僕らはバカのまま血液クレンジングに騙されたくない

ツイッター血液クレンジングを袋叩きにするのが流行っている。いつものことなのだが、今のところ血液クレンジングはマジでヤバそうなので気になってる人はやめておいた方がいいだろう。


バズってるツイートの中では「小学生でもわかること」という煽り文句が入っていたが、これは分断を加速するからあまりよろしくない。確かに酸化で黒くなることと動脈と静脈のことを理科の授業で理解しておけばこの案件の怪しさは理解できるかもしれない。


しかし、この問題は応用問題だ。知識ではなく、知識を組み合わせて解かねばならない。テストにする場合一番最後にポツンとある応用問題で、クラスのうち二人ぐらいしか解けなかったと、のちの学級会で発表される系の問題と言える。


そもそも、酸化によって黒くなるとして血液の黒さは酸化のみで引き起こされているのか?など、本気で調べれば調べるほどいろいろなものが疑問に思えてくる。


結局のところ、僕らにはこの問題を解くのは無理だ、という前提に立つべきだ。知識ではこのようなトンデモ科学を全て防ぐことはできない。人間は簡単に知識を組み合わせて生活に活かせたりはしない。加えて断言するが、僕らはこの件で懲りて小学校の理科を学び直したりはしない。絶対しない。できないことはすっぱり諦めよう。


ではどうするか。


ここで多くの人が採用している基準が「自分が信頼している人が採用してるかどうか」となるのだが、僕は強く言いたい。この方法はかなりのリスクを伴うからやめた方がいい。


この方法論を取っている人を騙すのは簡単だからだ。情報に権威をつけてあげればいい。大企業、職業、論文、エトセトラエトセトラ。しかし、有名人だって自分と異なる分野であれば間違うし、企業人なら自分の企業の不利益になる発言はしない。セット売り販売が板についているジムの人間は水素水を否定することはできない。利根川先生曰くの「大人は質問に答えない」はこの辺のことを指している。


そのジムトレーナーは普段自分のことをよく考えて優しくトレーニングメニューを考えてくれて、信頼しているかもしれないがその水素水プランの加入が正しいかどうかはわからない!はあちゅう氏は身を削って主婦の働き方を変えようと率先して子育て改革に取り組んでおり、小説も面白い。でも、血液クレンジングが正しいとは限らない!

 

残念なことだが、いい奴が、信じていい奴かどうかは案件によって異なるのである。少なくともこの記事を書いている僕よりは信じられるって?まあそうだろうがここは分かって欲しいとしか言えない。


じゃあどうすればいいの?というあなたにこれ系のトンデモ科学に一度も騙されたことのない私からアドバイスしよう。方法は二つある。


一つはお金のかかるオプションは何一つ受けないことだ。水素水も妊娠米も血液クレンジングも全ては「お金を追加で払う」という構造になっていることに留意しよう。つまり、何かを買うときに何も追加しなければ絶対にミスらないのである。


しかしこれはあまりに夢がないかもしれない。ジムで筋トレをはじめた後のプロテインセットプランも当然受けられない。ダイエットコーラも飲めない。ではもう一つの方法。


エセ科学を判断するときは過去のエセ科学との類似性と比較しろ。


エセ科学が広まるときには、そのやり口は大体の類似性を見せる。とりあえず女性週刊誌が報じる、その後、意識高い系芸能人がやり始める。藤原紀香とかね。そして今の場合インスタグラムで小さくバズる。最後に、裏でYouTubeニコニコ動画ではそれをバカにする動画が流行る(水素の音〜!)。


こうなっていたら信頼できないとして切ろう。そしてこのやり方で言えば、ダイエットコーラプロテインはセーフである。つまり、筋トレはライフハックとして正しいらしい。悔しいが、筋トレしよう。その際にジムで水素水プランには加入しないようにね。ではでは。

君が向いているのは YouTuber だよ

僕と違ってね。

 

昔々、僕が一番意識が高かったころ、チームビルディングの研修を受けたことがある。やたらフォントが大きくはみ出そうなパワポを作る先生だった。僕はその先生に聞いた。

 

「チームの中にモチベーションが低く目的意識もなく、お金のために会社にいると割り切ってる人がいたらどうすればいいと思いますか」

 

