心の中に清少納言を住まわせよう

枕草子 いとめでたし!

とにかく、読んでいると、清少納言可愛すぎる、そういう気持ちが溢れてくる。清少納言FGO ではパリピとして解釈されたが、別の視点では藤原定子の着物から覗く白い指まじきれーとこぼす、藤原定子(アイドル……アイドル?)推しのオタクであり、藤原定子から新品の紙をもらったからテンションテンアゲでマジ卍なテンションで書いた枕草子が、日本文学史に残ってしまうスーパー才女だったりする。

ふと想像してみる、職場に清少納言がいたらどうだろう。やはりテンションはパリピなのかもしれない。僕らが死んだ目で会社に出勤すると、広報部の彼女に

「あっ、おはよー! 今朝早起きしたんだけど、マジで春の朝っていいね! ちょー爽やか! 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる ……って感じ! やば、私、思わず詠んじゃったかも!!

って感じで僕も明日は早起きして満員電車の窓から覗くやうやう白くなりゆくたてものを眺めながらMili の曲でも AirPods pro で聞こうかなって気分になってきて、いとをかしである。

結局は、結局のところ、今いる世界の美しさに気づけるかどうかが、人の幸せを決めるんだと思うけれど、その点で枕草子が教えてくれることは今を持ってなお多すぎる。人間は平安時代から何も変わっていないし、推しは(死産で若くしてこの世をさった藤原定子のように)すぐにいなくなるから今のうちに全力で推すべきだし、ネットに溢れる罵詈雑言は、枕草子のような祝福に満ちていて、少しとぼけていて可愛いエッセイで上書きされるべきで、僕がこうしてブログを書いているのも大きく捉えれば清少納言の二次創作と言えるわけなのである。

もうすぐ春がくる。コロナウイルスで外にはあまり出られないかもしれないけれど、心の中に清少納言が住んでいれば、窓を開くと感じる春一番と、その時に窓から入ってくる桜の花びらが、いとをかしと、そういうことに気付けるかもしれない。それがきっと、平安時代からずっと、大事なことな気がする。