夕べの夕陽の眩しさの理由も言えないまま。

最近よく彼女の夢を見る。
目が覚めると見知らぬ天井が僕の前に立ちはだかる。
見知らぬ天井が家の天井に似ていて一瞬安心するのだけれど、
すぐにここは寮の天井と気づく。一人暮らしの天井。
そして僕はまたまどろみの中に落ちる。


なぜか夢の中で彼女は笑っている。
彼女の心は疲れ果てているのに、笑顔は変わらないままだ。
その無邪気な笑顔は昔から疲れ果てた心を隠すためのものだったのかもしれない。
僕にはそれは無邪気な笑顔にしか見えないから、
彼女はさらに心を閉ざしてしまったのかもしれない。


洗濯物が乾かない世界の中で、
僕のアイポッドに取り込んだ音楽はノイズが混ざるようになった。


宇多田ヒカルの新しいアルバムはお母さんの存在をひどく感じさせる歌詞だった。
暗くてその中で必死に何かを探すかのような。
宇多田ヒカルの笑顔も無邪気で、
彼女から家でひたすらテトリスをやっているような孤独を感じることはない。


「ずっと止まない止まない雨に ずっと癒えない癒えない乾き。」


それを隠してみんな笑い続けている。僕も、あなたも。


どうしても伝えたいことがあったような気がしたけれど、気のせいかもしれない。
どうしてもやりたいことがあったような気がしたけれど、気のせいかもしれない。


テレビをつけると偉い人がワークライフバランスという難しいことを言っていた。
何か辛いことがあったとしてそれから逃げるように仕事をする人に、
ワークライフバランスを問うたら何て答えるのかな。
僕は今仕事をしているときが一番楽しい。次に映画を見ているとき。
音楽はいつも聞いているからそれに対して楽しいとか悲しいとかはない。


僕は村上春樹風の歌を聴けで鼠に言わせたことをまだ信じている。


「みんないつかは死ぬ。
でもね、それまでに50年は生きなきゃならんし、
いろんなことを考えながら50年生きるのは、
はっきり言って何も考えずに5千年生きるよりずっと疲れる。」


そう。だから考え続けなければいけないのだ。
でも疲れてしまったのだ。
誰かが隣にいれば、それこそ、猫でもいい、金魚でもいい、水草でもいい。
誰かが隣にいれば、考えなくてすむのに、一人でいると考え続けなければいけない。
それをごまかすためにアニメや映画やスマートフォンの画面を見続けるのも疲れたよ。
僕はさらに目が悪くなった気がする。


いろんなものにいい加減でいたい。
すべてのことを決めずにいたい。
何も考えずに流されて生きていけたら。


「優しさにいい加減でいて。
むなしさにいい加減でいて。
くやしさにいい加減でいて。」


そうだ、いい加減でいよう。


「Everybody finds love」


そうだ、いい加減に愛を探そう。


「And true love waits In haunted attics
And true love lives On lollipops and crisps」


真実の愛はお化け屋敷で待っていて、
ロリポップキャンディやポテトチップスの中で生きているんだって。


でかけよう、この馬鹿みたいにくだらない日常の中で。
馬鹿みたいにくだらないところに隠れている真実の愛を探すために。
夕べの夕陽の眩しさの理由も言えないまま。