「…………うーん」

 

僕は畳み掛ける。

 

「それって感性の問題じゃないですか。別にその人が間違った人間というわけじゃないですし」

 

「それは、そのチームからいなくなってもらうしかない」

 

穏やかな顔をした先生は、そうやって言い切った。

 

そして僕は今も悩んでいる。もしくは、悩んでいるフリをしている。いや、本当に悩んでいる。本当にチームからいなくなるしかないんだろうか。

 

少子高齢化の社会だ。子供は生まれない。人工ピラミッドは綺麗な逆三角形。でも機械に任せるのは温かみがなくて嫌いな僕らは、未だ国会にすらパソコンを持ち込めない。

 

セーフティネットは日々ボロボロになっていく。そんな吹けば飛びそうなセーフティネットに、寄りかかる人は今後どんどん増えていく。

 

僕は知っている。みんな、変化なんて嫌いだし、責任を取ることも嫌いだし、何かと理由をつけて言い訳を探している。これは本来相手の仕事だ、という言葉が山彦のようにこだましていく。

 

そう、転職が当たり前の社会にはまだならない。最近見た一番面白い動画は速水もこみちの料理動画だ。YouTuber と芸能人の意味は重なりつつある。つまり、僕らではない。

 

お金を稼ぐことが目的でゆるく年功序列の世界を生きる「普通」の人達は、突然明日、昨日まで降格制度のなかった会社の新ルールで降格するかもしれない。それどころか、突然消えてしまうかもしれない。昨日まで僕のチームにいた彼のように。チームを守るため、だからね。

 

彼らはすぐに転職して「本当にやりたいこと」を見つけたりはしない。YouTuber にもならない。呪詛の言葉を吐きながらセーフティネットによりかかる。セーフティネットは、ここから神政治の力で再生したりは、しない。絶対にしない。

 

生き残るのは「変化に強い生物」である、言い換えれば「変化できない奴は死ぬ」。破れたセーフティネットの先で、楽しさを感じられる仕事は見つかるか。それは本来国の仕事だ、という言葉が山彦のようにこだましていく。そういえば、職場でもよく言ってたね、その言葉。

 

だから僕は言う。安直に。

 

君が向いているのは、YouTuber だよ。僕と違ってね。だから、これから、好きなことだけして生きていってね。さよなら。さよなら。さよなら。

「みな心の中にジョーカーがいる」だってよあはははは!

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(ネタバレあります)

 

 

 

 

 

実に人を食った映画だと思う。前評判は聞いていたので一緒に見た人がしんどそうにしてるのを隣で申し訳なく思いながら、こんなもんかなと思って映画館を後にしたらそこから服についたシミのようにじわーと広がっていった。笑い声がこびりついて頭の中から離れない。

 

内容は一本道なのだが、途中ジョーカーが信頼できない語り手と明かされることで、僕らに「どこまでが現実でどこまでが妄想か」を委ねられ、様々な感想を獲得しているところにこの映画の凄みがある。

 

特に最後のオチを理解したときの衝撃はすごい。そもそもジョーカーというのはいつもそれっぽい過去を語ってははぐらかす信頼できない語り手の権化のようなキャラだ。その彼がカウンセラーに映画の話を語っていたというオチでこの映画は幕を閉じる。

 

つまり、僕やあなたが「社会情勢を反映している」「ジョーカーは無敵の人だ」「誰しもの心の中にジョーカーがいる」と思ってその事実に鬱々としている中でそれをあざ笑って終わるのだ。「えっこの映画からそんなこと感じ取っちゃったの、ウケるー」と言わんばかりの煽りととれなくもない。

 

僕は恥ずかしながら映画の後の感想巡りでオチの意味に気づいたのだがいろんなことがこの気づきでストンと腑に落ちた気がする。ジョーカーは、貧困の中で認められず蔑まれ、感情が高まって人を殺す、という過去が似合うかというとそんなに似合わないキャラである。

 

そんな彼にも意外な過去があった、そんな風にも受け取れるし、実は全部ホラ話と捉えることもできるかもしれない。ダークナイトで語られるジョーカーの過去のように。

 

