ありがとう過多

2007年の一発目の記事から、いきなり詩を投稿してみる、そんなささやかな抵抗。
しかも表示する記事数を一日分にして、かなり殺風景なブログを演出してみました。
あけましておめでとうの、「あ」の字もないところが自分としては結構好きです。
どうもあけました。
コメントしにくい記事が多いと巷でうわさの(注:うわさではありません)、
「夕陽の眩しさの理由」管理人のso-naです。


さてさて年末と言えば、僕は岐阜の実家に帰りまったりだらだら過ごしていました。
大晦日は世間の風潮に逆らい、かたくなに紅白を見たりとかね。


後半一発目の絢香の堂々とした歌いっぷりを、素直に格好良いと思ったり、
小林幸子の衣装が全然大したことなかったり、
和田アキ子の「萌えー☆」の発音が間違っていたり(山口「もえ」のほうの発音)、
そしてDJ OZMAのパフォーマンスにびっくりしたり。
(そのときTVのある部屋には、ばっちり家族、親戚の家族、祖母がいました。)


ただ、今年は全体的に演歌が多かったなあ。もう少し若者が欲しかった。
まあ、去年のスキウタとかよりは良かった気がしますけどね。


とまあそんなこんなで年も開け、そのままCDTVを見ていました。
今日のお話は、そのときの今年のCD売り上げランキングTOP 50から始まります。


一時期狂ったようにランキングを求めていた僕も、今となってはそこまで興味はなく、
去年売れた曲を確認するように見ていたんですが、なんかひっかかるんですよね。


あれ、この曲もだ。
あれ、この曲もだ。


「ありがとう」って言葉、多すぎ!!


そもそもありがとうって言うのは、
夢とか希望とかと同じくらい薄っぺらくなりがちな言葉だと思うんですよね。
そして、何回も繰り返すと効果が薄れる言葉でもあります。



例)
「あ、シャーペン落ちちゃった」
「取ってやるよ、ほい」
「ありがとう」
「おう、気にすんな」
「っていうか、隣に座っててくれてありがとう」
「ん?お、おう」
「っていうか、僕と同じクラスにいてくれてありがとう」
「………」
「そもそも、僕と同じ時代に生きていてくれてありがとう」
「その君を生んでくれた、お母さんにありがとう」
「そのお母さんと恋に落ちた、君のお父さんにありがとう」


(中略)


「ご清聴ありがとう」
「ぶっ殺す」



となりかねない言葉です(スイマセン、今しなやかに話が逸れました)。
まあとにかく、しつこく言うとありがたみが薄れるって言うのはなんか分かると思います。


その「ありがとう」が、TOP 50の曲の中にでるわでるわ。
そもそも一曲4フレーズぐらいしかないはずなのに、鬼のように出てくる。
去年は、ありがとうのバーゲンセールでしたっけ?
今日はPARCOのバーゲンセールでしたが。
結局、彼女に「変なの」と言われた2000円のベルトしか買いませんでしたが。
(スイマセン、今まろやかに話が逸れました)


なんだか、いらいらしつつ、ちょっぴり悲しくなりました。
ランキングにこだわってもしょうがないけれど、やっぱりランキングTOP 50という、
単純にたくさんの人に支持された曲達であり、どうしたって耳にする事が多い曲達に、
薄っぺらいありがとうが羅列されていたのには、どうにも嫌な気持ちになりました。


みんなそんなに、ありがとうが言えてないのかな。
と言うように、ここで社会情勢を憂う話に摩り替えることもできるけど、
結局僕は、そんな単純な奇麗事の羅列の歌詞で、
違和感を持つ人が少なく、しっかりと売れてしまうのが悲しいって言うかくやしいんでしょうね。
歌詞ってあんまり大事にされていないのかなあ、とも思ったりね。


もちろん、僕の大好きなRADWIMPS4にも「ありがとう」はかなり多く使われているし、
彼らはそこに微塵の薄っぺらさもないし、そういうアーティストも多いんだろうけど。なんだかな。


そして、僕はそのまま午前三時ごろに眠りにつき、目が覚めてまたテレビをつけると、
「1000人がありがとうを合唱」「言えなかったありがとう特集」
とかやっていて、年の初めから僕は、心底うんざりしてしまったのでした。