「そう、それなんだけれど、君はいつ俺のブログが狂っているって気が付いたの?
確か……何か決定的な証拠を見つけたからとか、コメントに書いていたっけ。
『ブログを消して』なんてコメントはあまりにも衝撃的で、何度も読み返したから、よく覚えてるよ。」
「それは、あなたが日記をたくさん書こうと決意するずっと前に書いていた話。
『世界の終り。』というタイトルの記事を見つけた時なの。」
「『世界の終り。』……そういえば、そんな記事を書いたような気がするな。結構前に。」
「それまでは、あなたが見た夢の内容を面白いと思って読んでいた。
きっと、ブログのサブリミナル効果で脳が上書きされていても、
本当の世界の記憶が残っていて、それをいくつかのきっかけによって呼び起こされて、
夢という形で見ているんだろうなって。
でもそうではなかった。あれは予兆だったのよ。
それに気がついたのが、過去ログを遡って、『世界の終り。』という記事を見つけた時。
あなたは当然、自分の創作した物語だと思っていたんでしょうね。
でも私から見れば、あの文章は、現実の世界を描写したただの日記にしか思えなかった。
あの、自殺者が飛び降りてくる中でお茶を飲むナンセンスなカフェは、有名な場所なのよ。」
「そのカフェは、確か例の夢の中でも見たような気がする。
ひどく後味の悪い夢だったから、覚えてる。」
「そうね。そこで私は、その『世界の終り。』という記事の存在を踏まえて、
もう一度あなたの日記、そしてあなたの見た夢について考えてみた。
するとあの夢が、ただ『真実の世界の記憶を断片的に見ているもの』とは思えなくなった。
そもそも、一つ一つの夢が、物語のように明確なつながりを持つはずがないのよ。
私はこういう仮説を立てた。あの夢は、何かによって記憶の扉をつつかれたあなたが、
真実を思い出す予兆だったんじゃないかってね。
そして、『世界の終り。』を書かせたところから考えても、
その閉じた記憶の扉をつついているのは、明らかにあなたのブログなのよ。」
「ちょっと待ってくれ。だとすると、あの夢は俺のブログが作り出していたものなのか?」
「そこまでは分からないけど、すべてこのブログの創作ではないと思うわ。
きっとこのブログの意図と、あなたの記憶が混ざり合って出来たものなんじゃないかしら。
あなたの記憶ともリンクしてるし、真実に近づくように連続性も持っているもの。」
「なるほど……。」
「ともかく、私は思ったの。このままあなたのブログを放置しておけば、
きっとあなたと、あなたのブログを読んでいる人達は、
真実の記憶を呼び起こされてしまうんじゃないかってね。
そして、私の予想通りに事は起きた。
あなたが書いた記憶のないという『日記19』で、このブログは世界に真実を提示してしまった。
まさかあんな、書いているあなたにさえ違和感を感じさせるほど、
直接的な方法を使うとは思わなかったんだけど。」
「でも、俺は『日記19』を読んだ時、誰かの悪戯か何かだと思ったぜ。
現に俺の記憶を引き戻したのは、それとは違う、音楽的なきっかけによってだしさ。」
「そのあたりは個人差があるんでしょうね。
でも、もしあなたがあの『日記19』を読んでいなかったら、
その音楽的なきっかけに出会っても、『思い出す』ところまでは至らないんじゃないかしら。
それにあなた、確かあの日記が書かれた後に、日常に変化があったと言っていたわよね。」
「あ……そういえば。彼女が家に来て……」
彼女との奇妙な同棲生活がはじまったのは、あの日記がアップされた直後だ。
そうか、彼女はあの日記を見て、『思い出した』から家にやってきたのか。
だとしたら、僕の両親が彼女の存在に気が付かなかったことにも納得がいく。
僕の両親のほうこそ、僕にだけ見える幻だったのだから。
脚本が違えば、登場人物も違う。きっと、違う脚本の登場人物は、交わることができないのだろう。
「……どうしたの?」
「いや……薄々感づいていはいたけど、これでもう確実になってしまったなって。
俺の両親は幻で、もう生きていないってことと、
俺の彼女は幻ではなく、生きているっていうことが。