このオチは、この映画に「ジョーカーらしさ」を補完しつつその上で観客をさらに混乱させて

 

「もしかして、こんな話に共感しちゃったのは、俺自身がジョーカーが現れてほしい、街に火をつけたい、富裕層を殺したい、と根本的に思ってるからなのか?」

 

なんて思考の迷路に落としてくるのだから、これは本当に芸術点の高い映画だと思う。わかりやすさがもてはやされる、シンプルでわかりやすく極端なコンテンツがバズる昨今、ここまで様々な感情を受け手に抱かせる映画が持て囃されるのは、痛快ですらある。

 

その上、映像も音楽も素晴らしい。ひたすら緊張感を煽ってくるダークナイトと比べると、メジャーコードの明るい曲をうまく交える音楽。電車の照明が定期的に消える中での初めての殺し。階段をダンスしながら軽やかに降りてくるシーンで実感する「ジョーカーという存在」のカリスマ性。そして、耳にこびりつくような笑い声。

 

嫌でも印象に残り、そして、人によっては痛快なピカレスクロマン、人によっては世相を反映した憂鬱なドキュメンタリー、人によってはそれらを笑い飛ばすダークなコメディと受け取られる、鏡のような映画。ダークナイトとはまた別の方向で歴史に残るバットマンシリーズの名作として語り継がれると思います。

台風の日に出社してしまい本当にごめんなさい

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聞いてください。悪気はなかったんです。その日は、引っ越しの徹夜の疲れがたまって台風の音も全く聞こえず、熟睡ののち目がさめると眩しいぐらいの晴天でした。

ニュースでは鉄道の状況がひっきりなしに更新されており、僕はその中から朝八時に運行再開という情報のうわべだけ読み取って、ぷよぷよで時間を潰していました。なんとなく、運行再開から二時間は開けてから会社に行こうと思っていたのです。ぷよぷよをはじめてしまったので、以降ニュースで、商店街や隣の県まで駅に集う群衆が報道されていることは何一つ知りませんでした。

そして、朝十時半に家を出ると、なんと、途中改札で多少の渋滞はあったものの普通に会社に着いてしまいました。そこには驚きの光景が広がっていました。責任感が強く、今日納期の資料を作成しに新幹線で来た先輩、自転車で来た先輩、そして僕の三人しかいなかったのです。

衝撃でした。

自転車で来た先輩には「こんな日にあえて早く来るなんてロックだな」と言われました。僕の視界はぐにゃりと歪みます。別の先輩には「君はこんな日は真っ先に有休を取るようなキャラじゃないか。信じられない」と言われました。

実際僕がすんなり会社に来れたのは奇跡でした。本来であれば渋滞していた改札はそのまま完全に人が飽和し、三十分後には人が炎天下の商店街に溢れ出している状態だったのです。早く着けば別の経路を模索して泥沼にはまっていたし、遅く着けばそんな光景。私はガチャでSSレアを三枚一度に引くぐらいのドンピシャなタイミングを引いてすんなり会社に着いたのです。

僕はとてもこのことを反省しています。意識が低かったと言わざるを得ません。こういう日に出社すべきは、本当に大切なプレゼンを明日に控えた営業マンとか、現場に行かないと仕事ができない類のインフラ系の方々とか、そういう事情を抱えた人だけです。

そんな事情は一切ない僕が出社するということは、人一人分のスペースを奪うことです。それは東京都からすれば小さなスペースかもしれませんが、そんななんとなく会社に行く人たちが積み重なって、積もり積もって、本当に会社に行かねばならぬ人たちを商店街の向こうに追いやってしまうのです。

まさにこれが今の日本のダメなところを集約している光景、と言っても過言ではありません。終身雇用が幻想になりつつなる中で、僕らはその幻想を捨てられないまま「なんとなく」会社に向かい、そして、BUMP OF CHICKENがカルマで表現したように、ガラス玉となってもう一人のガラス玉を弾いて落としてしまう。

意味がなくても校庭で校長先生の話を聞くために外に出る、その物事に対する「不真面目」な姿勢。愚直さへの過剰な賛美。それが、本当に必要な人の居場所を奪う。僕はぷよぷよをやめるべきではなかった。上司に静かに「体調不良で休みます」とメールを送るべきでした。

