良いとか悪いとかじゃない、これはエヴァだ

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| を初日に鑑賞。

ネタバレあり

 

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https://tjoy.jp/cp/evangelion/

 

 

 

 

エヴァンゲリオンをまともに語るのは難しい。25年続く呪いのようなこの作品に囚われ続けてきた人たちがどれぐらいいただろう。最近は創作にものすごく心を奪われることを「刺さる」というが、その表現そのまま、時には受け手の人生を刺し留めてしまうぐらいの圧倒的エネルギーを持つ創作。

それは当然クリエイター本人にも返ってきて、庵野監督は「Q」にあまりに東日本大震災などの時代背景を盛り込もうとして心を壊してしまったのは有名な話。確かにあの映画は死ぬほど頑張った結果が全て水泡に帰すような退廃の極みのような鬱だった。そんな中、僕の心を捉えて離さないシン・ゴジラがリハビリのように機能したのもまたすごい話だ。

ほらね、映画に触れなくてもエヴァは無限に語れてしまう。このような、時代を象徴するような創作、納期とかそういうものをクオリティのためにぶっちぎることを許された、いや本当は許されてないんだろうが許さざるを得ない力を持つ、仕事というよりは啓示に近い作品はどうしてもこうなってしまうのだ。僕がエヴァにハマってから、何年か後に再会した友達が後追いでエヴァにハマって考察を場末の居酒屋で語りはじめたのも記憶に新しい。いつのまにか知らないところにまで浸透している。

東映」の背景にカセットテープっぽい音質で鼻歌が流れ出した瞬間に、うんざりするぐらいにエヴァを知覚した。開始十分でエヴァにしかできないと思われる潤沢すぎる作画コストに眩暈がした。突然の稲作描写とアヤナミ(仮)のギャグキャラ化にニヤニヤが止まらなかった。あえての一枚絵がゆったりと流れる中に差し挟まれた廃墟に佇むシンジくんと流れる雲というゆったりとした静と動の対比に泣けた。3D作画の大迫力バトルについたミスマッチな80年代邦楽に混乱した(いつもこうだ、音楽と映像のシンクロで単純に気持ちよくはさせてはくれない)。知覚できない宇宙での精神世界描写では、いつ旧劇場版みたいにスクリーンを踏み越えて平日の昼間に映画を見ている僕らを断罪されるかヒヤヒヤした。クライマックス、各キャラが心情吐露をしていく場面はこれまでの呪いのような25年の精算に見えた。本当の最後、パチンと音を立てて首に巻きついたチョーカーが取れるタイミングで、宇多田ヒカルの主題歌 One last kiss がはじまる、その瞬間が鮮やかすぎた。あの瞬間監督は、僕らは、完全に呪いから解き放たれたのかもしれない。その後に続く音を極限まで絞った Beautiful World のアレンジ版で遅れて感動が溢れてきた。「終劇」の二文字がでる瞬間まで目と耳がスクリーンに釘付けだった。最初から最後まで、良いとか悪いとかじゃない、呆れるぐらいにエヴァだった。

 

でも、そうだ、今回は、カヲル君の言った通り、間違えなかった。きちんとギリギリの線でエンターテイメントを守っていた。危うさを保ちながらも。それが、25年を経て、作り手も僕らも大人になった、ということなのかもしれない。

 

 

 

 

https://movies.yahoo.co.jp/movie/364985/review/756/