良いとか悪いとかじゃない、これはエヴァだ

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| を初日に鑑賞。

ネタバレあり

 

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https://tjoy.jp/cp/evangelion/

 

 

 

 

エヴァンゲリオンをまともに語るのは難しい。25年続く呪いのようなこの作品に囚われ続けてきた人たちがどれぐらいいただろう。最近は創作にものすごく心を奪われることを「刺さる」というが、その表現そのまま、時には受け手の人生を刺し留めてしまうぐらいの圧倒的エネルギーを持つ創作。

それは当然クリエイター本人にも返ってきて、庵野監督は「Q」にあまりに東日本大震災などの時代背景を盛り込もうとして心を壊してしまったのは有名な話。確かにあの映画は死ぬほど頑張った結果が全て水泡に帰すような退廃の極みのような鬱だった。そんな中、僕の心を捉えて離さないシン・ゴジラがリハビリのように機能したのもまたすごい話だ。

ほらね、映画に触れなくてもエヴァは無限に語れてしまう。このような、時代を象徴するような創作、納期とかそういうものをクオリティのためにぶっちぎることを許された、いや本当は許されてないんだろうが許さざるを得ない力を持つ、仕事というよりは啓示に近い作品はどうしてもこうなってしまうのだ。僕がエヴァにハマってから、何年か後に再会した友達が後追いでエヴァにハマって考察を場末の居酒屋で語りはじめたのも記憶に新しい。いつのまにか知らないところにまで浸透している。

東映」の背景にカセットテープっぽい音質で鼻歌が流れ出した瞬間に、うんざりするぐらいにエヴァを知覚した。開始十分でエヴァにしかできないと思われる潤沢すぎる作画コストに眩暈がした。突然の稲作描写とアヤナミ(仮)のギャグキャラ化にニヤニヤが止まらなかった。あえての一枚絵がゆったりと流れる中に差し挟まれた廃墟に佇むシンジくんと流れる雲というゆったりとした静と動の対比に泣けた。3D作画の大迫力バトルについたミスマッチな80年代邦楽に混乱した(いつもこうだ、音楽と映像のシンクロで単純に気持ちよくはさせてはくれない)。知覚できない宇宙での精神世界描写では、いつ旧劇場版みたいにスクリーンを踏み越えて平日の昼間に映画を見ている僕らを断罪されるかヒヤヒヤした。クライマックス、各キャラが心情吐露をしていく場面はこれまでの呪いのような25年の精算に見えた。本当の最後、パチンと音を立てて首に巻きついたチョーカーが取れるタイミングで、宇多田ヒカルの主題歌 One last kiss がはじまる、その瞬間が鮮やかすぎた。あの瞬間監督は、僕らは、完全に呪いから解き放たれたのかもしれない。その後に続く音を極限まで絞った Beautiful World のアレンジ版で遅れて感動が溢れてきた。「終劇」の二文字がでる瞬間まで目と耳がスクリーンに釘付けだった。最初から最後まで、良いとか悪いとかじゃない、呆れるぐらいにエヴァだった。

 

でも、そうだ、今回は、カヲル君の言った通り、間違えなかった。きちんとギリギリの線でエンターテイメントを守っていた。危うさを保ちながらも。それが、25年を経て、作り手も僕らも大人になった、ということなのかもしれない。

 

 

 

 

https://movies.yahoo.co.jp/movie/364985/review/756/

2020年ベストソング10選

()内は再生回数です。どうぞ。

10. Dropout / SEKAI NO OWARI (21)

洋楽っぽいセカオワは私のツボなんだなあと改めて。シンセの音やアコギの爽やかさはもはや言葉に少し懐かしさを感じる「EDM」そのもので、こういう曲がまったりとリリースできるのが日本の少し変化の遅い音楽シーンのいいところなのかもしれません。Fukaseさんの声は本当に加工すると楽器みたいで綺麗です。

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10. どろん / King Gnu (21)

去年の最後に少し遅れて King Gnu にハマってなんどもアルバムを通して聞いたので、その流れで最初のこの曲がランクイン。性急な言葉の乱射はボカロ以降の情報を詰め込みまくる邦楽のメインストリームって感じがします。音楽性はミクスチャーが近いと思いつつ、上手いこと今っぽさがあってさすがって感じです。今年も紅白来て欲しかったな。

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08. 群青 / YOASOBI (25)

やっぱり時代は夜遊びですよねえ。夜に遊べない昨今だからこそ。饒舌で軽やかなキーボードの気持ちいい「夜に駆ける」ももちろん好きですが、このサカナクションのようなコーラスをうまく自分たちの音楽性に取り込んだ「群青」が一番好きでした。