体調不良と書くのは優しい嘘です。事実を書けば遅延証明が必要になるかもしれない。遅延証明に並ぶサラリーマン達はまるで虚無の擬人化です。こんな日にすら、遅延証明がなければ遅刻になるなら、それはもはやシステムの敗北です。そんな会社が作るソフトウェアは全く融通が利かない事でしょう。

本当に申し訳ありませんでした。
皮肉に聞こえますか?
割と本気で、こう思っています。

お仕事独裁スイッチ

何となく、根底の認識そのものがずれている、気がする。僕は宇宙人なのかもしれない。もしくは、未来から来た猫型ロボットかもしれないし、ムーミン谷をさすらうスナフキンかもしれない。

「やっぱり売れる曲はリズムが大事だと思うんですよ(世界ではヒップホップ全盛ですし)」
「叙情的なメロディにこだわって欲しいんだ(演歌こそ日本人の心だから)」
「えっ、メロディそんなにいりますか?」
「いるに決まってるだろ、前向きに検討してくれ」
「あ、え、うーん、はい」

・・・

「新曲聞いたよ。サビは良いメロディだったね。ただ、何でこの曲ラップ入ってるの?」

 

みたいな会話を繰り返していたら最近イライラしているのか棘のある文章を書くようになってしまって、同僚に指摘されてしまった。疲れた、というより、うんざりした顔をしている、とも言われた。もしかしたらネットに垂れ流す文章にもその片鱗はあるかもしれない。

もし僕が独裁スイッチをもっていたら、この違和感を感じた瞬間にスイッチを押してしまうかもしれない。

アイツともずれている、ポチ。
コイツともずれている、ポチ。
まだ演歌が売れるとか狂気の沙汰でしょ、ポチ。
作曲のコツを作曲した事がない奴が書くなよ、ポチ。
もうみんな消えてしまえ、ポチ。

あ、そんな事しなくても、自分が消えればいいのか。
ポチッ。

 

 

 

 

 

配られたカードで勝負しなければならない、とのたまいながら、舌の根も乾かないうちに僕は、いらないカードは生贄に捧げてより強いカードを召喚すべき、と言う。全ての物事は曖昧だ。未だ演歌にこだわる人達の中で、僕はヒップホップが今のトレンドだと信じ続けている。果たして、生贄に捧げられるのは僕か、あなたか、はたまた、社会そのもの、なのか。

若手・イン・ザ・スケールドメテオフォール開発

 スケールドメテオフォール開発においては、時に自分が信じる神を疑わねばならない。今日はそんな事例を紹介しよう。

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 今後ろに座っている若い社員さん。彼女は自分より経験豊かな社員さん(≒預言者)が作ったものを元にして、自分の割り当てられたところを頑張って作っている。そんな彼女が壁にぶち当たって僕に聞いてきた。

 

 「ここの記述ってどういう意味ですか」

 

 そこには「お掃除ボタン」が押された動作が書いてあった。僕は疑問に思いこう返す。

 

 「そのボタン、今は無くなって三つのボタンにわかれたはずだけれど」

 「えっ」

 

 緊急ミーティングがその場で開催され、経験豊かな(はずの)社員さんはうろたえて、お客さん(≒神)に確認します、となった。

 次の日、彼女はまた聞いてきた。

 

 「今確認中のやつ、まだ先に進めないんで、残件チケットを作るんですけど、なんで進めないか理由を書かなければいけないんです」

 そこには、やたら長くて書きづらいテンプレートが定義されていた。僕は疑問に思いこう返す。

 「正しいはずの前工程の文書に不備があって確認中だから、で一行でいいじゃん」

 「それだとルール違反に……」

 そのルールが間違ってるんだ、と思いつつ、ちょっと面白そうだったので、経験豊かな(年のはずの)社員さんがどこでうろたえたのか一緒に見ることになった。

 すると予想通りとても面白かった。

 

 「ここはAを見ろ、AにはBをみろ、BにはCをみろって、これ迷路ですか!?」

 「迷路式記述といってね、参照先に飛ばしまくることで敵が解読できなくするんだ(嘘)」

 「(混乱)」

 

