バーチャルさん達がごっこ遊びに留まらない理由とその危うさについての考察

 

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https://www.youtube.com/watch?v=J8PUUv4LFkQ

繋ぐ力 - ボカロと歌ってみたと生主 -

まあ、この myrmecoleon さんのつぶやきが全てなのですが、もう少し詳しく。

2007年、初音ミクというボーカロイドが注目されて、アマチュアがパソコンで作った曲がこれまでの音楽投稿サイトの10倍、100倍聞かれるという現象がおきました。スガシカオが一聴して売れる声と判断した彼女の声は、これまでの合成音声ソフトにはない萌えと少しの憂いを含んでいて、そしてその可愛らしいデザインで絵的にも映えてPVも作りやすく、ブームになりました。彼女はシンガーでありながらそこに透明性があり、これまでは小室哲哉中田ヤスタカクラスにならないと認知されなかった音楽プロデューサーが注目されやすい環境を作りました。

そしてそれは、映画のエンドロールやゲームのエンディングでしか名前を見なかった動画製作者への注目をも集めました。動画製作者そのものだけでなく、動画制作を支援する無料のソフトウェアを開発したりする技術者もいて、その人たちも認知されました。

また一方、歌ってみたと言ってボーカロイドの曲を歌うことも行われました。無機質な歌よりも生々しく感情を引き出す歌い方のほうが合う曲も確かにあり、一部の歌い手は絶大な人気を得ました。しかし、せっかく注目され始めた音楽プロデューサー個人を、また「歌:安室奈美恵 作詞・作曲:xxx」という匿名の世界に戻すような発言(「ボカロ曲は歌ってみて初めて完成する」みたいなこと)をついうっかり口に出してしまい、炎上騒ぎになったりもしました。

また一方、それを弾いてみたという形で参加する人も現れました。打ち込みギターの表現が今ひとつな作曲者の曲を完成させてやったぜ、みたいな炎上は歌ってみたほど起こらなかったのは、やはり演奏者もバンドで言えば裏方だからでしょうか。

さて、この辺りの人たちを初音ミクはその透明性で注目させる力を持っていたのですが、やはり安室奈美恵ブームが去るように、一人のボーカロイドとその後輩たちではその牽引力には限界があり、ブームは落ち着いて安定期に入りました。

それが今、VTuberによって再び集い始めました。

歌ってみたと何が違う、と言われるとそこに動く二次元/三次元アバターがいるというところが完全に違います。今時、YouTuberになろうと思ったら、スマホ一台でカメラで自分を映して動画を保存してアップロードするだけですが、アバターを介そうとするとそこに技術者の力も必要です。滑らかに体ごと動かそうと思うと企業レベルの環境が必要です。バ美肉おじさんになろうとしたらボイスチェンジャー技術が必須となります。歌は肉声ですが、存在がバーチャルなのでボーカロイド向けに書かれた歌詞とも相性がいいです。まず、ここまではボーカロイドが一度スポットライトを当てた人達。

しかし、それだけに飽き足らず、VTuberはこれまで上記の文化とは棲み分けられていた生主(配信者)そのものでもあり、二次元/三次元であるがゆえに漫画家やMAD製作者も参加し、加えて歌って踊れる美人でないともはや成り立たない声優という職業の厳しさに絶望していた声優志望女子も集まってきます。噂を聞きつけたお笑い芸人すらも。

たった一枚の動くアバターがいるだけで、これだけ間口が広がるのは恐ろしいことです。以下の動画をみてください。たったこれ一つの動画に、


【wowaka】アンノウン・マザーグース/歌ってみた【花鋏キョウ&獅子神レオナ&流石乃ルキ&流石乃ロキ】

伝説のボカロPが演奏してみた勢含めて声をかけ集ったバンドメンバーと作編曲して演奏した曲をVTuber四人が歌ってみた音声をボカロPがミックスしそれを動画製作者が絵師がデザインしたバーチャルアバターを使って動画にしている(オタク特有の早口)わけです。「おーおーおー」というコーラスの部分で四人が四つの光となって集う姿はまさにこの文化の「繋ぐ力」を象徴しているかのようで、とっても感動的です。

時を超える力 - ときのそら握手会 -

「#ときのそら会ったよ」というタグでTwitter検索してみてください。

 人気VTuberのときのそらとのイベントは、これまでのアイドル握手会文化を根本から覆すすごいものでした。この企画はclusterというバーチャルイベント空間で行われ、これまでの握手会と異なり「自分の空間に」アイドルが来てくれるのです。この方式の素晴らしいところは、まずアイドルの危険回避でしょう。握手会の握手を両手で包み込むようにするのは、片手同士の握手では引っ張られる危険があるからだそうです。これは、生身じゃないので危なくなったらログアウトするだけですみます。当然、ナイフで刺される事件も起き得ません。

そして危険性を回避するだけでなく、自分の部屋に来る、そして並んでいる他のファンたちがいないのも大きいです。どんな準備をしましょうね。美少女になって、ボイチェンの練習をし、擬似女子会みたいにするのもいいでしょう。思い出のファンアイテムの写真を紹介するのもいいでしょう。上記のツイッターのように、歌を歌ってもらっても大丈夫。

