最低なある日、僕は世界を滅ぼすことにした。

 今日は最低な1日だった。

 (1) 最低な1日は朝のベットの中から始まった。スマホ依存症の僕はまどろみの中で、ヤングジャンプアプリを開き「かぐや様は告らせたい」の最新話を60円で買って読んだ。しかし今週は先週先々週先先々週の神回ではない良回だった。最近の生きる意味でありMP(まじでしんどい五秒前ポイント)補給となっていたかぐや様が良回! MPが70ぐらいしか回復しない。足りない。失意の中僕は電車で会社に向かう。

 (2) 会社に着くとすぐ打ち合わせが始まった。各国に散らばる技術者の精鋭を集めた打ち合わせはむなしく暗礁に乗り上げて発散した。特にいつも親切で仕事がしやすい同い年ぐらいの顧客が、僕らに厳しい質問を「言わされている感」を出しながら話すのが耐えられなかった。そんな彼の思いも知らずに技術的正論ばかりを語る人たちの間に入ろうとした僕の提案は「その案は技術的にありえない」と言われて途方に暮れた。僕だってそう思うよ。でも、それじゃ話が進まないから仕方なくそう言っているんだよ。

 (3) その後は出向元の会社からの悩み相談を受けた。適当なことを話したら正論と勘違いされたらしく「よく分かりました、また来ます」と言われたがもうこの時には僕のMPは枯渇して生産性は地に落ちていた。

 (4)-1 隣に座る人はまだ現れた。先輩は「別のことを確認していたら致命的なバグを見つけた、大変なことかもしれないから調べておいたほうがいい」と親切に伝えて来た。なんで僕が、そう思ったが僕はログを開いた。そして訳のわからなさに一旦閉じた。冷静な切り分けが必要だ。

 (5) まだ続く。生産性がストップ安でIQが2ぐらいになっていた僕がメールを眺めると「○○さんの解析結果を教えてください」とメールが来ていた。○○さんは人違いかと思ったが僕だ。僕の解析結果がなぜ必要なのか。僕はメールを返す。「ご指名いただきましたが……」その人の返信は「指名料……高そうですね」から始まった。ナンバーワンキャバ嬢も、こんな虚無感を感じていたのだろうか。

 (6) まだ終わらない。遠慮がちに隣の席に座ったその人は、僕の立てた見積もりが感覚と合わないから検証してほしいと極めて優しくオブラートに包んだ言い方で言ってきた。自分の優しさの向こうの真実を見抜く力が今はいらなかった。ただただ、青空を眺めて昼寝したい気分でいっぱいだったが、もっとも今やらなければいけないことのような気もしたので(そして回答するまで隣の席から帰ってくれなかったので)、みかんサイズに縮んだ脳を振り絞った。

 (4)-2 ログを確認すると、致命的なバグは環境要因といえそうだった。僕は今日やることリストの「バグ確認」にチェックマークをつけた。やっと今日、一つの仕事を終えることができる気がしたが、MPは回復しないままだ。

 (7) そうして安心している矢先に「性能が遅くなってしまった、何かわかりますか」と別の人に相談を受けた。僕は3分ならログを見るよとチャットを返した。ログはすぐ届いた。3分でログ解析は終わって「天才!」とお褒めの言葉をいただいたまではよかったが、その後も相談なのか自問自答なのかよくわからないチャットが届き続けて、僕は静かにチャットソフトをOFFにした。

 (8) 「この計画、ちょっとリスクがあるので、相談したいんですが」とまた別の先輩は言った。 Fate/Grand Order でメルトリリスが引けないと愚痴りながら。「僕はそのあたりを管理していないので、A先輩に言ってください。と僕は冷たく言ったが「え、そうなの? でも僕Aさんの打ち合わせに呼ばれてないんだけど」と打ち返された。そのまま生産性のない会話は続いていく。

 (6) の資料更新は終わらないまま午後九時になった。半ば呆然と休憩スペースで、かぐや様は告らせたいの最新話をもう一度読んで、そして朝より面白いなと感じていると、前に仕事でお世話になった GOOGOLE のケビン(認証関連の仕事で来ていたようだ。僕らは、彼らのロゴマークをつけるために命をかけるのだ)とたまたま休憩スペースで鉢合わせることになった。「やあ」流暢な日本語で彼は僕に話しかける。

