その人の作品と人間性を切り離すことが僕らには可能なのか?

本当にヤバイホラーストーリー ネット地獄 (講談社コミックスなかよし)

 多くのアーティストが自分の作品と人間性を切り離すことを切望している。Travisというバンドは「The Invisible Band」で透明なバンドとして自分たちが死んでもいい曲は残ると信じたいとアルバム名に冠すほどだし、ぼくのりりっくぼうよみも似たようなことを言っていた。しかし、最近やっと気づいてきたのだが、マジョリティな人たちにとってその作品と人間性を切り離して語ることはできないらしい。

 そう言えば思い返せば、僕がある女の子と付き合った時に、僕がいかに酷い人間かアドバイスという名目で彼女に吹き込みまくり、あわよくば自分と付き合うように促すという行為に及んだ知人がいた。僕はその知人がそういう奴と伝え聞いて、内心ムカデ以下と見下しながらも別に縁を切りもせずニコニコしていた。なんならその知人はオシャレだったので服を買ったりもしていたのだ。適当に服を褒めると彼は古着への熱い想いを語り始めたのだが、僕はムカデがなんか喋ってるなーと思っていた。

 それを友達に語ると「怖い」と本気で怖れられた。でも、僕はムカデが服を着ていてそれがオシャレだと思ったら、服を単独で評価できたのである。なるほど、今文章にしてみるとこれはどう考えてもマイノリティな人間性かもしれない。

 ある日、大好きなアーティストの You Tube をのぞいていたら、最新のコメントで「このアーティストは昔、インタビューでいじめを容認するような発言をしている。このアーティストを聞くのはやめろ」なんて書いてあって、本気でうんざりしたことがある。僕はこのようなインターネットの地獄を見つけるとその奥まで踏み込みたくなる性質なので「アーティスト名 いじめ」で検索すると、そのアーティストを聞くのはやめろ、聞いているならば、人として終わっている、むしろ過去を知らなくても本物の音楽を知っている人間は必ずこのアーティストの薄っぺらさを看過するだろうぐらいの勢いで声高に主張するブログと、賛同するコメントたちが目についた。

 「この人の音楽性からもゲスさが伺えますね」

 なんてコメントもあった。これを冷静に論破するのであれば、こじつければ音楽性とゲスさを関連させることなどひどく容易である。清廉潔白な曲を作るアーティストならば「こういう一面的な希望しか歌えない薄っぺらさから人間性の薄っぺらさが見て取れる」と言えるし、ゲスな歌を歌っている乙女であれば「その名の通りやっぱりゲスな人間性だよね」と言えるのである。誰でも当たっていると思う「今日の占いカウントダウン」と同じ手法だ。

 しかも、しかもだ。もし僕がいじめられっ子だった場合、このアーティストについて You Tube でわざわざ「こいつはいじめっこ、こいつの音楽を聞いてはいけない」なんて書いてない方が、トラウマを刺激されず心おだやかにいられると思う。しかし、このコメンターはゲスな人間が作った音楽を背景を知らずに好きになってしまう(本物の音楽を知らない)不幸な人間を救いたいと思って書いているのだ。IFルートでいじめられっ子だった僕が間違った音楽に惹かれないように導いてくれているのだ。大きなお世話だ。こうして、インターネットにまた一つ、誰も幸せにならない小さな地獄が生まれていく。正義の名のものに、ね。

 このような最低な正義感の発露に貢献するパターンに対する嫌悪感も後押しした上で、やはり僕はその人の作品と人間性は切り離していきたいし、僕のこのマイノリティな感性は多様性の名の下、守られるべきだと思う。同様に、おそらくマジョリティと思われるその人の作品と人間性を同列に語る人たちの感性も守られねばならない。わかっている、わかっているんだが、そのマジョリティの中の一部の人間があまりに嫌いすぎて、ふと思い出してこんな文章を書いてしまっている僕がいる。あわよくば、マジョリティの一部がマイノリティな感性に変わらないかと欲を出してしまっている。わざわざブログを書いたり You Tube にコメントする人なんて一部で、その集団の代表でもなんでもないのに。多くの人はベッキー騒動でゲスの極み乙女を聞かなくなり、関ジャムに出演していたら違うチャンネルに回すだけの無害さだというのに。

 そうして気が付いた。なるほど、こうして僕は人間性で選ることで良い音楽や絵や本に出会う可能性を狭める不幸な人間を救いたいという大きなお世話を働いてしまった。深淵が僕を覗き返している。ヘイトにヘイトが連鎖していき、インターネットの地獄に今僕は加担した。

