VTuber 体験レポート

熱心にYouTubeライブ配信をバーチャルアバターをまとってやっているのだけれど(安心して欲しいが、ボイスチェンジャーはかけていない)これは何というかすごい世界すぎて、ハマりすぎないように必死な最近だ。あまりに面白いのでみなさまにお裾分けしようと思い今日は筆を取っている。

 

修羅の世界すぎて一度は諦めたこの世界だが、ひょんな事から一つだけ上げておいた動画をおそらく全検索で見つけ出した方から「今度こういう企画があるんですけれどどうですか?」といわれて気まぐれに「いいですよー」と返事をしてからというものの、あまり世界の変わりように驚くばかりだ。

 

何がすごいってこんな別に声に需要もない、アバターもフリーのアプリで作った、ゲームの腕も三流の私の配信に最近7-30(最大)の同時接続者がいるという事だ。チャンネル登録は80ぐらい。ボーカロイドで曲を投稿していたときは三年で20、ブログの読者登録は8年程度で統計50万以上のアクセス回数にして10人だ。趣味の範囲でいえばビビり散らかす数字である(100人行ったら何か企画しますか?とかいわれて怖い。行かないでほしい)。今ヒカキンをめざす中学生には絶望する数字だろうが、僕にはこの数字の意味が恐ろしいほどわかる。

 

配信が終わるとYouTubeが総合視聴時間を表示するのだが「三日」とかでた時にはめまいがした。大学生の頃からインターネットで承認欲求を満たせるか試す遊びにはまり、文章、作曲と頑張ったけれど、人様の時間を三日感奪えた(貰えた)事はこれまでにない。30人って学会発表かよ。あの時は二ヶ月ぐらい泣きそうになりながら論文書くという準備をしたのに。。。今はテトリス99を立ち上げるだけだ。自分の承認欲求がメキメキ満たされていくのを感じる。少しの危うさも。これを中学生の時に体験していたら自分はこの会社にいただろうか。

 

僕がインターネットで見る景色は恐ろしいほど変わった。ツイッターテトリスつながりでフォローしあった結果フォロワーが150人増え、世代は中学生、高校生、大学生、息子とアカウントを共有してテトリスをやるママなど多岐にわたり、みんながテトリスのスクショをアップロードする平和なTLが生まれた。

 

フェミニズムやコロナウィルスや生活への呪詛の言葉は、テトリスの置きミスや課題への愚痴や学校の好きな女の子の話題に置き換わった。そして、その中高生たちは当たり前のようにスマホ一つでできるツイキャスや親からもらったキャプチャーボードでYouTubeで配信をして、時間を合わせてはテトリスをしている。中には中学生で世界二位の高校生といい勝負をしている子もいる(よく遊びに来てくれる)。これだけ多くの世代をつなげる媒体として、ゲームとインターネットの圧倒的な力を感じる。


ゲームの新しい制約を決めて企画を考えて告知し、スタッフも募ってそれを運営したりする子達もいる。無茶苦茶クリエイティブで仕事に直結することをやっている事におそらく彼らはまだ気付いていない。

 

もちろん、僕はニンテンドーネットワークに入ればフリーでダウンロードできるインターネットテトリスの強大すぎるコンテンツ力に便乗してるだけですぐに忘れ去られる存在だ。しかし、これがもうすぐ終わる体験だとして、今の体験の鮮やかさとあまりにも多岐にわたる世代間の交流は刺激的すぎる。おそらく20代前半の子とBUMP OF CHICKENで語り合ったかと思えば同世代とヘビィメタルの曲を共有したりする。

 

また、もはやテトリスがあればいらないかと思われた無料アプリで作ったバーチャルアバターもごく限定的な需要を生んでいるらしく、誕生日にはファンアートが届いた。なんかかわいいとか熱心につぶやいてくれる人もいる。自分でもなんでかわからない。もはや怖い。中の人は……おっと、日本人的侘び寂びに欠ける発言をするところだった。危ない危ない。最近遊びに行ったボイスチェンジャーをかけて女の子になって配信する(テトリスがうまい)男の子の、ボイスチェンジャー付き笑い声にときめきそうになって焦った。こんな性別も声も見た目も年齢も国籍もフリーダムな場所で遊んでいる子たちがLGBTを差別する考え方など持つはずもない。

 

ワンピースにこんな台詞がある。

「これらは止めることのできないものだ
 "受け継がれる意志"
 "人の夢"
 "時代のうねり"
 ────人が『自由』の答えを求める限り
 それらは決して───止(と)まらない」

 

いつのまにか時代はうねり、人は徐々にこれまで永遠と縛られ続けた(見た目、性別、声、年齢、国籍)から「自由」になれる仮想空間で、テキストと声でコミュニケーションして一緒にスプラトゥーンテトリスやPUPGで遊びはじめている。同時に、魔女裁判村八分や見せしめ死刑などの、醜い側面もまた、インターネットの内外で続いている。

 

このうねりはいずれどこに行くのか、テトリスが好きという運だけで末席に加わってしまった僕は、もう少し見つめていたいと思っている。