YOASOBI の下地は本当にボカロ曲って感じがする(ボーカルと同じぐらい歌う楽器・コロコロ変わる曲展開・情報量の多い歌詞・どこか機械的)ので、Official髭男dism や King Gnu や 米津玄師 の音楽性の複雑さを「ボカロ曲から来ている」と考察した人はビンゴだと思います。ボカロPとしてシーンの最前線の源流を知っていたのすごくない? とささやかに自慢したくなる気持ちもあったりなかったり。

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07. 終点 / DUSTCELL (26)

2020年に一番ハマったと言っても過言ではない DUSTCELL 。あとで5万字ぐらい話すのでこのシンプルなバラードの歌詞を抜粋したい。

普通に生まれ、普通に大人になる
周りも家族も普通で私は前に習う
人生の初めの頃から漠然と形にあった
いつの間にか”周り”が少しずつ消え去り
残されたのは酷く汚れた日記帳と
引っ掻いた傷跡だけだった

何不自由ない「普通」に生まれて、何かすごく不幸な状況にあるわけではないけれど何かが辛い、そんな感覚。それは2020年の例のアレによってさらに加速され、僕らはどこか居心地の悪さを感じるようになった。

もっとも今をストレートに表現できているバンドと思う。好きです。

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06. NEXT COLOR PLANET / 星街すいせい (28)

もはやキズナアイ輝夜月という黎明期の一過性のもので、二度と超えられないと思われていた「VTuber で100万人チャンネル登録」を、事務所としては(2019年時点では)一番色が薄かったホロライブの VTuber が続々と達成した年が2020年でした。

歌ってみたという文化も Vtuber の中に取り込まれていって、より盛んになった気がしています(もともと歌ってみた人のアバターをイラストで描く文化があったからこれは必然ですね)。

そんなホロライブの中で歌とテトリスが特徴の「星街すいせい」さん。彼女の声は少年の声と女性の声がいい感じのバランスで混ざっていた上で大人の歌い上げる感じもあって、すごく好きです。

彼女のオリジナル曲は三曲しかありませんが、

・インディーズデビューを思わせる少し尖った音楽性の「 comet / 星街すいせい - YouTube 」
・インディーズ一番のヒットって感じのロック曲「 天球、彗星は夜を跨いで / 星街すいせい - YouTube 」
・メジャーっぽいカラフルな音楽性の本曲

と三曲でバンドの歴史の冒頭みたいなバランスの良いラインナップを揃えていて、なんというか、時間の加速を感じます。今はアルバム3枚目ではなく、3曲目でメジャーデビューする時代なのだ。

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05. Frail State of Mind / THE 1975 (28)

安心してください。洋楽も聴いています。今年は Sigur Ros / ヨンシー や Travis や Strokes など僕が昔から愛してやまないバンドが結構リリースしてくれた年なのですが、それらを差し置いてこのバンドの新作がよかったです。

アルバムとしては綺麗なインストから突然のうるさいロック曲「People」が終わったあと、このなんとも言えない、お洒落極まりない、エレクトロなシンセとリズムが聞こえてきて、爽やかに加工されたボーカルが控えめなメロディーを歌うという。思いっきり心を掴まれました(分裂症かと思いましたが)。今っぽい、とても控えめで、見逃してしまいそうな小さな希望、って感じの曲。

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歌詞の丁寧な解釈も見つけたのでご紹介。

「外に出てみなよ そんなことやりそうにないね」がいい。

yamapip.hatenablog.com

04. 食虫植物 / 理芽 (29)

今年は理芽の躍進の年。2曲目に発表されたオリジナル曲である本曲、最初売れないと思ってました。泣く子も黙る2425万再生でした。ごめんなさい。

それはこんなにいい声で、それで花譜さんとは違う気だるさと大人っぽさがあって洋楽も余裕で歌いこなす彼女が今年売れないわけなかったです。今年はまだ売れなくて僕だけが知ってると思っている厄介ファンでごめんなさい。アルバム待ってます。

曲の紹介を忘れてました。中毒性、という言葉があまりにも似合う曲です。

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02. KING / Kanaria (31)

前述の歌ってみた文化と VTuber 文化の統合という背景において、非常に象徴的な意味を持つな、と思ったのがこの曲。

・2分ととても短い
・抑揚があり最後の +1 キー含めて盛り上がりポイントがわかりやすい
・途中の笑い声で格好よさをアピール
・サムネイルも弄って自分の立ち絵と混ぜやすい特徴的なポーズ

これらが「ちょっと歌ってみたいな」という歌い手(VTuber)の需要にドンピシャで答えているが故に、この順位。昔小室哲哉もカラオケを意識して曲を作ってましたが、やはり「みんなが歌う」時代だからこそ「歌われる」ことを意識した曲は強い。僕も「歌ってみたいなー」と思って気がついたら30回も聴いててびっくりです。

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02. 空洞です[Live] / 花譜 (31)

さて語りますか。今年の花譜は(新譜「魔法」も素敵でしたが)何と言ってもカバー!

