小学校の頃から、僕の推しはゴジラだった(ゴジラ-1.0感想)

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ゴジラという存在は本当に不思議だなと思う。1954年、僕が生まれる前に生み出されたキャラクターであり、復興と凋落を繰り返しながらも見た人の心に残り続けている。初の海外版映画「GODZILLA(1998)」の出来の悪さに、彼が内包するメッセージは海外には伝わらないのかと失望したのもとうの昔で、2年前のハリウッド版「ゴジラvsコング」に至っては

メカゴジラの登場
・人間と接続した遠隔操作(昭和メカゴジラ
・海に沈んだキングギドラの再使用(平成ゴジラ
・骨を利用した生体兵器(2000ゴジラ

メカゴジラだけピックアップしてもオマージュで過去作をコンプリートするなど海外からのゴジラへのリスペクトが全開になっており、youtubeでは、平成の「ゴジラvsデストロイア」の動画が「泣いたことない私ですが、この映像だけは別です」などなど海外の方々の熱い長文コメントで埋め尽くされている。なんだ、伝わってるじゃない。

 そしていきなりラストシーンのネタバレをするが、シリーズでも類を見ないほどの殺戮の限りを尽くした残虐なゴジラに対して、登場人物たちはみな敬礼をするのである。今回のゴジラはどう見ても戦争の象徴で、憎むべき相手であるはずで、敵国の兵士を倒して敬礼するはずもないのに、なぜか自然に。こんなキャラクターが過去にいただろうか。

 山崎貴監督ということで不安の声もあった本作、確かに人間ドラマのパートに関してはくどいところもあり、ツッコミどころもある。しかし「監督・脚本・VFX」と肩書に「VFX」をあえてつける山崎監督の映像美による昭和に降り立つゴジラの迫力は圧巻の一言だった。冒頭のサイズが小さいが故の恐ろしさ、銀座の信じられないほどの残虐な破壊、駿河湾での海上戦闘。特に銀座の放射熱戦シーンは庵野監督とはまた違った美しさがあり、新しい予備動作(息を吸い込むあたりが好きだ)からのきのこ雲と黒い雨の中で泣き叫ぶ神木隆之介。あの過剰すぎる演技に似合う絶望を与えられるキャラクターはゴジラぐらいだろう。浜辺美波の顔の不思議な昭和感もよく映像と合っていた。

 僕は誰が何と言おうとゴジラの吐くビームが大好きなのだ。したり顔の大人たちがCGで作ったビームで戦われてもねえ、怪獣物は肉弾戦でしょ、とか言ってきても、そんなことは知らない。平成メカゴジラゴジラが口からビームを撃ち合って真ん中で爆発して共倒れになるところが好きなのだ(そういえば「ゴジラvsコング」でまんまそのシーンがあった、あの映画、ほぼマッシュアップである)。

 ……と思っていたら、子供のまま大人になった大人たちーー庵野監督、アダム監督、そして今回山崎監督が「僕の考える最高の放射熱戦演出」を競い合っていた。僕は間違ってなかった。いや、大人になれなかったという意味では間違っていたのかもしれないが……。

 最近は「推し」という言葉が流行っている。僕は youtuber も vtuber もアイドルも通ってきているが、推しを見つけたという感覚は得られずにいた。今回、その理由が分かった。僕の「推し」の座は「ゴジラ」でずっと埋まっていたのだ。今日、私の推しはスクリーンの前で、1954年の原点「ゴジラ」の明確なオマージュを挟みつつ、また、コロナ以降の、閉塞感に苛まれ自分だけを信じつつも、やはり一人では生きている理由がわからなくなるーーそんな時代性ともリンクしながら、それでも抗え、生きろ、という明確なメッセージを伝えてくれていた。いやいや、最高の「推し」過ぎる。これは他の人が席に就けなくてもしょうがないわ。

 僕は平成ゴジラが特に好きで、シン・ゴジラが前述の放射熱戦含めあまりに理想すぎて、新しいゴジラ映画の想像がつかないでいた。しかし、敢えて時代を遡ることでシン・ゴジラとは全く違う、王道のゴジラが鮮やかによみがえったことに本当にしみじみと感謝した。ゴジラの器は本当に大きい。庵野監督と山崎監督、それぞれでこんなにも違ってこんなにも格好いいゴジラが見られるなら、もっとたくさんの才能あるクリエイターたちのゴジラが見たい。見たくてしょうがない。そんな気持ちになる素晴らしい映画だった。

 多分、これが僕の推し活、なんだろうな。

 

 

 

※いつものごとくyahoo映画にも寄稿しました

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