 その人の作品と人間性を切り離すことが僕らには可能なのか? ある人には可能で、ある人には絶対に不可能だ。しかし、インターネットの地獄に加担するのは、多様性を犯すのは、誰だって可能なのかもしれない。ダークな内容すぎたね、ごめんね。

wowakaさんが繋いだもの、繋がっていくもの。

僕の超ざっくり理解で言うならば、音楽の進化というのは常に「今まで手が出せなかった人が手を出せるようになる」という価値観の転換によるものだと思うのです。

 

クラシック

こんな沢山の楽器で編曲できねーよ。ギター、ベース、ドラムで十分だろ。

ロック

コードなんて三つ覚えれば十分だろ。

パンク

歌歌えないけど他の歌のカッコいいとこ切り出してループして早口乗せればよくね?

ラップ

 

そしてこの変化が起きる時には、古い人達から「こんなの音楽じゃない」と言われることが常であり、逆にいえば「こんなの音楽じゃない」と言われ始めた時が音楽の進化する時だったりします。日本でラップが流行り始めた時を思い出してください。あの頃ドヤ顔で「ラップは音楽じゃない」と言ってた方々、元気ですか? なんちゃって。

 

そこで、ボーカロイドです。黎明期、ただの楽器であるボーカロイドも「こんなのは音楽じゃない」「歌ってみたの前の仮歌」などと言われて、その都度炎上したりしていました。そういう意味で、ボーカロイドは確かに音楽の進化の一つだったのだと思うのです。つまり、矢印の続きはこうなります。

 

ラップ

→歌も歌えない! 早口も下手! PC一台で初音ミク使えばよくね?

ボカロ

 

こうしてボカロ曲は一つのジャンルとして成り立つことになりました。VOCALOIDは所詮楽器なんですけれど、楽器が一つのジャンルを作ることはわりとあることなので大して驚くことではないのです。シンセサイザーがなかったらテクノはないわけで。

 

しかし、思い返せばこのジャンルにおいて、ロックの焦燥感を初音ミクの無機質なボーカルで表現することに成功した人は少なかったと思います。単純にロックとして完成度の高い曲を投稿する人はいました。ryo(supercellさんの「恋は戦争*1」、梨元ういさんの「ペテン師が笑う頃に*2」、などなど。でもそれは、ボカロが最適解、という曲かと言われるとちょっと疑問符がつくものだったように思います。

 

そこで出てきたのが現実逃避Pことwowakaさん、曲を重ねるごとにちらほら話題に上がっていた彼は「とおせんぼ」からの「裏表ラバーズ」で完全に有名ボカロPに成り上がりました。彼の曲の構造は非常に分かりやすく、BPM早めのチープな電子音やピアノで構成される一小節のループをひたすら繰り返して、そこに低音を思いっきりカットしたミクの声を乗せるスタイル。

 

ポイントは二点。
・繰り返しが多く、構造が理解しやすいこと
・リズムが性急すぎてライブハウスやクラブ向きでないこと 

 

前者は、なんか僕でも作れそう、となって爆発的なフォロワーを生みます(ちなみに、作れないので安心してください)。そして後者は、すなわちPCの前でイヤフォンをして全身を貧乏ゆすりするのに最適なリズムなのです。引きこもりの僕らにぴったり! 音楽の進化においてよくある、聞き手の環境に最適化した進化ですね。千本桜なども、平坦な連打が「針金のようなドラム」と揶揄されたりしましたが、ライブハウスで体を揺らして聞く想定がそもそも間違っている。当時のしょぼいサウンドカードのPCもしくはスマホで貧乏ゆすりするためのリズムからすると最適解だったのです。

 

これ以降、このスタイルはボーカロイドによるロックのテンプレという枠を越え「ボカロっぽさ」として周知されることになります。Last Note.さんの「セツナトリップ*3」、日向電工さんの「ブリキノダンス*4」、Neruさんの「ロストワンの号哭*5」、トーマさんの「バビロン*6」、といったそれ以降のヒット曲において、wowakaさんが影響を与えていることは間違いないと言っていいと思います。

 

そして、僕個人としてエポックメイキング的な作品であるのが「ローリンガール」。この曲はボカロっぽい作風の完成形だけでなく、ナンバーガールから続く文系ロックの文脈も持っている曲であり、僕が初めてこの曲を聴いた時の衝撃といったら、言葉にできないレベルです。今でも鮮明に思い出せます。

少女というモチーフ。
歌詞全体から漂う生き急ぐ感じ。
ピアノ主体のリフと感情のないミクの声が生む焦燥感。

 

