若手・イン・ザ・スケールドメテオフォール開発

 スケールドメテオフォール開発においては、時に自分が信じる神を疑わねばならない。今日はそんな事例を紹介しよう。

f:id:so-na:20190905014102p:plain

 今後ろに座っている若い社員さん。彼女は自分より経験豊かな社員さん(≒預言者)が作ったものを元にして、自分の割り当てられたところを頑張って作っている。そんな彼女が壁にぶち当たって僕に聞いてきた。

 

 「ここの記述ってどういう意味ですか」

 

 そこには「お掃除ボタン」が押された動作が書いてあった。僕は疑問に思いこう返す。

 

 「そのボタン、今は無くなって三つのボタンにわかれたはずだけれど」

 「えっ」

 

 緊急ミーティングがその場で開催され、経験豊かな(はずの)社員さんはうろたえて、お客さん(≒神)に確認します、となった。

 次の日、彼女はまた聞いてきた。

 

 「今確認中のやつ、まだ先に進めないんで、残件チケットを作るんですけど、なんで進めないか理由を書かなければいけないんです」

 そこには、やたら長くて書きづらいテンプレートが定義されていた。僕は疑問に思いこう返す。

 「正しいはずの前工程の文書に不備があって確認中だから、で一行でいいじゃん」

 「それだとルール違反に……」

 そのルールが間違ってるんだ、と思いつつ、ちょっと面白そうだったので、経験豊かな(年のはずの)社員さんがどこでうろたえたのか一緒に見ることになった。

 すると予想通りとても面白かった。

 

 「ここはAを見ろ、AにはBをみろ、BにはCをみろって、これ迷路ですか!?」

 「迷路式記述といってね、参照先に飛ばしまくることで敵が解読できなくするんだ(嘘)」

 「(混乱)」

 

 「ちなみに酷い時は途中からBCBCBCと相互に参照して永遠にゴールがない。これをスマホゲーム記法といって(嘘)」

 「仕事でまで周回したくないです!」

 

 「ところでここにエクセルで非表示となって隠された列があるんだけど、ここに『お掃除ボタン』残ってるし、参照式がこの隠れた列を見ているから、きっとこの掃除機ボタンがその代わりなんだろうね」

 「(唖然)」

 

 「あれ、ここに『このボタンを押されると掃除中になり、すべての機能を止めること』って書いてあります! 私そんなの作ってないです!」

 「漏れてるってこと? それはおかしい、一行一行丹念に分析してたよ。なんてったって経験豊か(な外見)だからね」

 「あっ、ここで元の文章が切れてます

 「コピペ漏れ(笑)」

 

 「あれ、ここ、箇条書きにまとめ直してるけれど、元の文章のどこにもないですよ」

 「多分お客さんの文章が新しくなって、元の記載が消えてしまったんだろうね。なんてったって経験豊か()だから、いつか反映されるよ。いつか(遠い目)」

 

 「えっこれヤバくないですか」

 

 そして彼女は最も重要な知見を得た。それすなわち、自分の与えられた文章は信用できない。そしてその文章の元になったお客さんの文章も信用できない、経験豊か(爆笑)な社員も信じられない、そう。

 

 信じられるのは、自分だけ。

 

 彼女を待ち受ける運命はこうだ。お客さんへの相談結果が返ってくると致命的な事実が見つかる。実はお掃除ボタンはBさんとも関係する! Bさんと繋がる方法を新しく考えねばならない! もう作っちゃったところを直さなければならない! あれだけ面倒だったテストもやり直し!

 

 「しゃらくせえ、なら私が調べる!!」

 

 そして彼女は、仕事をするときに最も必要な主体性を手に入れ、自ら情報を集めることを知る。もし本当にそうなるのなら、この失敗で失ったお金など安いものだ。信じるものを全て失った事実を受け止める事こそ、人が若手、や、新人、から羽化する瞬間、なのかもしれない。

ダンガンロンパV3をクリアしたよ

【PSVita】ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期 SpikeChunsoft the Best

(別館の2017年の記事の再構成です)

 ネタバレ全開です。これから 1mm でもこのゲームをする可能性がある人は、以下の目次をクリックせず、そのままそっとこのブラウザを閉じてください。

 

ノックスの十戒

 推理小説にはルールがある。

ノックスの十戒 - Wikipedia
ヴァン・ダインの二十則 - Wikipedia

 上記は推理小説の基本となるルールである。これはすなわち、推理小説がフェアであるためのルールであり、このルールに則った推理小説において、読者は犯人当てゲームとして推理小説を楽しむことができる。つまり、結末前に犯人を予想するのだ。

 作者は頭を捻らせ、魅力的な登場人物が織り成す難解なトリックによって犯人がわからないまま、読者がページを読み進めていくように設計する。すぐ犯人がわかったらつまらない。作者 vs 読者がフェアプレーの精神に則って犯人当てを楽しむ。推理小説の醍醐味の一つだ。

 しかし、読者も暇ではない。推理小説の犯人当てのために p.80 までで読むのをやめて、登場人物のアリバイをまとめたり時系列表を作ったりする時間がある人は少ないのだ。魔人探偵脳噛ネウロの作者は、一巻表紙裏のコメントにこう書いている。

