Twitter

Twitterはゆるいコミュニケーション。寂しい時なんとなく「寂しい」と言えば、それに対してなんとなくレスポンスが返ってきたり、こなかったりする。そういう繋がり。


だから僕らはいつでも繋がることが出来る。今僕が寂しくて死にそうだったら、多分Twitterに「とても寂しい」と書く。書くことで少し落ち着く。気まぐれに誰かから返事がきたらもっと嬉しくなる。だから僕は寂しくなくなる。そういうカラクリ。


でも時々、こうしていろんなところで繋がりができればできるほど、少しずつまわりとの距離が離れていくような、そんなイメージを抱くのは僕の考えすぎなのだろうか。僕は時々怖くなる。緩いつながりを量産していって、いつでも取れるようにまわりにたくさんの受話器を置けば置くほど、逆説的に思い知る「僕はひとり」だということ。そしていざ、大事なあの人に電話をかけようとしたとき、どの受話器かわからない。


女子高生の無料通話携帯の使い方として、とりあえず友達のところにかけっぱなしにしたまま置いておくというのがあるらしい。そして携帯電話からは、その子の日常のノイズが、垂れ流される。ガリガリ、ギリギリ、バラバラ、ボロボロ。その音がゆっくりゆっくり何かをすり減らしていく。



「煌びやかな君を 底辺から見てた」


libral pops / ヒッキーP