ここで僕が死ぬほど聴いていたNUMBER GIRLの文脈に続く曲がボーカロイドに現れ、点が線として繋がったのです。絵にするとこんな感じ。

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高速ボカロックの曲たち単体で見ると、NUMBER GIRLからの線がつながらず、この絵が描けないことがポイントです。前述したwowakaさん以降のヒット曲たちからは、NUMBER GIRLの匂いは感じられない。けれど、wowakaさんがいることでロックの文脈として繋がるのです。

 

ちなみに、ロッキンユーという漫画でも、この音楽の影響の流れは明確に提示されています。「透明少女」を部活動紹介で轟音で鳴らす先輩。そして次の校内ゲリラライブは「ワールズエンド・ダンスホール」。この展開が偶然とは思えない。

 

shonenjumpplus.com

ワールズエンド・ダンスホールは3話です。無料で読めない。すまない)

 

どうでもいい僕の話ですが、僕はBUMP OF CHICKENからロックに入り、そこからくるりスーパーカーナンバーガールにどっぷり浸かるという灰色の青春時代を送った人間の辿る文系ロックの王道ルートをなぞってきました。米津玄師がバンプ好きを公言しているように、バンプの影響はそこかしこに溢れています。ボカロの物語性のある歌詞もその一つ。バンドリの愛美もバンプが原体験だったはず。しかし、邦楽ロックで凛として時雨アジカン椎名林檎が影響を公言し心酔しているナンバーガールの系列がボカロに出力されないのが物足りなかったのです。そして、ずっと待っていたそれは最高の形でwowaka氏からアウトプットされたのです。

 

ローリンガールという曲は、PC一台で、自らの声という「感情を最も表現する楽器」を封印して、それでもNUMBER GIRLの奏でた焦燥感を鮮やかに鳴らせるということを証明した曲でした。wowakaさんはこうして、PC一台でロックの歴史の一つの線を繋げ、ワールズエンド・ダンスホールにてそれを締めくくったのです。PCの前で貧乏ゆすりしながら踊ったっていいじゃない、と。

 

そして早々にロックの焦燥感を無機物に乗せることに成功した彼は、ヒトリエでそれに肉体性を再度復活させる試みをして、そこでも成功を収めました。今や邦楽バンドの一つの登竜門となったアニメのテーマソングにも取り上げられ、これからさらに羽ばたく、そんな時に。

 

しかし、これまで語った通り、彼はここ数年で一人が成し遂げたとは到底思えないレベルの影響を与えたんだと思います。これで肉体性に回帰してさらに無敵になり、米津玄師と同じようにお茶の間で話題になる姿が見られなかったのが残念ですが、別にお茶の間に知られなくたって、すでに多くの人の心に刺さり、過去の邦楽ロック(文系側)とボカロを一本の線でつなぎ、数多のフォロワーを産んだという点においては、すでに米津玄師に勝るとも劣らない影響力と言って差し支えないでしょう。その影響力が偉大だからこそ彼の訃報が受け止められない人がたくさんいて、僕もその一人なのですが、ファンとしてただ語りたかったので気持ちが整理できないまま語ったのがこの文章です。

 

****

 

もし、もしも、初音ミクという概念が、形となってこの世界のどこかに存在すると仮定したなら、彼女がロックのステージをする時には、wowakaさんの曲が選ばれて、初音ミクの隣でwowakaさんがギターを弾くことになるんだと思います。きっとね。

 

 

 

 

*1:リズムはヒップホップっぽくもあり。

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*2:ミクが歌うと少しダークで怖いのだが、格好つけて歌うとビジュアル系っぽくもなる曲。

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*3:ドラムがリフとユニゾンしていてリズム隊というより感情の発露みたく聞こえる。

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*4:wowakaさんの別名義みたく言われていたりしたけれど、歌詞の書き方が全然違う。言葉遊びが面白い。

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*5:わかりやすくも衝撃的な歌詞とあまりにキャッチーなメロディで大ヒットしました。

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*6:ハチさんの影響も受けた感じがする世界観重視の高速ボカロック。

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上から目線のすヽめ

友達と話していてよく聞く困りごとランキング上位に位置するのが「過去の自分をひけらかして自慢するオジサン・オバサン」への対処。例えば市役所勤務の友人なんかは元市役所勤めのオジサンが窓口にやってきて、

「手際が悪いなあ。俺の若い頃は……」

と説教風自慢が始まるとのこと。なかなかのストレスになるらしいのです。

そんなとき、僕がよく思い出すエピソードがある。これは友達の話なんですが、当時小学校四年生だった友達は、父方の祖母が体調を崩し入院してお見舞いに行きました。そこで友達は母親と親戚のおばさん同士の話を聞いていたのですが、

