと思う。……というか実際一度書いたのだが、
なんか攻撃的かつ誰もわからないような独りよがりの内容になってしまったので削除した。
なので、こうしてもう一度書き直してみる。また消すかもしれないが。


僕が気になった言葉はこれだ。

あと、よく、大学がつまんないって言ってくる奴がいるんだけど、
それはあんたがつまんないの。
自分が面白い人間だったら何でも面白く見えてくる、そういうもんなの。
教授とか仲間とか、責任転嫁してんじゃないよ。


富田一彦代ゼミ講師)


僕は何に関しても決め付けが嫌いだ。そして、この代ゼミ講師さんは、「つまらない」という言葉に、
ある種の決め付けを持っている気がして、僕はそれが気に食わない。


確かに「つまらない」という言葉を責任転嫁のためだけに使うとしたら、そいつは嫌な奴だと思う。
でも、「つまらないよな」と発言するたくさんの人が、
ただの責任転嫁のためにその言葉を使っているとは思えない。


僕は友達と飲みながら「大学ってつまらないよな」って言う時間が結構好きだ。
「なんかつまんないなー」って、何も考えずにただ口に出すのも好きだ。
「つまんない」という言葉の一つの側面として、不思議な謙虚さと浮遊感があると思う。


「つまらない」という言葉は、確かに人を不快にする力も大きい。
でもそれだけじゃない。想像してみて欲しい。ファミレスで、飲み屋で喋っている人たちが、
「マジ楽しいし!」、「本当に充実してる」ってばかり言っている空間を。
そんな空間があったとしたら、僕は相当居心地が悪いと思う。


「つまらない」という言葉は必要な言葉だ。つまらないというのは必要な感情だ。
この代ゼミ講師さんは、つまらないという言葉を嫌い、
「つまらない」という言葉を言ったら負け、というぐらいに考えて、
つまらなくないようになにか面白いことがないかと必死に追い求めてきたんだと思う。
そして、実際に充実しているのだと思う。


でも、それで100のうち99は見えても、1を見落としている。そんな気がする。
僕はその人の落とした1を大事にしたいんだよ。


僕はこれからも、時々意味もなく気だるい気分で「つまらない」と言うのだと思う。
言い過ぎたら、たまには叱ってくれてもいい。
でも、「つまらないのは、お前がつまらないからだ」って決め付けるのだけはやめてくれ。
僕はわりと楽しいんだから。つまらないっていっている自分も、友達も楽しいよ。


……まあ、塾講師って言うのは人を啓発する職業だから、
こんな僕の主張する1/100の楽しい「つまらなさ」は無視して、
つまらなさを全部人のせいにしているやつらの尻を叩かなきゃいけないんだろうけど。


でも、なんだか好きな言葉を踏みにじられた気がして許せなかったんだ。


……分かりにくい記事になってしまっただろうか。だとしたら、一番分かりやすい例を。
この曲を聞いてみて欲しい。僕が一番好きな形で、「つまらない」という言葉を使っているから。


Running Man/fishmans
Runnign Manの歌詞(うたまっぷ)