割と順当に最初は、ボカロなりRADWIMPSなりを聴いてきたはずだった花譜さんは、知名度が上がり音楽的素養の高いメンバーに囲まれる環境の中で僕にドンピシャな名曲を選んでカバーしてきます。それがまたどれも非常に良い味を出しているのです。

彼女はまだまだどこかにいる高校生で、人生経験も豊富ではないけれど、それだからこそこのゆらゆら帝国の全てを諦めたようなすっからかんの名曲に、まさかの新しい解釈を加えてくれました。

ゆらゆら帝国本家の「空洞です」はもうこのあとバンド解散するしかねえなって感じの全てを悟ったような退廃感があり、なんども聴いているとセンター試験当日に電車で遠いところまであてもなく行きそうな感じがすごいです。

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コメント欄がまたいいんですよね。詩集かと。これとかすごい好きです。
「バカな子どもが ふざけて駆け抜ける 俺は空洞 でかい空洞」と掛かってるんですね。本当は30代では。

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しかし、しかしですよ、花譜の歌を通して聞くとまるで「空っぽであることが希望」であるかような、そんな感じに聞こえてくるのです。これがあまりにもよかった花譜の「アイスクリームライブ」というカバーライブの最後に聞こえてきたのだから、僕はもう拳を突き上げてガッツポーズをするしかなかった。のです。

VTuber というある意味空白な存在が「空洞です」を歌ったという意味をつけることもできますが、花譜の歌にそこまでわかりやすい意味をつけたくないという思いもあってまた複雑だったりします。彼女の解釈は中立であり、これを希望とも絶望とも解釈せず戸惑いながら歌っている、という感じがします。そこに僕は希望を感じるのならば、つまり歌は希望なのかもしれません。格好つけすぎました。忘れてください。

とりあえずどうですか、このアルバム、すごいですよ。

kamitsubaki.booth.pm

 

曲自体は YouTube に残念ながらないので、こんな感じのアルバムですというのを示すためにもう一曲サニーディ・サービスのカバーを貼っておきますね。これもまた、もっとエロティックな大人の魔法の曲なんですが、花譜が少し気だるく歌うことで、なんだか少し透明感が増していて、少し眠い朝の日差しのような感じが、とてもよいのです。

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01. DUSTCELL / LAZY (123)

長らく日本のヒップホップって何だろうという問いがあったと思うのですよね。我々が住んでいる国は西海岸と違って、麻薬の売人の母親とキャンピングカーの中で暮らして、常に銃声が響く中、生きる術はヒップホップだけ、とかないじゃないですか。いや日本でも探せばあると思うんですけど、それが共感を得られるかというと微妙すぎます。そんな中先人たちは J-POP の世界観を取り入れたり、新宿の片隅で大麻をやりながらなんとか本家の世界観に合わせようとしたり、ラップバトルの方にフューチャーしたりいろいろしてきたんだと思うのですが、いまひとつ僕の中では「日本らしいヒップホップ」っていうのが見つかっていませんでした。

しかしこれを聴いた時にピンときたんですよね。これじゃね、と。この動画の主人公のようにバッチリネット環境も整え、冷蔵庫もいい感じに揃い、毎日ゲームして、遊んでいても特に問題がない、なのに、どこか物足りなくて、暇で、なんとなく、死にたい。これじゃないですか、日本で歌うべきテーマは。

誰にも迷惑かけてないからお説教は聞かない

これが僕らのヒップホップ的な、体制への反抗なんだと思います。

 

儚く細く、少し萌え声のEMAはとある大手事務所の VTuber でした。その頃から10万人以上から人気を集め「よく死にたい」と言っていました。死ねない呪いをかけられた、という設定がそんな彼女とよくあっていました。でも彼女は VTuber をやめました。それは彼女の歌いたいことが、本曲のように極めてプライベートな、生の歌であったことが大きいのではないかと思います。

自身を透明に近づけて新しい歌の解釈を生む花譜、生の痛みをあらわにして、薄い膜の向こうで後ろを向きながらも生の姿で生の叫びを上げることを選んだEMA。日本の音楽、面白すぎます。

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目次。

 

去年の。

2019年ベストソング10選 - 夕べの夕陽の眩しさの理由。

テトリスでハートを作るように。

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宝石の国 10巻 より

有名バーチャルライバー月ノ美兎さんは死ぬことが怖くて仕方がなく、時々そのことを考えると眠れなくなるぐらい怖くなるらしい。「その辺のメガネケースと同じになってしまうんだよ」という彼女らしい言葉で不老不死への渇望を語る彼女を見て、この渇きが人気ライバーには必要なのだろうと思った。深夜二時に90年代のJ-POPを聴きながらサンダルで川沿いをランニングして気持ちよくなって、もう死んでもいいかなとか思う人間には薄いライブしかできない。それが僕だ。