「◯◯は本当に賢くてねえ、すごく物覚えがはやいんですよ。この前も……」

「◯◯ったらそこで、玄関の前で健気に待っててねえ」

という親戚のおばさんの会話を聞いて、物凄く対抗意識を燃やしたらしいのです。

「僕もこの前の漢字テスト100点だったよね」

「僕も毎週お風呂掃除手伝っているよね」

その時の母親の苦々しい顔になんとなく違和感を覚えながらも、少年は割り込み続けました。そしたら、帰りの電車の中で母親は言ったのです。

「あれ、親戚おばさんのの話だったんだけど……」

僕、じゃない友人は流し聞きしてて気づかなかったんですが、どうやら僕、じゃない友人は猫に対抗意識を燃やして僕もこんなに優秀だよアピールしていたと。もう、赤面ですよ。顔から火が吹き出るかと思った(友人談)。恥ずかしすぎて、20年以上経った今でもたまに思い出すトラウマエピソードとなっています。友人の。

 

まあしかし、当時のゆうじ……僕は友達がうまく作れず、昼休みに図書室でシャーロックホームズと漫画「ことわざ辞典」を読みふけっていたので、承認欲求が著しく満たされていない状態だったのです。だから、他人が褒められていることに(他人が猫でも二歳児でも)耐えられず抵抗してしまったのです。そして、ここまで読んだらお分かりかと思いますが「過去の自分をひけらかして自慢するオジサン・オバサン」の心理状態は当時の僕にひどく近いのではないかと予想されます。

つまり、あなたが不幸にも彼らに遭遇した時に思うべきは腹たつ、とか、ムカつく、とかではなくて「承認要求満たされてなくてかわいそう……」 なのです。だって猫に抵抗した小学校四年生の僕と同じ心理状態なんですよ! 可哀想でしょう! こうやって思うことで、腹立たしさが少し減るので、精神衛生を保つテクニックとして覚えておいてください。

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かぐや様は告らせたい14巻より

ちなみにこのテクニックは応用がとても効きまして、僕などは全人類に対して上から目線で生きていますので、逆に博愛主義者ではないかと思えるぐらいなのですが、どうでもいい依頼を丸投げしてくる使えない同僚、やたら否定から入る昭和な感性が抜けない上司、購入用紙をコピーするのになぜか三十分かかった店員、などなどが自分に迷惑をかけた時も「かわいそう……もうすぐAIに代替されちゃうんだな……」と思うことでかなり精神衛生が保たれます。

 

ちなみにくれぐれも、間違って口に出さないようにしてください。人間を怒らせるもっとも簡単な方法は事実を述べることですので、口に出した瞬間、それはもうこの世で見たことがないぐらい顔に「怒り」マークがでた人間を見ることになるでしょう。

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HUNTER × HUNTER より

 

まあしかし、よくよく考えると、猫は自慢していいのに小四の僕やおじさんは自慢しちゃいけないって不公平ですよね。それに、市役所のおじさんや当時の僕がこういう自己承認欲求が満たされていない状態を自覚してしまうと、それはそれで心の中に闇を詰め込む状態になって辛いと思います。世知辛いことに、聞かされる方も辛い、聞かせられない方もそれはそれで辛い。

この辺りの心理は平成の名曲「チキンライス」で書かれており(「せめて自慢ぐらいさせてくれ!」とはっきり言ったJ-POPは珍しいなと思ってました)、こういうところからも松本仁志ってやっぱり目の付け所が優れているなあと思ったりします。

チキンライス 浜田雅功と槇原敬之 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

それでも僕は小学校四年生当時の僕のようなことをいうおじさんとは一秒も話したくないので、やはりここはVR空間がもっと発展して、おじさんが美少女アバターにて承認欲求を満たす時代が早く来ないかなあと思っています。この記事の僕のすヽめはあくまで暫定対処。全人類の承認欲求を満たすのが根本対処。

 

美少女ならば、それだけですべての人類から承認されるはずなのです(断言)。

かぐや様は告らせたいを全人類に布教したい〜エモくて理性的で抱腹絶倒の最高傑作の14巻〜

かぐや様は告らせたい?天才たちの恋愛頭脳戦? 14 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

作者の赤坂アカ氏は僕より年下なのですけれど、この情報過多の現在において、幼い頃から情報を取捨選択できる選ばれし人たちはそれほど年を取っていなくても本当に賢いなあと思います。僕は伊井野ミコを実は推していまして、不器用な彼女が活躍するエピソードはどれも泣くぐらい好きなのですが、12巻第115話の彼女のセリフ、