 

 「何か元気がないみたいだね。どうしたんだい?」

 「なんか今日は、8人に頼られて、自分の仕事が全然進まなかったんだよ」

 「いいじゃないか、頼られないよりも頼られるほうが」

 ケビンは素敵な笑顔でそう言った。

 「ねえ、僕は間違っていたのだろうか。僕がいろんなことに手を出すことで、この部署のメンバーの自立心を失わせてるんじゃないかって思うよ」

 「深いね」

 ケビンの口癖だ。どこで覚えたんだろうか。

 「深くなんてないよ、浅いよ。ぼくはもともとリアルに興味のない矮小な人間なんだ。はやくVR空間でデジタルアバターと暮らしたいと思っている。もう、ハードウェアも人間関係もうんざりなんだ! 僕はソフトウェアだけ残して肉体を捨て去りたい」

 「ねえ」

 ケビンの口調が変わった。

 「場所を変えよう。そんな君に、素敵な話があるんだ」

 

 品川の場末の居酒屋で、枝豆をつまみながらケビンは真剣な目をして言った。このガヤガヤ感の中では、彼の言葉は僕にしか届いていないだろう。

 「ゴーゴルは、世界トップクラスの生産性を誇り、世界一、人類に貢献することを目標とする会社だ。僕らは、人類を救いたいと思っている。そこで、君みたいな人を探していたんだ」

 彼は、素敵な笑顔で言った。

 「僕らはね。人類を救うために、世界を滅ぼそうとしているんだ」

 僕は夢を見ているのか? 頭が働かない。疲れているせいか、ビールの周りがやけに早い。世界が歪む。

 「僕らだけじゃない、アポーもそうさ。そして想像して見てほしい、僕らの作った OS を乗せたスマホは、世界中で40億台出回っている。パソコンのブラウザも、すでに僕らの Choronium ベースになっている。それらすべてが、部品を派手に飛び散らせて壊れるように仕組まれていたら。どう思う?」

 ああ、なるほど。みんな死ぬ。

 「それでも、人類を殺しきれないと考えた僕らは、アモゾヌも仲間に入れた。彼らには世界各国にダンボールを届ける仕組みがあるからね。ダンボールの箱を開けたら部品が派手に飛び散れば、さらに多くの人にこのギフトが届くんだ。アモゾヌギフト券。けれど、それでもまだ60億の人類を殺しきれないと思うだろう?」

 ケビンと技術トークをしたことを思い出す。ケビンは「僕らの要求する5秒が満たせなかった理由はなんなんだい? 最初にハードウェアとソフトウェアの各ブロックで、5秒を満たすように各チームで調整するだろう。そこのどこが、計算違いだったか教えてよ。僕らもアドバイスできるかもしれない」と優しく言った。僕らにはそんな計算はなかった。ただ必死に作って、ただ間に合わなかっただけだ。彼の正論は僕には眩しすぎて、目が眩んで、光の彼方に消え去りそうになった。このケビンは、あのケビンなんだろうか。世界の半分でももらって、いかれてしまったのか?

 けれど、ふと思った。どうして、技術者に道徳心があるなんて期待したんだろう。頭のいい人が性格が良い人ばかりだったら、世の中がこんなことになっているわけがないじゃないか。僕はなんて勘違いをしていたんだろう。みんな本当は、世界を征服して、滅ぼすつもりだとしても納得じゃないか。

 「そのために、君のような車メーカーの人材が欲しかったんだ。車は、スマホを持っていない世代の人間も持っているだろう?」

 僕はこの嫌な一日を振り返った。良かれと思ってやったことが、みんなの自立を奪い、僕はやるべきことをできなくなっていく。僕の善意は僕の自己満足になって虚空をさまよう。ゴジラがこのビルを燃やし尽くしてしまえばいいのにと、笑いあった先輩は転職していなくなった。だったら、こんな世界は。

 「OK、ゴーゴル。その提案に乗ったよ」

 かくして僕は、世界を滅ぼすことにしたのだった。

 

(フィクションです)

(つづく)