 「ちなみに酷い時は途中からBCBCBCと相互に参照して永遠にゴールがない。これをスマホゲーム記法といって(嘘)」

 「仕事でまで周回したくないです!」

 

 「ところでここにエクセルで非表示となって隠された列があるんだけど、ここに『お掃除ボタン』残ってるし、参照式がこの隠れた列を見ているから、きっとこの掃除機ボタンがその代わりなんだろうね」

 「(唖然)」

 

 「あれ、ここに『このボタンを押されると掃除中になり、すべての機能を止めること』って書いてあります! 私そんなの作ってないです!」

 「漏れてるってこと? それはおかしい、一行一行丹念に分析してたよ。なんてったって経験豊か(な外見)だからね」

 「あっ、ここで元の文章が切れてます

 「コピペ漏れ(笑)」

 

 「あれ、ここ、箇条書きにまとめ直してるけれど、元の文章のどこにもないですよ」

 「多分お客さんの文章が新しくなって、元の記載が消えてしまったんだろうね。なんてったって経験豊か()だから、いつか反映されるよ。いつか(遠い目)」

 

 「えっこれヤバくないですか」

 

 そして彼女は最も重要な知見を得た。それすなわち、自分の与えられた文章は信用できない。そしてその文章の元になったお客さんの文章も信用できない、経験豊か(爆笑)な社員も信じられない、そう。

 

 信じられるのは、自分だけ。

 

 彼女を待ち受ける運命はこうだ。お客さんへの相談結果が返ってくると致命的な事実が見つかる。実はお掃除ボタンはBさんとも関係する! Bさんと繋がる方法を新しく考えねばならない! もう作っちゃったところを直さなければならない! あれだけ面倒だったテストもやり直し!

 

 「しゃらくせえ、なら私が調べる!!」

 

 そして彼女は、仕事をするときに最も必要な主体性を手に入れ、自ら情報を集めることを知る。もし本当にそうなるのなら、この失敗で失ったお金など安いものだ。信じるものを全て失った事実を受け止める事こそ、人が若手、や、新人、から羽化する瞬間、なのかもしれない。

ダンガンロンパV3をクリアしたよ

【PSVita】ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期 SpikeChunsoft the Best

(別館の2017年の記事の再構成です)

 ネタバレ全開です。これから 1mm でもこのゲームをする可能性がある人は、以下の目次をクリックせず、そのままそっとこのブラウザを閉じてください。

 

ノックスの十戒

 推理小説にはルールがある。

ノックスの十戒 - Wikipedia
ヴァン・ダインの二十則 - Wikipedia

 上記は推理小説の基本となるルールである。これはすなわち、推理小説がフェアであるためのルールであり、このルールに則った推理小説において、読者は犯人当てゲームとして推理小説を楽しむことができる。つまり、結末前に犯人を予想するのだ。

 作者は頭を捻らせ、魅力的な登場人物が織り成す難解なトリックによって犯人がわからないまま、読者がページを読み進めていくように設計する。すぐ犯人がわかったらつまらない。作者 vs 読者がフェアプレーの精神に則って犯人当てを楽しむ。推理小説の醍醐味の一つだ。

 しかし、読者も暇ではない。推理小説の犯人当てのために p.80 までで読むのをやめて、登場人物のアリバイをまとめたり時系列表を作ったりする時間がある人は少ないのだ。魔人探偵脳噛ネウロの作者は、一巻表紙裏のコメントにこう書いている。

 「多くの人が推理小説を読むときに犯人を勘で当てるそうです。」

 さらに、推理小説のトリックはすぐに飽和する。複雑で怪奇で珍妙で意外なトリックはどんどん消費されていく。ミステリの黄金期たる1920年代にすでに、アガサ・クリスティという推理の女王は、以下のルール違反すれすれのトリックを有名な著作で使ってしまった。

・容疑者が全員犯人
・物語の語り部(主人公)が犯人
・登場人物が全員死亡(犯人の手紙で後から犯人が分かる)

