絶望は恋と似ている。

最近、人間関係にちょっとしたしこりを抱えています。で、そのことについて詳細をこのブログで紹介して、意見を乞おうかなあなんて思っていましたが、まあこのブログは一応音楽ブログなわけだし、今迷い中です。


ただ、すごく嫌な気分でメール待ちをしながら、iPodJoy Divisionの「CLOSER」を聞いていて(まあ・・・とりあえず暗いアルバムですね)、ふとメールが来たとき。そのメールがやさしかったときの安堵感といったら。好きな子にメール送って帰ってきたときの、気分そっくりだなってふと思いました。絶望は恋に似ているのかもしれない。得体のしれないところや、自分の中に沈みこむところなど、そっくりだ。そんでもって思いついたのは、小説の冒頭に、

絶望は恋と似ている
「哲学と真理の共振/○○○○(←俺の名前)」より

とか書いてあったら、格好良いなあって・・・あれ?話がずれてしまった。


まあ・・・いっか。波風立てるの嫌いな僕だけど、まあこれだけひねくれた考え方をしていると(このブログにもその片鱗が見えますよね、きっと)僕を嫌いになる人もいるだろうな。大学は高校よりも、僕を受け入れてくれない人が多いのも必然か。というか高校で、結構僕が受け入れられたのが不思議だ・・・とか最近そんなことを思っています。暗いな・・・でもなんかそういうときってあるよね。しょうがないよね。ちなみにJoy Divisionの「CLOSER」はドキドキするぐらい沈み込んでいく、人の「絶望」もしくはそれ以上のモノに迫った傑作です。New Order好き、Nirvana好きはチェックしておいても損はないかと。


話がボンボンとぶのは、僕の今感じている、怒りと嘆きと諦めを中和するためなのであしからず。明日から、まあ補講日といえど普通に、学校が始まります。そろそろ身を入れて勉強せねば。いままで「大学=暇つぶし」になっていたツケを払わねばね。






ところで。


やっぱり僕は、愛だの恋だので悩んでいたい。今回の悩みには、なんか美しさを感じないんですよ。絶望なら絶望で、「透き通っていて美しい」絶望がいい。夕暮れの差し込む部屋で、BGMを「( )/Sigur Ros」か「KID A/RADIOHEAD」にして、ベッドに寝転がりながら可愛い女の子について悩んでいたい。少なくともメールを待ってコタツに体をうずめてイライラしたり、ある人間に対して仕返しの方法を考えて高揚したりとか、そんな風にしていたくはない。そんなことを思った。


絶望という言葉を軽はずみに使いすぎかな。スイマセン。語彙がまだまだ貧弱なもので。