「みな心の中にジョーカーがいる」だってよあはははは!

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(ネタバレあります)

 

 

 

 

 

実に人を食った映画だと思う。前評判は聞いていたので一緒に見た人がしんどそうにしてるのを隣で申し訳なく思いながら、こんなもんかなと思って映画館を後にしたらそこから服についたシミのようにじわーと広がっていった。笑い声がこびりついて頭の中から離れない。

 

内容は一本道なのだが、途中ジョーカーが信頼できない語り手と明かされることで、僕らに「どこまでが現実でどこまでが妄想か」を委ねられ、様々な感想を獲得しているところにこの映画の凄みがある。

 

特に最後のオチを理解したときの衝撃はすごい。そもそもジョーカーというのはいつもそれっぽい過去を語ってははぐらかす信頼できない語り手の権化のようなキャラだ。その彼がカウンセラーに映画の話を語っていたというオチでこの映画は幕を閉じる。

 

つまり、僕やあなたが「社会情勢を反映している」「ジョーカーは無敵の人だ」「誰しもの心の中にジョーカーがいる」と思ってその事実に鬱々としている中でそれをあざ笑って終わるのだ。「えっこの映画からそんなこと感じ取っちゃったの、ウケるー」と言わんばかりの煽りととれなくもない。

 

僕は恥ずかしながら映画の後の感想巡りでオチの意味に気づいたのだがいろんなことがこの気づきでストンと腑に落ちた気がする。ジョーカーは、貧困の中で認められず蔑まれ、感情が高まって人を殺す、という過去が似合うかというとそんなに似合わないキャラである。

 

そんな彼にも意外な過去があった、そんな風にも受け取れるし、実は全部ホラ話と捉えることもできるかもしれない。ダークナイトで語られるジョーカーの過去のように。

 

このオチは、この映画に「ジョーカーらしさ」を補完しつつその上で観客をさらに混乱させて

 

「もしかして、こんな話に共感しちゃったのは、俺自身がジョーカーが現れてほしい、街に火をつけたい、富裕層を殺したい、と根本的に思ってるからなのか?」

 

なんて思考の迷路に落としてくるのだから、これは本当に芸術点の高い映画だと思う。わかりやすさがもてはやされる、シンプルでわかりやすく極端なコンテンツがバズる昨今、ここまで様々な感情を受け手に抱かせる映画が持て囃されるのは、痛快ですらある。

 

その上、映像も音楽も素晴らしい。ひたすら緊張感を煽ってくるダークナイトと比べると、メジャーコードの明るい曲をうまく交える音楽。電車の照明が定期的に消える中での初めての殺し。階段をダンスしながら軽やかに降りてくるシーンで実感する「ジョーカーという存在」のカリスマ性。そして、耳にこびりつくような笑い声。

 

嫌でも印象に残り、そして、人によっては痛快なピカレスクロマン、人によっては世相を反映した憂鬱なドキュメンタリー、人によってはそれらを笑い飛ばすダークなコメディと受け取られる、鏡のような映画。ダークナイトとはまた別の方向で歴史に残るバットマンシリーズの名作として語り継がれると思います。