 

夏休みは毎日テトリスとひとりカラオケをしていたら終わった。楽しかった。夏休みが終わるのがこれほど悲しかったのは久しぶりかもしれない。毎日のように誰かと話して、同じゲームをして、同じ歌を歌って少しだけテトリスが上手くなったりカラオケの点数が上がったりするのを毎日繰り返した。もう少し続いても良かった。

 

テトリスは仕事と同じだ。先人が作り上げた定石があり、それを記憶し、なんども反復練習して自分のものにすることでやっと、対人戦で使える技術となる。僕の上には全世界で13000人が控えている。おそらく仕事ではその10倍〜100倍の人が控えているだろう。なるほど、その中で一番を取りたいという狂気を僕は持っていないが、熱すぎもせず寒すぎもしない、ゆるい熱量でぼちぼちやっていければいい。

 

いつ死んでも良さそうだな、と会社の同僚とリモート飲みしている時に言われた。あんまりそんなつもりはない、そこそこ楽しいから今のまま生きていきたい、けれど、確かに10年後や20年後やその先の老後に何の不安もない。全ての嫌なことから逃げる準備ができている。それは人には生への渇望がないように見えるのかもしれない。とても新鮮な一言だった。

 

人生は遊びだ、と捉えているからかもしれない。成長を続けついに天井が見え始めたこの日本社会ではコロナウィルスの驚異の元でも簡単に人間は死なない。財布を落としても死なないし、貯金が尽きても死なないし、仕事がうまくいかなくても死なない。それらは遊びだからだ。音楽は鳴り止まないし、ホロライブは止まらないし、失敗した半沢直樹すらも出向先の辺境で楽しく上戸彩と暮らすはずだ。

 

それでも人が死ぬとしたらそれはおそらく執着や執念と言った類に取り憑かれブレーキを踏み壊したからだろう。

 

とても、羨ましいと、思った。

 

宝石の国10巻にこんなセリフがある。

「ほどよい賢さは猛毒だ」

なるほど、人生に夢中になるためには、中途半端な賢さは捨てて何かに執着するべきなのだろう。お金だったり、仕事だったり、ゲームだったり、家だったり家族だったり友達だったり、何かに。それこそ失ったら、死んでしまうぐらいに。バカとか、勿体無いとか、承認欲求の満たし方が回りくどいとか、周りに言われ始めたらそれは正しい方向の合図だ。いいぞ、もっとやろう。

 

モテるためにギターを始めるように。

洗濯機にインターネット接続機能を足すように。

テトリスでハートを作るように。

VTuber 体験レポート

熱心にYouTubeライブ配信をバーチャルアバターをまとってやっているのだけれど(安心して欲しいが、ボイスチェンジャーはかけていない)これは何というかすごい世界すぎて、ハマりすぎないように必死な最近だ。あまりに面白いのでみなさまにお裾分けしようと思い今日は筆を取っている。

 

修羅の世界すぎて一度は諦めたこの世界だが、ひょんな事から一つだけ上げておいた動画をおそらく全検索で見つけ出した方から「今度こういう企画があるんですけれどどうですか?」といわれて気まぐれに「いいですよー」と返事をしてからというものの、あまり世界の変わりように驚くばかりだ。

 

何がすごいってこんな別に声に需要もない、アバターもフリーのアプリで作った、ゲームの腕も三流の私の配信に最近7-30(最大)の同時接続者がいるという事だ。チャンネル登録は80ぐらい。ボーカロイドで曲を投稿していたときは三年で20、ブログの読者登録は8年程度で統計50万以上のアクセス回数にして10人だ。趣味の範囲でいえばビビり散らかす数字である(100人行ったら何か企画しますか?とかいわれて怖い。行かないでほしい)。今ヒカキンをめざす中学生には絶望する数字だろうが、僕にはこの数字の意味が恐ろしいほどわかる。

 

配信が終わるとYouTubeが総合視聴時間を表示するのだが「三日」とかでた時にはめまいがした。大学生の頃からインターネットで承認欲求を満たせるか試す遊びにはまり、文章、作曲と頑張ったけれど、人様の時間を三日感奪えた(貰えた)事はこれまでにない。30人って学会発表かよ。あの時は二ヶ月ぐらい泣きそうになりながら論文書くという準備をしたのに。。。今はテトリス99を立ち上げるだけだ。自分の承認欲求がメキメキ満たされていくのを感じる。少しの危うさも。これを中学生の時に体験していたら自分はこの会社にいただろうか。

 

僕がインターネットで見る景色は恐ろしいほど変わった。ツイッターテトリスつながりでフォローしあった結果フォロワーが150人増え、世代は中学生、高校生、大学生、息子とアカウントを共有してテトリスをやるママなど多岐にわたり、みんながテトリスのスクショをアップロードする平和なTLが生まれた。