「いいですか!! 確かに条例は厳しい! 自治体も渋ってます!
 それは私たちが大人から信用されていないからです!!
 じゃあ大人の信用を勝ち取るために必要な事とは!?
 風紀です
 風紀委員とは大人から信用をもぎ取る仕事の事なんです」

という台詞の持つ多角的な視点に感動しました。どんな創作でも忌み嫌われ敵として扱われやすい風紀委員を、これほどまで冷静に評価した創作が今まであっただろうかと感動し、そして僕より年下の人たちの溢れる知性に恐れおののいたものです。きっと赤坂アカ氏はこの視点があればサラリーマンだとしても大活躍でしょうね……。

さて、前置きが長くなりましたが。そんな風紀委員の彼女が勝ち得たキャンプファイヤーも重要な伏線となっている本巻。長い文化祭編がついにクライマックス。

すでに我慢できずに、(普段はコミックス派なのに)ウルトラロマンティックを先読みしてしまった方々も多いでしょうが、それの素晴らしさはもう言わずもがな、それ以外にも珠玉の話が多く揃っています。まず最初の第132話から刺さります。かぐや様が会長を好きな理由。

「大勢で歩く時……列から離れて歩く人がいると ちらりと振り向く時の横顔が好き
 心配になる位眠そうな目元とか
 難題にぶつかった時の引きつり笑いとか
 嫌味なほど実直で 地味に負けず嫌いで 人は頑張れば何にでもなれるって思わせてくれる姿が 好き」

もうここで涙がでます。これは絵がついてなくても十分に通用する表現です。その意味の深さは歌詞かと思うぐらい。最初の1行をみてください。これだけで、たったこれだけで会長の人間性とかぐやとの関係性が鮮やかに表現されています。いろんな人を気にかけてしまう、でも大勢の人を率いているから構うこともできずちらりと振り向く。手を差し伸べるべきか分からず何もできない自分の無力さから、少し悔しそうな、それでいて心配そうな横顔。溢れ出る優しさ、器の大きさ。そして、これを好きな理由の一番最初に挙げるかぐや様は本当に会長をよく見ていることも分かる。

理性的なのに、溢れるほどエモい。一見相反する要素が奇跡的なバランスで成り立っていることこそ、この漫画の稀有な部分です。ついに二人がキッスをするウルトラロマンティック回の135話136話においてそれは最高潮に達し、両者のモノローグは、まるで心の和歌を送りあっているようです。

そしてそんなシリアス回を経て「ついに二人はキッスしたから終わりに向かうのか」と思う読者を裏切るような抱腹絶倒のギャグ回の連続。早坂とかぐやの掛け合いの良い意味での低レベルさとテンポの良さににやけが止まらない。かぐや様のコメディ要素は実は決して軽くないこの作品の根幹のストーリーをうまく中和してポップにするという意味ですごく綺麗に機能していると思います。

14巻で綺麗に終わればよかったのに。かぐや様は多重人格なの? そんな声も分からなくはないです。確かにこの巻はこれまで緻密に積み上げて来たかぐや様の面白さの到達点といって差し支えないものですし、ここまで面白いと今後失速しないか心配にもなります。でも、でもですよ。こんなに面白い漫画が14巻で終わるなんて耐えられますか? いかに綺麗に完結しようとそこで満足できなくないですか? もっと読みたくないですか?

だから、ここで綺麗に終わらず続いてくれて、本当によかったなあと思うのです。石上はやはり最後には伊井野ミコと付き合うことになるのかなあと予想したりしながら。(石上が撮ったキャンプファイヤーを楽しむ人たちの写真を見るミコちゃんの目が本当に尊かった……。この巻には一体何個山があるのだろうか)

 

Amazon レビューにも書いてます

最低なある日、僕は世界を滅ぼすことにした。2

 気分転換用の部屋で気分転換をせずにノートパソコンをカタカタして仕事をしていると、久しぶりにケビンに会った。

「何をしているんだい?」

「ゴーゴルの考えたプロトコルを調べて、お客様に展開する資料を作っているんだ」

「ふうん、不思議だな。そういうことをしなくて良いように注意深く書かれたドキュメントがインターネットに置いてあるはずなんだが。もしかして、翻訳かい?」

「いや、お客様というのはそういう技術文章は1ミリセック(1/1000秒のこと)しか読まないんだよ。あとの23時間59分59秒と999ミリセックは、明日のゴルフ接待のことを考えるものさ」