……よく分からないよ。彼女は生きている、でもお母さんとお父さんはいない。
きっと大好きな友達のほとんども、いない。」
「喜び」とか「悲しみ」とか、そういったラベルが付けられないごちゃまぜの感情が、
心という器をいっぱいに満たして、今にも溢れそうだった。
僕はなんとなく、Kさんに涙を見せるのは嫌だったから、それを必死で堪えた。
「……よかったよ。」
「え?」
「俺のブログが、大してヒット数がないブログでさ。もしこれが、
たくさんの人が見ている人気ブログだったら、もっともっと多くの人が真実を思い出して、
絶望と吐き気を呼び起こされてしまうところだった。
Kさんの言うとおりだったんだ。俺はあのブログを消すべきだった。
どうして気がつかなかった!俺のせいで、俺のせいで!」
僕は、すさまじい自己嫌悪に陥っていた。曖昧だった部分が、Kさんによって容赦なく説明され、
僕の失敗が浮き彫りになって目の前に提示された。僕はしばらくこぶしを握り締めて、
ずっと天井のある一点を見つめていた。目の前にいる黒髪の女の子は、
僕が黙っている間、同じように黙っていた。いつものような、断罪の言葉はなかった。
時間は、ゆっくりと二人の間を流れていった。
僕は自転車を押して、夜の町をとぼとぼと歩いていた。
こんな時間なのに、車はまだ車道を走っており、交差点の向こうの駅では踏切が鳴っていた。
僕の頭の中を、Kさんの言葉がいつまでもぐるぐるまわっていた。
「……ねえ、どうして俺のブログは狂っていたのかな。
本来、俺に幻想を見せ続けてくれるはずの俺のブログが、
どうして真実を呼びかけるような倒錯した存在になったのかな。」
「これも仮説になってしまうけれど、きっとブログをプログラミングした集団の中に、
異端な考えを持った人がいたんじゃないかしら。
『記憶を操作して偽りの世界で生きていくなんて、間違っている』って。
そして彼は、いくつかのブログに、意図的にバグを忍ばせておいたのよ。
受け取った人を騙すのではなく、真実を教えるようにね。
それが、たまたまあなたの受け取ったブログだった。」
僕はKさんについて考えた。今日の彼女は、とても饒舌だった。表情もどこか明るく、
相変わらず冷たい光を放っていた目の奥底にも、微かな光があったような気がする。
彼女は僕等が「思い出す」のを阻止しようと、コメントをくれた。
けれど、本当は思い出して欲しかったんじゃないだろうか?
僕とこうやって話すために。自分と同じように、真実を知る人を増やすために。
それは、ごく自然な感情のように思えた。
Kさんは言っていた。人に考えを押し付けるのは嫌いだけど、僕のブログによって、
真実を知る人が増えたことは、結果的には良かったんじゃないかって。
脚本が決まっているということは、死すらも決められているということで、
その上を歩いていくだけなんて、そんなの生きていると言えないんじゃないかって。
僕はその言葉に対して、うなずくことも否定することも出来なかった。
Kさんを恨む気持ちがなかったといえば嘘になる。
僕のブログを消すために、もっと強制的で確実な方法はなかったのだろうか?
なんとかして、僕のブログを消すことに成功していたら、
僕はまだ幻想の中で、幸せに生きていけたのではないだろうか?
Kさんはよく、僕に対して弱いと言った。弱くて結構じゃないか。
誰もがKさんのように強い意志を持って、人生を選べるわけじゃない。
時間が欲しかった。いろいろなことを考える時間、そして、感情を整理する時間が。
そういえば、家で待っている彼女には、行き先を告げていない。
心配してるかな。彼女は、僕が「思い出した」ことを知ると、どんな顔をするんだろう。
Kさんとの長い長い会話は、こんな風にして終わった。
「……今日のことを、俺はブログに書くんだろうね。これも、決められたことなのかな?」
「どうかしら。もう、あなたのブログは『真実を提示する』という役割を終えたわけだし。
これから普通のブログに戻って、あなたに幻を見せるとも思えない。
案外、あなたが打ち込んだ文章が、そのまま反映されるかもね。」
そうか、僕はここにきてやっと、本物の日記を書けたわけか。
まったく、それがどうしたっていうんだろ。