 

フェミニズムやコロナウィルスや生活への呪詛の言葉は、テトリスの置きミスや課題への愚痴や学校の好きな女の子の話題に置き換わった。そして、その中高生たちは当たり前のようにスマホ一つでできるツイキャスや親からもらったキャプチャーボードでYouTubeで配信をして、時間を合わせてはテトリスをしている。中には中学生で世界二位の高校生といい勝負をしている子もいる(よく遊びに来てくれる)。これだけ多くの世代をつなげる媒体として、ゲームとインターネットの圧倒的な力を感じる。


ゲームの新しい制約を決めて企画を考えて告知し、スタッフも募ってそれを運営したりする子達もいる。無茶苦茶クリエイティブで仕事に直結することをやっている事におそらく彼らはまだ気付いていない。

 

もちろん、僕はニンテンドーネットワークに入ればフリーでダウンロードできるインターネットテトリスの強大すぎるコンテンツ力に便乗してるだけですぐに忘れ去られる存在だ。しかし、これがもうすぐ終わる体験だとして、今の体験の鮮やかさとあまりにも多岐にわたる世代間の交流は刺激的すぎる。おそらく20代前半の子とBUMP OF CHICKENで語り合ったかと思えば同世代とヘビィメタルの曲を共有したりする。

 

また、もはやテトリスがあればいらないかと思われた無料アプリで作ったバーチャルアバターもごく限定的な需要を生んでいるらしく、誕生日にはファンアートが届いた。なんかかわいいとか熱心につぶやいてくれる人もいる。自分でもなんでかわからない。もはや怖い。中の人は……おっと、日本人的侘び寂びに欠ける発言をするところだった。危ない危ない。最近遊びに行ったボイスチェンジャーをかけて女の子になって配信する(テトリスがうまい)男の子の、ボイスチェンジャー付き笑い声にときめきそうになって焦った。こんな性別も声も見た目も年齢も国籍もフリーダムな場所で遊んでいる子たちがLGBTを差別する考え方など持つはずもない。

 

ワンピースにこんな台詞がある。

「これらは止めることのできないものだ
 "受け継がれる意志"
 "人の夢"
 "時代のうねり"
 ────人が『自由』の答えを求める限り
 それらは決して───止(と)まらない」

 

いつのまにか時代はうねり、人は徐々にこれまで永遠と縛られ続けた(見た目、性別、声、年齢、国籍)から「自由」になれる仮想空間で、テキストと声でコミュニケーションして一緒にスプラトゥーンテトリスやPUPGで遊びはじめている。同時に、魔女裁判村八分や見せしめ死刑などの、醜い側面もまた、インターネットの内外で続いている。

 

このうねりはいずれどこに行くのか、テトリスが好きという運だけで末席に加わってしまった僕は、もう少し見つめていたいと思っている。

先人のベギラマへ忖度しながらジゴスパークを打ち続けろ

今日はお客さんとの打ち合わせでとても衝撃を受けることがあったからぜひ聞いてほしい。
打ち合わせの発端はありふれていた。黙示録である仕様書に問題が発覚し、我々下々の民は現状を分析して報告し、その問題をなるべく小さい範囲で解決しようとしていた。

ところで僕らのソフトウェアの世界では大きく二つの考え方がある。一つは中央集権型。ある仕様とある仕様で共通の部分があったら、それを一人が実装して後の二人は何も考えずにそれを使えばいいという考え方だ。なるほど、たしかに一つきっちり作れば、あとは考えなくていいから楽ちんでわかりやすい。

しかしこの考え方は使う人が数えるぐらいの時にだけ成り立つことがわかってきた。利用者が10人、100人と増えていき、微妙に使い方が違ったりすると中央部分が歪になりぶっ壊れる。ソフトも人類と一緒で、数が増えれば一つの政府だけでは成り立たなくなるのである。その考え方はSOAソードアートオンライン、ではなくサービスオリエンティッドアーキテクチャ、とか、もしくはマイクロサービスとか呼ばれる。つまりは、みんな政府に頼らずそれぞれできることをがんばろうぜ、というスタイルである。

しかし、私はあたかも当たり前のように中央集権型を語る神々たちに苦しみ続けてきた。何も同じことを説明すればいいのか、時代遅れで草、それ、江戸時代に流行った考え方ですよね、FAXを電子データにするの尊い仕事ですね! と、言いかけたのを何度も理性で留めてきた。今回も同じように、江戸時代手法を忖度しつつ作られたパートナーのソフトとバランスを保ちつつ線を引く繊細な交渉と思っていた。「FAXも大事ですよね!」と笑顔で言う準備はできていた。

結果は違った。彼らはもう、中央集権型をきっちり捨てていたのだ。

えっそんなことやってないですよー。もう中央政府はほとんど仕事しないことにしちゃいました。笑
FAX残すの検討したけどお金かかっちゃうから無理だったんすよねーえへへ。

僕は頭がぶん殴られるほどの衝撃を受けた。

最近神々と会話してまだ江戸時代型が根強いと思っていた最中に、現場の最前線はそれをあっさり捨てていたのだ。室井さんが上層部と抽象的な話を繰り返している間に、織田裕二はテレワークを始めていたのだ。踊る! 大捜査線! 事件は会議室で起きているわけじゃない! 自宅で起きているんです!