 このゲームが発売されたのは2017年である。これらの推理小説のルールギリギリを攻めるような意外性は消費され、これを使ったところで読者を容易に驚かせることはできなくなってしまった。そんな心が麻痺した僕らを驚かせるために、仕掛けは極北に至った。清涼院流水は「コズミック」で密室殺人の概念を壊したし、挙げ句の果てに西尾維新は「萌えキャラが犯人」などという搦め手を使って僕のようなオタクを絶望に叩き落したりした。だってもう、語り部が犯人ぐらいじゃ驚いてくれないんだもん。*1

 つまりダンガンロンパ清涼院流水以降の流れに従っている。小高さんの悪意溢れる作風は、戯言シリーズの頃の西尾維新と重なる部分があると僕は思う。軽くヴァン・ダインの二十則を読んでみてほしい。「超高校級の能力」を使ったり、登場人物全員に動機をモノクマが配ったりする時点でもはやプレイヤーはまともに推理することはできないのだ。

 だから僕は今日も、推理パートで出てきた証拠から、なんとなく勘で予想しながら犯人当てに臨む。そして、僕のその推理に対する不真面目な態度をもってしても、驚いて手が震える展開を、悪意たっぷりにダンガンロンパは用意するのである。

これまででもっとも悪意に満ちた第1章

 そして第1章である。ここで使われた仕掛けは以下である。

・萌えキャラが犯人
・物語の語り部(主人公)が犯人
・裁判中にプレイヤーの操作キャラが変わる

 お分かりだろうか。犯人は僕(というか私)である。学級裁判(念のため説明するが、登場人物たちが会話しながら犯人を当てあうゲームである。犯人が当てられなかったら犯人以外全員死ぬ。っていうか、この解説が必要な人はこのゲームを知らないってことで、これからのネタバレ全開の展開を読むってことだね。OK。そこまでの覚悟があるならば止めはしない)中の僕の驚きを想像してほしい。

 「えっ、犯人って私?」

 もう途中から混乱しっぱなしである。いつの間にか、操作キャラ変わってるし。しかし、ダンガンロンパの素晴らしいところは、この意外性全開の搦め手トリックを使っても、決してプレイヤーの手を離さない丁寧さである。トリックは丁寧じゃないが、プレイヤーに対する姿勢は実に真摯である。突然僕が全然感情移入できないキャラクターを操作することになったら、このゲームに対する熱は一気に冷めてしまうだろう。

 そうならないよう、主人公と探偵役を「この殺し合いゲームの中で唯一信頼できる関係」として一緒に行動させ、男の子と女の子にし、さらに男の子側を「自分に自信がない」ところから成長させた。

 こうすることで、プレイヤーは二人に感情移入する準備ができるし、

  突然操作キャラが変わる混乱による自信のなさ
   ≒
  移り変わったキャラクターの特性である自信のなさ

 と自信のなさが共通することで新しいキャラクターのほうの操作をゆっくりと受け入れられる作りになっているのである。すごい。

 混乱の中、前向きでふっくらとしていて可愛い上に、「神田沙也加」というゲーム終盤まで生き残ってもなんら不思議がないCVが当てられた、超高校級のピアニスト「赤松楓」を犯人として指摘して残虐に殺すのだ。僕がこのPSのコントローラーを使って。

 ダンガンロンパは1からこうだった。1の冒頭で、仲良くしていたヒロインがいて「ああ、このヒロインとデスゲームを抜け出すのね」と頭の中のオタク特有の思い込み10訓が発動した後に、見計らったかのように、

  彼女は殺され、
  自分が犯人として疑われ、
  最後に彼女は自分に罪をなすりつけようとしていたことがわかる。

 1でこれなのだ。1~2~3~v3となって、過去作をプレイしたプレイヤーすらも驚かせるというハードルはそれはもう高かった。それをチームダンガンロンパはまさか普通に超えてきた。

  ヒロイン(自分)は犯人であり、
  ヒロインを証拠を提示し犯人として追い詰めさせられ、
  ヒロインがそれを見て「それでいいんだよ」とにっこりと笑って、
  ヒロインは残虐に殺される。

 ダンガンロンパの提供する、良質な悪意はまるでピカチュウギャラドスにかみなりを打って4倍ダメージを与えるかのようなこうかはばつぐんな刺激となって僕に迫った。さらにここでこれまでダンガンロンパではまだ使われていなかった、推理物の邪道な王道「陳述トリック」。アガサ・クリスティのファンの僕としてはこの愛する古典が現代の感性に蹂躙されこのゲーム体験になって帰ってきたことに感動しかなかった。

