ニーア レプリカント をクリアしたよ ★★★★★

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出典:ニーア ゲシュタルト | ニーア レプリカント

ネタバレを多分に含む。

結局、ストーリーが面白いかどうかとは「そのストーリーが人間の本質を突いているかどうか」に尽きると思う。新作のFate/EXTELLA LINKの売れ行きも好調なFateシリーズであれば、英霊や宝具という膨大な設定で彩りつつ、無力な存在が周りに踏みつけられ、未来を失いながら、それでも今だけでも前を向く美しさを描いた人間賛歌が根底にあると思う。カイジは、鉄骨渡りの中で、人と頼りない言葉でコミュニケーションすることを希望と言い切った。屈指の名シーンだと思っている。

NieR RepliCant は、一見、分厚い設定資料集にて保管される壮大な設定を理解すればするほど面白いゲームに見える。しかし、それは本質ではない。このゲームは、設定ではなく、感情で理解できるゲームであり、感情で理解できるのはそこに人間の本質が潜んでいるからだ。

このゲームの大筋は、生き残るために肉体と魂を分けた兄妹の魂側が肉体に戻ろうとするも、肉体側の兄妹の自我を感じて諦める、というものだ。

ここには三つの示唆がある。

まず、肉体と魂を分けたらどうなるか。これは、漫画シグルイの「筋肉を人も恨むのだ」という台詞でも描かれているように、破綻する。このゲームは破綻することが分かっている計画を遂行した人類の成れの果てだ。魂だけになった人間は狂い、マモノと呼ばれて肉体を襲う。それはそうだ。僕らは肉体を離れて生きていけるわけがないのだ。人類補完計画は必ず失敗するのだ。

次に、モノをぞんざいにあつかうこと。肉体を切り離し、いつでも戻れる器として管理する、直感的にそれは人道的ではないと分かる。モノをモノとしてぞんざいに扱う、その結果は必ず破綻する。

最後に、他者に強い愛を注ぐのは自分だけではないこと。主人公が唯一狂わずに魂だけになれたのは、妹への強い愛があったからだと思う(これは僕の独自解釈だ)。しかし主人公は、その愛は、肉体だけになった虚構の存在(レプリカント)にも当たり前のようにあることに、気づかなかった。それが、主人公=ラスボスの敗因だと思う。

僕はこの捻くれたゲーム(あからさまなゼルダドラクエバイオハザードのパロディは苦笑モノだったが)に隠れた激情に振り回された。オートマタもそうだが、最終章の畳み掛けは素晴らしい。親しくしてくれた親代わりの存在とのバトル、駆けつた頼りがいある仲間、自己犠牲、そしてその後の自分自身との戦い。安い死と悲劇のオンパレードとはとても思えず、感情で理解できて、すとんと腑に落ちた。

2週目以降はさらに悲惨だ、敵を倒すと落とす「開かない写真集」や「壊れた腕時計」からなんとなく察していた事実が、直接台詞になって聞こえてきた。面倒臭くなってムービーを飛ばしたことは何度もあるが「見るのが辛くて」ムービーを飛ばしたのはこのゲームが初めてだと思う。直感的に理解はできる、なのに、どうして僕は愛おしいマモノを、歪ながらもマモノと人が共存していた静かな街を、滅ぼさなければならないのだ。嫌だ。

Dエンドで記録が消える、今となってはよほどうまく情報統制しなければ、このゲームをやる前に知ってしまう事実だろう。当然僕もプレイ前にそれを知っていて、プレイして、それが大切な人を救うための自己犠牲であることを知った。しかし僕は、製作者の意図とは違い、大切な人を救いたいという気持ちよりも、自分の信じる正しさを行使しているのにそれが数多の悲しい結果に繋がる僕の分身(それは奇しくもゲーム内でレプリカントと呼ばれている)を、無くしてしまいたい、そんな気持ちで衝動的に選択肢を選んだ。本当はもっとトロフィーを取って、満を辞して選ぶつもりだったのに。

セーブデータが消えていくのは、とても切なく、静かで厳かな経験だった。ヨコオタロウ氏が味合わせたかったのは、セーブデータを消さないと見られない切ないムービーではなく、セーブデータが消える経験そのものなのだろうと思う。僕はまっさらになったゲームと、ささやかな変化があるオープニングに不思議な安堵感を覚えていた。

言葉を選ばず言えば、ヨコオタロウ氏はとても悪趣味だと思う。このゲームはオートマタと同じ、あるいはそれ以上に自身の正義の結果をこれでもかと突きつけてくる。MONACAのクラシック調の素晴らしい音楽もそれを後押しする。「エミール/業苦」の性急なリズムの中で、僕は両手剣を振るい、倒したくない愛おしい敵たちをなぎ倒して進んでいく。なんなのだこれは、どうしたらいいのだ。DODのEエンドのアンヘルの言葉を呟きそうになる。こんなに徹底してプレイヤーをいじめ抜けるのは彼しかいない。そして彼は言うのだ、現実と同じだろ、と。僕は思う。もっと、頭でっかちで設定重視の現実ばなれしたストーリーだったら、こんなに心を乱されなくてすんだのに、と。