人のアバターを笑うな。そして無為な土日を笑うな。殺すぞ。

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ぼくのゴミのような土日について知りたい人がいると思えないが、もしかして人の無為な土日を収集する趣味のある奇特な人がいるかもしれないので書いてみる。

コンビニ人間を金曜日の午後に半休を取って読み、その鮮烈な現代の実存の描き方、普通こんなところまで掘り下げないだろというところを掘り下げて「普通」の人の気持ち悪さを語った小説に私は感服した。クレイジー沙耶香の異名は伊達じゃない、狂ってる。でも、もしかしたら「正常」な僕らの方が狂ってるのかもしれない。なんて思っていたら一日は終わった。

土曜日、歯医者を終わった僕は途方に暮れていた。なんか体調が悪い。何もする気が起きない。PSVRの美少女を家庭教師するゲームも、名作と言われているドラゴンクエストビルダーズも、あと歌詞をミクに打ち込むだけの曲も、名作と名高いホライゾンゼロダーンも。昨日コンビニ人間も読み終わってしまったので読む本もなく(いや、なぜ生物は死を克服できないのか、という生物学のエッセイがあったけど、ちょっと今は気分じゃない)、ベットで寝ては寝方が悪いのか首への血流が悪く余計に憂鬱になる始末。

最後の力を振り絞ってツイッターで流行っている料理研究家のりゅうじさんが勧めるエリンギの海老マヨ風と壺ニラとご飯を食べたがやはり無気力状態は変わらず、仕方がないのでアニメの中でも特に意味のないバーチャルさんは見ているを眺めて、そして、一番目立っていた月ノ美兎の動画を見てしまったのが運の尽きだった。

この子、無茶苦茶面白い。

特に面白かったのが10分で分かる月ノ美兎の三番目である。ボイスチェンジャーを使った即興芸で、多分YouTuberにとってはありふれたネタなのだろうが、彼女はそこで溢れる個性を出してきていた。テレビやネットにかじりついていないと出てこないリアルな芸。これを脚本なしでやっているというところが恐ろしい。ここに「この世において無駄なことは何一つない」というエビデンスが示されたのであった。この辺りも彼女が「インターネットの擬人化」と言われている由縁であろう。インターネットは深い深い闇であるが、時々闇の泥水をすすりながらこんな希望が生まれることがあるのだ。まったくもって大草原でございますわね。

僕は常々、人は見た目が9割という事実に嫌気がさしていた。見た目で人が選る、これはまぎれもない事実だ。別に私はそれで損をしたのは、眉毛も伸びっぱなしだった高校時代までなのだが、単純にそれで面白い人が出てこれなくなるのはとても面倒な事実だし、そもそも天使のような海外の美少女も年月を経るとオートミールがにあうおばさんになる。だからといって美魔女みたいなのも面倒くさい。金と時間をそこにつぎ込み続ける情熱が理解できないからだ。

しかし、そこに二次元アバターを介すだけでこの問題は簡単に解消できる。今、多くのおじさんが二次元美少女になって驚いている。なるほどなと、女の子たちが旅行先で自撮りをするのは、こういう理由だったのか。それはするわ。俺もしたいもの。こうして世代間格差と思われていたものは単純な見た目の違いだったことが明らかになる。年齢も何も関係ないごっこ遊びの世界では大人も子供もおねーさんも全部同じフィールドだ。人間は老人になると子供に戻るというが、そうであれば彼らがごっこ遊びに回帰するのは当然の帰結ではないだろうか。シガーロスのぽっぴぽらのMVが眼に浮かぶ。そう、われわれを縛っているのは見た目、それだけなのだ。

こうして、落合陽一がみたら、あまりの時間の浪費っぷりにめまいを起こして倒れそうな空虚な土日を経て、僕の人生の第2部は始まった、のかもしれない。