休憩もあらかじめタイムスケジュールを組んでおけば容易です。我々は待つ間並んでいないのですから。部屋で熱中症になることもないでしょう。

僕も昔、一度だけ握手会に言ったことがあります。一時の気の迷いで、リアディゾンの握手会に行きました。そこそこ緊張しましたが「#ときのそら会ったよ」にもし参加していたら、その緊張は比較にならないと思います。だって、自分が用意して待っている空間に大好きなアイドルが来るんですよ。それどこのラブコメ漫画ですか。

そして恐ろしいことに、この体験、保存できるんです。視覚と聴覚を。clusterが今どこまでのサービスをしているかは把握していないですが、当然「自分だけのアーカイブ空間」ができ、それはある過去の瞬間です。そこにさらに自分を重ね合わせれば、それは過去へのタイムトラベルじゃないですか? そう、この動画のように、タイムパラドックスは、VTuberにとって演出技法に過ぎないのです。


【本物の月ノ美兎に投票しろ!】

そしてそして、もし今後、AIがVTuberをやるようになったらどうでしょう。当時のversionのAIに、当時のデータベースを読み込ませた上で、当時の場所で、今の自分と会話することもできますね。そういえば、MacPCのバックアップ復旧システムは TimeMachine と名付けられています。バーチャルであれば、もはや時間とは移動可能なパラメータの一つなのです。そのうち「#ときのそら会ったよ」のあの空間に戻り、過去の自分を消してやり直すことだって可能になるでしょう。多分、もうすぐ。

生々しさを隠す力 - 抱える危うさ -

このVTuberの二次元/三次元アバターは、生身の人間が持つ生々しさを持たず、そして動きのトレースもまだ完璧でないがゆえに、人の想像力というクッションを挟むことができます。これを生かした動画は数え切れないぐらいあります。

バーチャルだから、女の子同士のカップリングも生々しくない!

バーチャルだから、自分は可愛いと言っても恥ずかしくない。相手を可愛いと言っても恥ずかしくない。結婚を申し込んでも恥ずかしくない。


【対決】失敗した数だけ水を飲まなければいけないHappy Glass

ゲームで負けたら水を飲むという過酷なルールでも大丈夫。だって、バーチャルだから本当に飲んでいるかどうかわからないでしょ?


みとちゃんの着衣風呂配信

着衣でお風呂に入っても服が透けないし問題ない。

 

……これらはすべて、アニメにも出た人気者たちの動画で決してアンダーグラウンドではないのですが、なんなら三番目のヒメヒナの動画は200万回も回っているのですが、ちょっと心配になります。多分、バーチャルだから、まだ倫理的な基準が追いついていないのです。そのうち、誰もがバーチャルアバターを持って生きていくような世界が来たとして、当然そこにはバーチャルとしての倫理基準が必要だと思います。

僕は「#ときのそら会ったよ」が安全だと言いましたが、実は自分で部屋を用意できる関係上、精神攻撃を行おうとする輩も参加者が増えればいずれ現れるでしょう。気持ち悪いアバターでわざと迎える、ぐらいならかわいいですが、見た瞬間にショックで倒れこむようなレイアウトにすることもできるかもしれません。

もし、ヒメヒナの負けたら水を飲む動画を生身の人間がやっていたら、そしてそれが体を張る芸人ではなく高校生の少女たちだったら、誰かが炎上させたかもしれません。委員長の着衣風呂配信は委員長だからクレイジーな後味がありますが、生身の女性YouTuberがやっている他の動画はほぼカテゴリ「エロ」です。いずれ安心安全なYouTubeを目指すGoogleに消されます。

そして、一番危ないなと思ったのは「ASMRで心音を聴かせる」という動画です。僕もファンのVTuberなので、ここからリンクを貼るのは控えておきます。女の子の心音を聴かせるというのは、現在の基準では特に問題ない範囲にも関わらず、集うコメントを見ていると完全にカテゴリ「エロ」です。そして「好きな女の子の心音を聞く」という体験は現実では彼女としかありえないところからすると、これをエロとして捉える人がいるのは仕方がないと思います。

これらの問題は生身のYouTuberであれば、直感的に危なさを察知できるのですが、バーチャルのアバターを介すことでそこに曖昧なラインが引かれ、判断力が損なわれると思います。そのグレーにあえて立ち向かう織田信姫のようなパンクロッカー的な存在ならばいいのですが、狙わずにやってしまったとしたら、それは不幸を呼び寄せかねません。

果たして、美少女アバターをまとったおじさんが、美少女アバターをまとったおじさんにスカートめくりをするのはセクハラか? それは今ではセクハラにはならないでしょう。でも、いずれそこも考えなければならないところだと思います。この辺りの議論を重ねて適切に距離を置くことで、少し自由度は減りますが、さらにVTuberは市民権を得る、そんな気がします。

まとめ

バーチャルさんたちによって、過去にインターネットで名を挙げた有志たちがジャンルを超えて繋がり、その握手会は時を超えて空間ごと保存され、一枚のアバターに守られることでできることも広がりました。今とても、一視聴者として楽しいです。けれど、そこに潜む一筋の危うさに時々不安になります。この辺りを、うまくバランスをとってもっともっとメジャーな存在になってしまえばいいなって、思いました。