「無色透名祭」で知名度が質に関係ないことが証明されたってホント?

 

多分三年ぶりにボカロ新曲出してみました。無色透「名」祭という、その名の通り、サムネも動画も無味乾燥なもので作ることの制約と作者名の非公開というところに惹かれて、腕試し的に投稿した感じです。

割とこう無名らしく姑息に「動画でもサムネでも差がつけられないなら、タイトルで露骨にオマージュを匂わせてはどうだろう」というちょっとした計算も交えてやったのですが、まあしかしメロディはベースなしで一から考えたデモを使ったのもあり、結果は割と1日目から埋もれました。泣

他の曲も再生数の多い順・少ない順両端からせめて「これはxxxさんだろ」というコメントを見ながら、多分そうなんだろうなあと思っていたものは大体はずれました。

一番ショックだったのはきくおさんを見つけられなかったこと。

kikuo.fanbox.cc

再生数低い順に聴いていたはずなのですくなくともきくおさんは通ってた可能性があるんですが、全くわからなかったです。これは僕にとってもショックで僕の仮説の「再生数と知名度はあまり関係しないが、言うて多少は関係するし、1000万を超える方々は良くも悪くも個性はわかる」という曖昧なスタンスが完全に崩れたことになります。データだけ見れば、引用上のレポートにも分かる通り「全く関係がない」が正しい。

しかし、しかしですね、さらにひねくれた視点で見ると、このきくおさんの記事自体にヒントがある気がしています。有名な曲を持つ人は少なくとも質はともかく「有名曲の連想ができるフレーズや、それと分かる音作り」を唯一使う権利があるはずで、これは通常の作曲時には制約になりません。

無色透名祭の祭りのコンセプトも一つのバイアスです、多くの曲が真っ白なサムネから夏だったり匿名だったりというテーマを選んでいます。真っ黒だったらまた違うはずです。つまり、有名な曲を持つ人はそうではない人にない制約を抱えていたとも言えるのではないかと。僕がもしそちらの立場だったらやはり「少し自分のいつもの作風と変えつつ(あからさまだと粋じゃないから)、でも深く聞けば分かる」用に作りたいと思いますし、これも制約かなと。

もちろん、だから「有名な曲を持つ人は力を発揮できなかった」というつもりもないのですが(そもそも無名な僕にそれを主張するメリットは全くない)、このデータのみで「全く関係ない」と言い切ることも早計かなと思ったりしました。

ただ、MIXというか、音の良さは、曲そのものの良さとは異なり、聞き手に「売れる曲っぽさ」を感じさせる一つの基準を担ってると思います。だからこそ、カオスを好む人は逆にMIXが拙い曲を選ぶ、という。

僕が音楽に関して勝手に信じてる言葉は二つ。

 

「プロっぽさとは音質である」by 向井秀徳(ZAZEN BOYZ)

「プロは常に80点を出さなければいけないので、本気で景色が変わるような人生の体験を詰め込んだ100点のアマの曲には勝てない」by Dixie Flatline(ジェミニやJust Be Friendsを作られた方)

 

前者は今回もちらほら見えました(が、無色透名祭はそこまでぶっ飛んだ音質の曲は少なかったように思います)。後者は「プロ≒有名な曲を持つ人」とは言えないと思いますし、全く関係がないとも言えるのですが、常に80点が出せる、をプロと定義している以上、全くプロとアマに差がない、とは言っていないので「有名な曲をいくつも持つ人は常に80点の曲が出せる」と解釈するとちょっと関係があるかなと思います。

というわけで、有名な曲を持つ人は今回、少々難易度の高いルールの中で参加していたような気もする(ので、またこう言うお祭りがあったら、めげずに参加してほしいなあ)と思ったのでした。

総じて、非常に興味深い面白い実験ができる企画だったと思います。次は再生数も隠してみてほしいと言う気はするけれど、それをやるとライトな聞き手が全くとっかかりがなく、全体の再生数が下がってしまいそうな気もするので運営は難しそうですね。とにかく、一参加者として楽しかったです、ありがとうございました。