「ショウワだねえ。もうすぐヘイセイも終わるというのに」

 相変わらずケビンの日本語は流暢である。わざと外国人っぽい発音で「ショウワ」「ヘイセイ」というあたりシャレが効いている。

「しかし、どうしてみんなやりたいこともないのに新しいプロトコルにチャレンジしようと思うんだろう?」

 僕は、隣のホワイトボードにヴァージョン1.0のプロトコルを書いた。

START

僕 → GET PS4 → 親

僕 ← OK PS4 ← 親

END

 

START

親 → POST(4万円) PS4 → 店

親 ← OK PS4 ← 店

END 

 「凄まじくシンプル。クールだね。1ミリ平方メートルの脳みそが1ミリセック読めば理解できるしくみだ」

「だが、この場合君は、PS4を手に入れることができたか怪しい。だって本当は、こういうことだからね」

 ケビンは僕の書いたホワイトボードにさらさらと情報を足していく。

START

親 → POST(4万円) PS4 → 店

親 ← OK PS4 ← 店

親 → GET PS4の周辺機器リスト → 店

親 ← OK PS4の周辺機器リスト ← 店

親 → GET PS4の周辺機器A → 店

親 ← OK PS4の周辺機器A ← 店

親 → GET PS4の周辺機器B → 店

親 ← NG 品切れ ← 店

親 → GET PS4の周辺機器Bの代替品 → 店

END

「ほら、単純にやりとりしようとすると、こんなに時間がかかるのさ。だから僕らは新しいプロトコルを開発した。そう、こんな感じに」

START

親 → POST(4万円) PS4 → 店

親 ← PS4の周辺機器A ← 店

親 ← PS4の周辺機器Bの代替品 ← 店

親 ← PS4の周辺機器C ← 店

END

 これがヴァージョン2.0。なんともわかりやすかった。お客さんが今日ニュースゼロを見て今日のニュースに悪態を吐く時間に少しでもこのことを理解してくれれば。いや、これを理解してもらうのが僕の仕事なのだ。例え、小学五年生がスマホアプリ開発で賞を取る時代だとしても。僕は幼稚園児にはじめての折り鶴の折り方を教えているのだろうか。いや、幼稚園児は折り鶴の折り方を真剣に読んでくれる気がする。では僕は赤ちゃんにミルクの飲み方を教えているのか。ミルク2.0。粉ミルク。自然派ママが血眼になって「それでは自然ではないから子供が健康に育たない!」と追いかけてくる。その通り、だから僕はこんな歪んだ人間に育ったのかもしれない。

「なあ。僕が好きなジャパニーズアニメのセリフに、こういうのがあるんだ。

『人間の本質は石器時代から一歩も前に進んじゃいない。』

 君は今、石器時代の人間に電灯の使い方を教えようとしている。それはそもそも前提として無理な話だよ、だから」

 ケビンはもったいぶって、言った。

「この世界を滅ぼして、石器時代に戻すしかないのさ」

 

****

 

「また、ゴーゴルの人間が新しいプロトコルについて語っているな」

「そう、こうして仕事を効率化して。人々から雇用を、誇りを奪っていくのよ」

「まったくだ、こうなったら一刻も早くメキシコに壁を作る計画を進めなければ」

 白い白い建物の真ん中で、盗聴器に耳を傾ける男と女。彼らは誰か? それは、あなたもよく知っている人間。きっと先刻の「僕」と「ケビン」も、よく知っている人間である。

「ねえ、トランプ。またマクドナルド食べているの? 体に悪いわよ」

「好きなものを食べて体に悪いわけがない。そして、マクドナルドは雇用を生んでいる。雇用を生むものは素晴らしい! だから私はハンバーガーを食べる。シンプルだろう?」

 彼は、デイジー・トランプ。

 「僕」が壊そうとしている、世界を救おうとする救世主だ。

遅刻常習犯 vs 時間守る人の戦いを終わらせたい。

レンジで簡単美味しい、というレシピには「ただし茹でたほうが美味しい」という注記が必須だと思います。期待して裏切られるのは嫌なのです。そういうのは無限ピーマンとかレンジでほぼ最強の味が出るものだけにしてほしい。というわけでこんばんは。

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https://www.fate-go.jp/manga_fgo2/comic23.html より引用

ところで、ツイッターランドという地獄(インターネットの八割はリアルが充実してない人の呪詛で成り立っているので、つまり、インターネットは地獄)では、定期的に地獄の釜を開ける人間が現れ、それらを袋叩きにするという事象が発生します。今回はこちらでした。

 これを起点に遅刻常習犯 vs 時間を守る人の戦いが始まり、そしてどこにも結論が出ないまま収束していく。そんなループが繰り返されています。これは永遠に続く人間の業の可視化だと思うのですが、それはそれとしてはてな鹿目まどかと呼ばれる予定な僕としては、この輪廻を断ち切りたいと願い、筆をとるに至りました。