裁判で嘘をつくということ

 シナリオもさることながら、今作のテーマである「嘘」に従ってアップデートされたゲームシステムでは、「嘘」をつくことができる。この「嘘」が付けるという体験、僕としては想像以上に手に汗を握った。なにせ嘘である。嘘のリスクは失敗したときに周りの信頼を失うことであり、僕はこの悪意に満ちたストーリーから、付いた嘘がバレて言及される展開を予想して非常に怖かった。

 僕は嘘つきである。日常的にそこそこ嘘をついて生きている。サラリーマンは清廉潔白な人には向いていない職業で、僕には向いていた。しかしそんな僕が、ゲームで操作するプレイヤーに嘘を吐かせることにびびっていたのだから、嘘をつくことが苦手な人であれば、このゲームは非常に心臓に悪いであろう。

 学級裁判の難易度は相変わらず良い感じである。何回かプレイしていれば、「これをすれば次の議論に進めるな」とわかる。だが、その答えが「嘘」であるとわかったときの緊張感。こんなゲーム体験は僕はしたことがなかった。他にも「反論ショーダウン・真打」「パニック議論」「議論スクラム」はゲームシステムとしてとても面白かったが、僕はこの「嘘」システムがもっとも良質なアップデートに感じた。やっぱり嘘って、怖いよ。

 

超賛否両論の最終章

 ダンガンロンパV3の評判が良いような悪いような曖昧なものであるのは、すべて最終章のオチによるものだと思う。一言で言うならば、こうなる。

あなた達は記憶を失って「ダンガンロンパ」のキャラっぽい記憶を植え付けられた一般人。殺し合いをすることを知っていて参加したし、その殺し合いは、エンターテイメントとして、お客さんに求められたものなんだよ。  

 嘘がテーマのダンガンロンパV3は、ゲームのキャラたちに「お前らの存在は全て嘘」と言い放つ。そして、お客さん≒ゲームのプレイヤーである僕らだ。そう、ダンガンロンパの新作を待っていた僕らは、つまり、魅力的なキャラクターが凄惨な殺し合いをすることを望んでいたのだ。僕らが彼らを殺し合わせたのだ。

 ダンガンロンパ1・2のように、殺し合いの裏に潜む首謀者のカラクリを暴こうとした登場人物たちは、その行為が限りなく無意味で、首謀者のルール違反を指摘しようがなんだろうが、僕ら(つまり、僕のようなプレイヤー)が求め続ける限り殺し合いは続く、という事実を突きつけられる。林原めぐみ演じる主人公が「はあ?」と連呼して、それでもと希望を探して、それすらもエンターテイメントとして消費されることに絶望する。今回の首謀者はこれ見よがしにダンガンロンパ1・2のキャラの姿と声になりきり、悪意たっぷりに笑う。

 僕はこの展開に吐き気すら催しながらプレイすることになった。

  このオチで全てが台無しになった!
  メタネタもここまでいくと見苦しい!
  これまでのダンガンロンパのキャラクターを冒涜しないで!

 そういう人がこのゲームにAmazonで星1をつける気持ちは痛いほどわかる。しかし、それでも僕は言いたい。これは、奇をてらっていて悪意に満ちていてサイコであるが、とても誠実な展開だ、と。

 この展開を見て思い出すのは、エヴァンゲリオンの旧劇場版だ。映画の中で客席を映し出し、それを見ながら登場人物に会話をさせ、病んだ監督は当時「アニメなんて見てないで現実に帰れ」というメッセージを込めたと言った。

 いつのまにか、あまりに残酷なデスゲームという物語構造に慣れきった僕ら。コンビニの本棚に五種類ぐらいの「閉鎖空間で男女が殺しあう」漫画が並ぶ今、フィションの殺し合いを心底楽しんで消費する僕達への警告。そう捉えることもできるかもしれない。