内心、ちょっと調子に乗っていたところはあるかもしれない。古の神々と接しすぎて、現場の進化をなめていた点はあるかもしれない。僕が苦心して作ったマイクロサービスの設計、もう当たり前のようにみんながやっていた。じゃあ問題なんて大したことなかったじゃないですか、そうなんです。会議はのんびりと終わりをむかえ、僕はチームメンバーにことの顛末を報告した。誰かに話を聞いてもらいたかっただけかもしれない。

神々が今苦しんでいる。どうしてうまくいかないんだと悩んでいる。僕は先輩とその理由を考察して、彼らはドラクエ1の成功体験で生きているからじゃないかという仮説を立てた。つまり、最強の呪文はベギラマだったころ、確かに竜王ベギラマを打てばエンディングが迎えられた。

しかしドラクエ11にはもう特技がある。MPがなくてもしゃくねつのほのおでモンスター全員に150ほどのダメージが与えられるし、バイキルトで攻撃力を二倍にできる。それにボスも対応し、後半のボスは大体がいてつく波動バイキルトを無効にしてくる。すると防御力無視のかいしんのいちげきもまた立派な戦術になる。

神々はベギラマの修行を怠る僕を、MPを上げる不思議なきのみを血眼で探してベギラマの打てる回数を増やさない僕を、不真面目にすら思うだろう。テレワークでも顔出しとスーツ着用を命じるだろう。しかし、ぐーぐるは、ジゴスパークを使ってくるんです先輩! うるさい、ドラクエの本質はベギラマなんだ! ベギラマをなぜ練習しない!! 彼らも彼らで、ドラクエという名を冠すのに大きく変わってしまったゲームシステムに苦しんでいるのだろう。

しかし今日はっきりと分かったが、一見忖度してベギラマを大事そうにしている物わかりのいい現場の民たちも、裏ではしっかり職業熟練度をあげて息系の特技を覚えたり、かいしんのいちげきを頻発する魔神の金槌を錬成したりしているのだ。それで上司にまあ、ベギラマのようなものですと説明してうまくやっているのだ。僕は若干の軋轢と引き換えにジゴスパークを使っている、それで調子に乗ってはいけない。はやく新しい技をもっと覚えなければ。

時代の流れは残酷だ。コロナウィルスが下下の民に教えたテレワークも多分同じようなことになる。神々が「しかしやはり、顔を見せて話し合わなければ」「はんことITの両立」とか言って悠久の時を検討に使っている間に現場はどんどんテレワークでの最適な働き方を見つけていく。それはもう避けられないことなのだろう。

それでも、ドラクエ1ベギラマを忘れられない人たちはどうすればいいのだろう。それに対する答えは一つ、そう、YouTuberになってドラクエ1RTAをやろう。そうやって世界は優しさをきっと失わずにいてくれる。僕は時々その動画を見て、ベギラマって強かったんだな、とコメントしつつも、現場の音速の進化に振り落とされないようにしたい。最近、のんびりとしすぎていた。移動の時間をゼロにした、最高効率のテレワークが守られている今こそ、加速が必要だ。

冷たいデジタルに優しさを実装したい。

最近よく社会の設計について考えている。多分暇なんだろうなと思う。

在宅勤務になることで僕の労働生産性はうなぎ上りになっている。割り込みは入らず、無理に起きて目が覚めないまま昼飯を流し込む必要もなく、眠くなったら昼寝して生産性を戻している。健康極まりない時間に夕食を食べその後少し仕事をしたらテトリスをはじめる。残業は必要ない。毎日食事とテトリスの腕が上がっていく、そんなルーティーン。

僕はどう考えてもステイホームが得意な人間なのだろう。それには僕の根底に人間への不信や恐怖がある、ということに最近気がついた。僕はなぜだかわからないがバーチャルユーチューバーが好きで生身というだけで見る気にならない。それは、バーチャルになることで情報が欠落することを好んでいるんだと思う。

デジタル化というのは乱暴に言えば情報を欠落させることで複製を容易にすることだ。そしてその欠落は、生身での会話、ディスプレイ越しの会話、ディスプレイ越しのアバター越しの会話と、どんどんフィルターが増えていき、生々しい熱を感じなくて済むようになる。つまり、本物の熱から距離を置くことができると言うことだ。