例えこの後、またこの議論が繰り返されるとしても、僕はいやらしくこの記事をその議論の発端にリプライし続けていこう。それが例えろくに読まれもせず大衆に踏み倒されていく看板だとしても、それを立てることに、意味があったと思いたい。

さて。

まずこの議論をする前に、登場人物を整理したい。よってこうします。 

  時間を守ることが超苦手 そうでもない
遅刻常習犯 時間を守りたいが結果遅刻するハル できなくはないけれど遅刻するナツミ
時間守る人 死ぬ程努力して遅刻しないアキ 普通に時間を守るフユミ

ツイッターランドの面白いところは、この春夏秋冬がすべて「これは自分のことだ」と議論に参加するわけですが、それは違うのです。あなたのことではないのです。

例えば 「死ぬほど努力して遅刻しないアキ」が「できなくはないけれど遅刻するナツミ」対して怒る。これはまあ、感情の動きとして当然です。あなたが漫画家志望として、死ぬほど努力して持ち込んで、やっと連載会議に通ったのを尻目に、サボりながら適当に描いたWeb漫画が編集者の目にとまったがデビューが面倒で連載しなかった友人を見たら嫉妬して、怒りたくなりますよね。当然です。でもそれは議論の余地はありません。

同じように「死ぬほど努力して遅刻しないアキ」は「時間を守りたいが結果遅刻するハル」を理解してあげられるでしょう。ハルはアキを尊敬するでしょう。この辺りは必ずバズったツイートのまわりにぶら下がりますが、多くの人が議論したいのはそこではないのです。

というわけで、各方面への矢印を整理しましょう。

  • 努力遅刻ハル→サボリ遅刻ナツミ:もっと頑張れよ!
  • 努力遅刻ハル→努力時間厳守アキ:すごい!
  • 努力遅刻ハル→時間厳守フユミ:羨ましい。
  • サボリ遅刻ナツミ→努力遅刻ハル:ごめん。一緒に頑張ろう?
  • サボリ遅刻ナツミ→努力時間厳守アキ:ごめん。すごい努力だね。
  • サボリ遅刻ナツミ→時間厳守フユミ:い い た い ことが山積み!
  • 努力時間厳守アキ→努力遅刻ハル:分かる。時間厳守難しいよね。
  • 努力時間厳守アキ→サボリ遅刻ナツミ:ずるい!! 怒るよ!!
  • 努力時間厳守アキ→時間厳守フユミ:頑張ってついていく。
  • 時間厳守フユミ→努力遅刻ハル:わかってあげたいけれどイライラ。
  • 時間厳守フユミ→サボリ遅刻ナツミ:い い た い ことが山積み!
  • 時間厳守フユミ→努力時間厳守アキ:本当に素敵。

お分かりでしょうか。結局言いたいことは時間厳守フユミとサボり遅刻ナツミの間にしかないのですよ。つまり、やればできるけれどやる人、とやらない人がいつも戦争を起こすのです。この地獄への参加資格はこの「やれば時間が守れる人」の間なのです。

というわけで、登場人物を春夏秋冬から夏冬に整理できたところで、夏と冬間で良く交わされる言葉たちをまとめてみましょう。まずこちら。

 

「時間を守らないのは人として終わっている」

まず、大丈夫です、これは努力遅刻ハルには言ってません(念押し)。仮に努力遅刻ハルにこれを言う人がいたとしたら鬼畜野郎なので無視しましょう。でもこれはいけません。何がって、主語が大きすぎる。「人は分かり合えない、だったらみんな死んじゃえばいいんだ!」に近いものがあります。ここはディベートの国。碇シンジ君はエヴァンゲリオンの世界に帰ってください。あのですね、そこまで主語を大きくするなら言いますけれど、遅刻は罪に問われますか? 問われませんよね? 遅刻三回で地方裁判所に呼ばれませんよね? だからあなたの言葉はこう言い換えるべきです。

「時間を守らない人は私の友達にしたくない」

「時間を守らない人は私は嫌い」

何の問題もありません。あなたの友達の好みはあなただけのものですから。

類語:時間を守らないのは社会人として終わっている

言い換え:私が過去仕事で関わった10人の顧客はみんな時間を守らない人を信用しない

 

「時間を守らないのは私を大事に思っていないからだ」

よくありますが、これもあまりよろしくありません。というのも、これはメンヘラの思考に近いからです。「私を見てくれない、私に合ってくれない、私を抱いてくれない、あの人にとって私は必要ないものなんだわ、殺そう」そのままSCHOOL DAYSの世界へどうぞ。

