まるで世界の終わりみたいだねって、君は笑った #2

命の選別が行われている。病院ではなく、すぐそばで。
総理は7割必須8割できれば人との接触を減らせと言った。
これからそれでも出勤する人と、家にこもって仕事をする人に分かれる。
自由意志であればいい、しかし、きっとそうはならない。

「こいつは会社に来ないとサボるだろう」

そんな判断で生産性の低い人間が選りすぐられ、
リスキーダイスを降る役割を与えられる。

なんでみんな、なんども何度も繰り返し、命は大事だというのか。
それはつまり、命は大事じゃないから、なのかもしれない。
利根川が「金は命より重い」と言ったのは、間違いではなかったのだろう。
生産性の低い人間は死んでもいいのだろうか。
そんなわけないのに、そんな風に見える行動が目の隅にちらついた。
白内障の影のように。

もっとも、心配しすぎなのかもしれない。
満員電車は三密に当てはまらないとも言うし。
僕のようにタバコを吸わない普通の人は、
交通事故で死ぬ確率の方が高いのかもしれない。
なんにせよ、自宅で仕事ができている僕には何も言う資格はない。
ただ粛々と、誰もがリモートワークができるようにシステムを組むだけだ。
オフィスレス運動とか、名付けてみようか。
意識が高い人みたいで、まいるなあ。

未だトイレットペーパーは品薄で、僕はドラッグストアに朝十時に並んだ。
「マスクの入荷はありません」と店員さんは答えていた。
並んでいる人が殺伐としていなかったのがまだ救いだった。

リモートワークしていると、twitter に通知が入った。
僕が世界一好きな邦楽バンドであるスーパーカー
そのフロントマンで今はソロ活動をしているナカコーが家からライブをしていた。
僕はそのライブを聴きながら、仕事をした。

テクノのような繰り返しを基調とする構成を、
ギターの弾き語りと少しの電子音だけで表現するその宅録配信は、
あまりにも素晴らしくて、僕はそれを狂ったように繰り返し聞いていた。

「家にいましょう」と語ってぶっきらぼうに配信を切ったナカコー。

僕は生産性の低い誰かの代わりに出社するような、
古き良き日本男児ではないけれど、ただただ家にいる。
それだけで誰かが、救われていると信じたい。
自己憐憫にまみれた詭弁だとしてもいい、そう、信じていたい。

 

今日の一曲
Warning Bell / スーパーカー


[LIVE] Supercar - Warning Bell (Last Live)