僕は常に心のソーシャルディスタンスを求めていたのかもしれない。それは、誰とも直接会話しないで仕事をする今完成したのかもしれない。僕は不安定で、同じ入力をしても出力が変わる、そんな人間のことが昔から怖かったんだと思う。

自分語りを続ける。そう言えば僕は音楽が本当に好きだが、それも常に作り手からの距離を置いて美しいところだけを取り出したものだ。一瞬を切り取ればその愛は本物で、その本物は歌にすることで真空パックされる。僕はその揺るがない本当を愛している。それは、人間は揺らぎ、裏切るから偽物だと、恐怖しているのではないか。

そんなわけで、コロナウィルスはソーシャルディスタンスを定義し、それによってコミニュケーションはどんどんデジタル化されていっている。僕の得意な、熱のない、怖くない世界。でも、あなたにとっては酷く退屈な世界。

デジタル化というのはとても恐ろしい。複製が容易なそれはローカルなコミュニティを奪っていく。もし全ての学校教育がオンライン化されたなら、果たして地方のそれほど教えることが上手くない学校教師が何かできることはあるのだろうか。僕が生徒なら、その先生の動画を見る必要性を全く感じず、勝手に郡道美玲先生の動画を見て学ぶだろう。

日本がデジタル化を頑なに拒んでいた本当の理由はそこだったんじゃないかと思う。シェアを容易にすることで、僕らにはそのトップオブトップしか必要がなくなってしまう。草野球ができない世界で活躍できるのはプロ野球選手だけだ。サカナクションYouTubeライブ配信するというのに、地方のロックバンドはどうやったら太刀打ちできるのだろうか。それがライブハウスなら、その熱で地元の20人を熱くさせることができたかもしれない。しかし、それをYouTubeにアップロードしたら、やはりそこに踊るのは再生数10という無慈悲な表示だ。

アナログは連続性があり、不安定さがあり、そしてコピーが容易ではない。それは、価値のある仕事をスキルがない人に割り当てやすい。この世界に活版印刷がなかったころ、枕草子をコピーするには一つ一つ丁寧に書き写す必要があった。その書写しはとても社会に必要で、それでいて、誰でもできる仕事だったのだろう。おっと、その頃は文字が読み書きできるのはレアだったか。まあ例え話だ。

コロナウィルスが人と人との物理的な距離を離した今、仕事の多くはよく言えばサービス業、悪く言えば暇つぶしに収束していく。それも、デジタルなものに限られる。

僕が東京で飲食店を経営していて、コロナで立ち行かなくなったとして。その後毎日一体何をすればいいんだろう。世界で毎日10000個以上が造られて消えていくスマホアプリをプログラミングしてみるか? YouTube に動画を投稿してみるか? それは確かに届いた人の暇を10分潰してくれて、社会に貢献するかもしれない。果たしてそれが、社会に貢献していると実感できるまでにはどれぐらいのハードルを超えればいいんだ。ホロライブではない私が動画を配信する意味があるのか?

もし今が平安時代なら、私は清少納言の下で、毎日枕草子を丁寧に書き写して、それを渡した数人に喜ばれていたかもしれないのに。どうして朝八時にFAXをメールからデータベースに手入力する仕事をなくしてしまったの? コロナウィルスがきっかけで効率化したんだ。じゃあ、私は明日からどうすればいいの? YouTube? 何もわからないよ。

コロナウィルスは、滅多に人を殺さない。かわりに、社会から優しさを殺していく。

社会とはつまり、優秀じゃない人間が、弱い人間が、スキルがニッチな人間が輝くための仕組みだ。それが酷くダメージを負った今、強い人間が、デジタルに強い人間だけが生き残る。それじゃあ、ジャングルと変わらない。0と1のジャングルが僕らの目の前を覆っていく。

僕らはデジタルに優しさを実装しなければならない。前に進むことしか許されない資本主義という仕組みを放棄することは、もうできない。ならばもう、デジタルに優しさを足す方法を考えるしかないじゃないか。どうすれば、デジタルに優しさを実装できるのか、考えよう。人間が怖い僕がもう一度、酷く回りくどい方法で社会に触れるために。熱を取り戻すために。

本当はもう一つの方法も思い浮かんでいる。僕らは香川県に倣ってデジタルを放棄する。最も簡単なのは戦争だ。戦争はアナログだ。弱いものにも生きる意味を与えつつ世の中のデジタルな仕組みを尽く破壊して時計を戻してくれる。いや、待ってくださいよ。それだけはやめてください。痛いのも熱いのも怖いです。デジタルに優しさを実装するまで、もう少し時間をください。お願い。

テレワークはじめたら、いいことしかなかった。

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いち早くテレワークを導入した会社のマネージメント職会議の図