あのですね、人はそれぞれ大事なものがあるわけです。あなただって、大切な顧客資料作成を片付けてから少し遅れて打ち上げにいくことはあるでしょう。その時に「仕事と私どっちが大事なの?」って言っちゃいます? ぜひキンプリの平野紫耀君に「そんなこと言わせて、ごめんな」と抱きしめてもらってください。かぐや様は告らせたい、実写化おめでとうございます。僕は応援します。

その人が遅刻前に何をしていたか、本当に突然の大事な用事に慌てていたか、ただゆっくりしていたのか、それはわかりませんが、証明することは難しいです(ストーカー的に監視カメラでもつければ分かるかもね)。つまりですね、遅刻はあなたが友達として大事かどうかを判断する材料としてとても根拠の弱いものです。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」見ました? フレディ・マーキュリーが遅刻して「僕は時計じゃない、パフォーマーだ」と嘯くシーンがありますが、フレディ・マーキュリーQueenのメンバーを大事に思っていなかったでしょうか?

あなたが言うべきは一つです。

「言い訳すんな、私は怒っている、遅刻を謝れ」

(ちなみに別のシーンで、メンバーより早くフレディが来ていたので、フレディを「サボリ遅刻ナツミ」と分類しています)

 

「時間を守らない人はクリエイター気質だ」

これもまた議論を発散させますね。60億も人間がいるんだから、なにかを創作して生きているけれど、時間を厳守する人を探して見つからないと思います? 三島由紀夫は時間を守りますよ。参考リンク貼っておきます。

blogs.yahoo.co.jp

時間を守りたいが結果遅刻するハルか、できなくはないけれど遅刻するナツミか、それだけの分類してください。時間を守らないのを何か別の良い性質の発露だと捉えないように。いや実際そう言う面はあるかもしれませんが、今は遅刻の話をしているのです。クリエイター気質の話をしているのではありません。津田さん、これはそう、あなたにも言っています。遅刻は臨機応変ではない(でもわざとだ、きっと)。

 

「時間を守らなくても連絡はこまめにしてるし、時間も潰せるでしょ?」

時間を守ることを正義というつもりはないですし、それをこれまで丁寧に説明しているつもりですが、それはともかく、相手が怒っている(もしくは怒りそう)のに、逆撫でするようなことをいうのはよくないと思います。これは気遣いの話です。

なお、時間を守らない人は、一応罪悪感を感じているのか実際に着く時間より早く到着予定時刻をLINEする傾向にありますが、遅刻している時点で10分も20分も相手を怒らせるかどうかは変わらないので、素直に時間を連絡するようにしましょう。

「あと10分で(駅に)着く(から待ち合わせ場所までは20分、迷うと30分)」

という代わりに、

「あと30分で着きそう」

と言いましょう。繰り返しますが、これは気遣いの話です。

 

「僕は遅刻するから、君も遅刻していいよ」

これは最低のセリフです。誰もが、心に自分ルールというものを持っているのです。るろうに剣心に「俺は殺すから、お前も逆刃刀やめろよ」と言えますか? 斎藤一役でもやっててください。斎藤一はこんな言い方しないけれど。

あなたが自由に遅刻前の時間の過ごし方を決められるように、時間を守る人も自由に時間を守ることができます。その自由を侵すことはできません。会話は大事ですが、この提案は悪手極まりないので、もう少し会話の練習をしてください。

 

「遅刻は悪なんだから遅刻するやつは死ねよ」

もうちょっと疲れて来たので雑にいきますが、そういうのが戦争を起こして来たんです。いい加減に過去の歴史から学んでください。切嗣に「人間の本質は石器時代から何一つ変わっちゃいない」と言われますよ。そして日本は法治国家です。遅刻した人を殴ったら、あなたが現行犯逮捕されます。なぜインターネットでは言葉で殴っても現行犯逮捕されないんでしょうね。ここが地獄だからですか?

 

<まとめ>

  • 遅刻の議論をするときは「時間を守ることがやればできる」人を対象にしよう。
  • 遅刻は罪ではない。主語を大きくせず、素直に怒っていることを伝えよう。
  • 遅刻は罪ではないが、自分の遅刻を怒っている人には気遣いをしよう。

ちなみに、私はわりと「甘え」で大事な人との約束に遅刻する人なので、時間を守る僕以外の家族とよく喧嘩になります。そして最後は「僕・私がむかつく」と言われて「ごめんなさい」と謝ります。褒められたものではありませんが、まあ、そういうのが、平和な世界なのかもしれません。

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