 でも僕はそういう類のものではないと思う。

 僕らはフィクションにリアルを求めている。普段陰気なキャラクターが突然元気になったら「キャラが崩壊してる。キャラが描けていない」と怒る。ならば、彼らは限りなく「リアル」に作られなければならない。リアルなキャラクターがクリエイターの中に生まれた。それはまるで生きている人間のように。よし、素敵だ。じゃあ閉鎖空間で殺し合いをさせよう。

 ゲームのキャラの立場に立って考えたら、これ以上の悪意ってあるだろうか。

 これまで、1で世界を滅ぼす絶望に打ち勝ち、2で主人公自身が世界を滅ぼす絶望だったという事実と向き合ったダンガンロンパ。その次を本気で考えて、世界を滅ぼす絶望以上の絶望とキャラを向き合わせようとしたら、これしかないというテーマではないか。

 制作チームはエヴァの映画のように「ダンガンロンパに疲れた、もうこんなゲーム作りたくない」そう思ってこのテーマに至ったわけではないと、僕は思う。そうでなければ、登場人物に「お前はゲームのキャラとして作られたんだ」と突きつけた後の大団円なんて作れっこないからだ。

最後にキャラ達は全てを捨てる。ゲームから降りる。ゲームに参加しない。
首謀者の「最後に希望を手に入れる物語にしてよ!」という声に耳を貸さず、何もしない。
「何もしないと全員殺すよ」と言われてもめげない。
僕らの命を使って、このダンガンロンパという「デスゲーム」を終わらせる。

 この終わり方には僕は本当に痺れた。嘘がテーマと言いながらなんと本質的で、どこまでも物語のことを深く考えて潜って苦しみ続けた結果の、曖昧で歯切れの悪い結論。過去のキャラの姿で登場人物を苦しめ続ける首謀者に吐きそうになりながら、それしかないなと思わせられた。そして、ありがとうと思った。

 何がありがとうかって、この展開はゲームのキャラクターだけでなく、プレイヤーにも誠実でなければ出てこないからだ。プレイヤーに誠実でなければ、すなわち、僕らを軽はずみなハッピーエンドが好きな消費者として軽んじていたら、こんな曖昧で歯切れの悪いまるで現実の問題解決の方法みたいなラストは出てこない。それに、この展開を使ってしまったら今後のダンガンロンパにも支障が出るだろう。どうせV3みたいに、全部嘘なんでしょ。ゲームの世界なんでしょ。ダンガンロンパ4を作ろうと思ったら、こんな展開にしないほうがいいに決まっている。

 でも、このラストを作ってくれた。僕らを過去作以上に驚かせるために。僕らに本気でゲームのことを考えてもらうために。

 誰がなんと言おうと、僕はダンガンロンパにこういう体験を求めているのだ。もちろん、主人公の最原が心底嫌悪するようなデスゲームの後のハッピーエンドも、求めているのだろうが、それだけじゃなくて、他のゲームではできないような外連味あふれる展開を、吐きそうになりながらそれでも続きが気になって眠れもせずにコントローラーを離せないようなゲーム体験を求めていたのだ。それは叶えられた。

  一章では、好きになった女の子を犯人として指摘する絶望を。
  二章では、コナンのような大掛かりな舞台装置のようなトリックを。
  三章では、閉鎖空間で新興宗教が生まれ、連続殺人でぶち壊される醜悪な展開を。
  四章では、虫も殺せない善人が忘れた記憶の中で犯した殺人を暴く最悪を。
  五章では、嘘つきがついた最後の死を厭わない入れ替わりトリックを。

 このゲームはこれまでのどのゲームにもない驚きと吐き気があった。これでダンガンロンパが最後になったとしても、このゲームのことを僕は覚えていると思う。それぐらい鮮烈な体験だった。フィクションに命をかける人間がいるという、その矜持と覚悟をひしひしと感じた。そして最後は楽しかった。

 ぜひこのゲームをやってほしい。そして、最終章で何かを感じてほしい。あんな展開は納得できないと僕を説き伏せに来てほしい。良質なポップスは、受け取る相手によって受け取り方が違うものだ。

 そして、最後にはやっぱり絶望する。

 こんなすごいダンガンロンパを作って、次回作どうするんだろう、と。

*1:このような流れは「推理小説 - Wikipedia」が詳しい