まず朝ゆっくり寝てても朝方の人が勝手に始める電話会議に間に合う。

寝巻きのままパソコンでZoomを開き、なんかいろいろ話しているうちに目が覚める。

僕は常々疑問に思っていた。朝早く会社に行かなければならない理由ってなんだ。

朝早いのも夜遅いのも単純な人の性質のはずだ。

朝早い人は褒められて遅い人は怒られると言う構図は、多数派の暴力だ。

それがテレワークだとどうだ。朝ゆっくり寝てても電話会議に間に合う。

なんなら時差のある北米との電話会議も間に合う、最高だ。

 

朝の電話会議を終えると、僕はそこから昼休憩でお風呂に入り歯を磨き顔を洗う。

時差出勤常習犯の私だが、それでも昼休憩の時間を人と合わせるのはしんどかった。

なにせお腹が空いていないのだ。

それでサラリーマン向けの盛り盛りランチを食べきることはできない。

いつも生産者に向けて申し訳なさを感じながらごちそうさまをしていた。

それが今となってはどうだろう、好きな時間にランチを食べられる。

自炊なので栄養バランスもバッチリだ。

どれだけゆっくり食べようと、誰にも咎められることはない。

これで農家の方々にやっと顔向けできる。

僕はテレワークによって食べ残しをやめることができた。エコだ。

 

集中できすぎる、というのはうれしい悲鳴だ。

テレワークを始めた人は口々に、上司や客から適当に割り込みで会話を入れられて、

生産性を下げられていたことを自覚する。

集中できすぎて、疲れてしまう。仕事の時間も減るね。

なんてったって直接じゃないコミュニケーションは遮断が容易だ。

電話を切る、chat を閉じる、それで終わりだ。

貧乏ゆすりがくせな人のノイズも、聞こえてくる愚痴もない。

静寂とはなんて素晴らしいんだろう。

 

電話会議の効率も上がる一方だ。

不要な会議をなくせ、いろんな偉い人が口々に言っていたが、

誰一人その人たちは不要な会議がなくなる仕組みを考えなかった。

簡単だ、テレワークにすればいいのだ。

隣にいる人に声をかけられない環境下では、不要な会議は忘れ去られる。

ログインだけして、いるふりをしたっていい。君の成果物の方が大事だ。

物々しい会議室がなくなることで、不要な会議は自然淘汰されていく。

 

パワハラもなくなる。

目の前に呼び出して怒鳴ることは、物理的にできないからだ。

イライラする癇癪持ちの部長の声はこっそりミュートしてしまえばいい。

ミュートがバレる?

いらないヘッドフォンをさして音量を最小にすればばれないよ。

あとでネットワークが不安定だったと言い訳しよう。

 

そう言えば外見で威圧感を出すことももうできない。

とても良い指摘をするが、顔が怖く声が強く受け手が恐縮しがちな先輩にアドバイス

アバターを美少女にすればいいんですよ」

そう言えば、未だに面接で顔採用する企業が多いんですってね。

リモート面接なら、そんな選び方は難しくなる。

その内、先進的な企業がバーチャルアバターで面接し始める。

もし君がいい企業に入りたいなら、そういう面接してる企業にするといいね。

フェミニストも女性の外見差別がなくなって、涙を流して喜ぶね。

 

これはソフトウェア開発者限定だけど、仕事の工夫もしがいがある。

会社に行かなければできないソフトウェアシステムは、未熟なのだ。

これを機にシステムを改善してしまおう。

セキュリティ上の問題で試作品が持ち出せない?

その試作品についている ethernet ケーブルはなんのためにあるんだっけ?

 

ついでに、気に入らない面倒ごとを全て無くすチャンスだ。

面倒ごとというのはワンクリックで済まない事務処理だ。

すべてワンクリックで済むようにしよう。書類で提出? 面白いこというね。

大丈夫「コロナウィルス対策」って言っておけば正当性は保証される。

一度整備されたシステムが元に戻る可能性は低い。

スマホを手に入れた人類が元に戻れないようにね(香川県は除く)。

 

もうすぐ僕の会社も全員がリモートワーカーになる。

朝の電話会議が楽しみだ。壁紙をいろんな会社が配布している。

明日は Video もオンにしてみよう。

もちろん自分の顔は映さない、代わりに美少女が僕と同期して瞬きする。

そのうちみんな、本物の顔も忘れてしまう。

そうなったら、長いこと人類を悩ませていた人種差別も消えちゃうかもね。

 

ねえ、もしかしたら。

一度会って顔を見て話さないと人として繋がりが薄くなるっていうの、

習慣からくる幻想、なのかもしれないね・・・?

インターネットで繋がるバンドもいる。

毎日の Youtuber の配信を生きがいにしている人もいる。

推しに会ったことある?

会ったことない人も推せるよね?

もしかして・・・今後それが当たり前になるかもね?

 

テレワークはすべての課題を解決する。

テレワークを始めよう。

これはソフトウェアユートピアのはじまり。

そして、とある価値観のおわり。