 「多くの人が推理小説を読むときに犯人を勘で当てるそうです。」

 さらに、推理小説のトリックはすぐに飽和する。複雑で怪奇で珍妙で意外なトリックはどんどん消費されていく。ミステリの黄金期たる1920年代にすでに、アガサ・クリスティという推理の女王は、以下のルール違反すれすれのトリックを有名な著作で使ってしまった。

・容疑者が全員犯人
・物語の語り部(主人公)が犯人
・登場人物が全員死亡(犯人の手紙で後から犯人が分かる)

 このゲームが発売されたのは2017年である。これらの推理小説のルールギリギリを攻めるような意外性は消費され、これを使ったところで読者を容易に驚かせることはできなくなってしまった。そんな心が麻痺した僕らを驚かせるために、仕掛けは極北に至った。清涼院流水は「コズミック」で密室殺人の概念を壊したし、挙げ句の果てに西尾維新は「萌えキャラが犯人」などという搦め手を使って僕のようなオタクを絶望に叩き落したりした。だってもう、語り部が犯人ぐらいじゃ驚いてくれないんだもん。*1

 つまりダンガンロンパ清涼院流水以降の流れに従っている。小高さんの悪意溢れる作風は、戯言シリーズの頃の西尾維新と重なる部分があると僕は思う。軽くヴァン・ダインの二十則を読んでみてほしい。「超高校級の能力」を使ったり、登場人物全員に動機をモノクマが配ったりする時点でもはやプレイヤーはまともに推理することはできないのだ。

 だから僕は今日も、推理パートで出てきた証拠から、なんとなく勘で予想しながら犯人当てに臨む。そして、僕のその推理に対する不真面目な態度をもってしても、驚いて手が震える展開を、悪意たっぷりにダンガンロンパは用意するのである。

これまででもっとも悪意に満ちた第1章

 そして第1章である。ここで使われた仕掛けは以下である。

・萌えキャラが犯人
・物語の語り部(主人公)が犯人
・裁判中にプレイヤーの操作キャラが変わる

 お分かりだろうか。犯人は僕(というか私)である。学級裁判(念のため説明するが、登場人物たちが会話しながら犯人を当てあうゲームである。犯人が当てられなかったら犯人以外全員死ぬ。っていうか、この解説が必要な人はこのゲームを知らないってことで、これからのネタバレ全開の展開を読むってことだね。OK。そこまでの覚悟があるならば止めはしない)中の僕の驚きを想像してほしい。

 「えっ、犯人って私?」

 もう途中から混乱しっぱなしである。いつの間にか、操作キャラ変わってるし。しかし、ダンガンロンパの素晴らしいところは、この意外性全開の搦め手トリックを使っても、決してプレイヤーの手を離さない丁寧さである。トリックは丁寧じゃないが、プレイヤーに対する姿勢は実に真摯である。突然僕が全然感情移入できないキャラクターを操作することになったら、このゲームに対する熱は一気に冷めてしまうだろう。

 そうならないよう、主人公と探偵役を「この殺し合いゲームの中で唯一信頼できる関係」として一緒に行動させ、男の子と女の子にし、さらに男の子側を「自分に自信がない」ところから成長させた。

 こうすることで、プレイヤーは二人に感情移入する準備ができるし、

  突然操作キャラが変わる混乱による自信のなさ
   ≒
  移り変わったキャラクターの特性である自信のなさ

 と自信のなさが共通することで新しいキャラクターのほうの操作をゆっくりと受け入れられる作りになっているのである。すごい。

 混乱の中、前向きでふっくらとしていて可愛い上に、「神田沙也加」というゲーム終盤まで生き残ってもなんら不思議がないCVが当てられた、超高校級のピアニスト「赤松楓」を犯人として指摘して残虐に殺すのだ。僕がこのPSのコントローラーを使って。

 ダンガンロンパは1からこうだった。1の冒頭で、仲良くしていたヒロインがいて「ああ、このヒロインとデスゲームを抜け出すのね」と頭の中のオタク特有の思い込み10訓が発動した後に、見計らったかのように、

  彼女は殺され、
  自分が犯人として疑われ、
  最後に彼女は自分に罪をなすりつけようとしていたことがわかる。

 1でこれなのだ。1~2~3~v3となって、過去作をプレイしたプレイヤーすらも驚かせるというハードルはそれはもう高かった。それをチームダンガンロンパはまさか普通に超えてきた。

  ヒロイン(自分)は犯人であり、
  ヒロインを証拠を提示し犯人として追い詰めさせられ、
  ヒロインがそれを見て「それでいいんだよ」とにっこりと笑って、
  ヒロインは残虐に殺される。

 ダンガンロンパの提供する、良質な悪意はまるでピカチュウギャラドスにかみなりを打って4倍ダメージを与えるかのようなこうかはばつぐんな刺激となって僕に迫った。さらにここでこれまでダンガンロンパではまだ使われていなかった、推理物の邪道な王道「陳述トリック」。アガサ・クリスティのファンの僕としてはこの愛する古典が現代の感性に蹂躙されこのゲーム体験になって帰ってきたことに感動しかなかった。

裁判で嘘をつくということ

 シナリオもさることながら、今作のテーマである「嘘」に従ってアップデートされたゲームシステムでは、「嘘」をつくことができる。この「嘘」が付けるという体験、僕としては想像以上に手に汗を握った。なにせ嘘である。嘘のリスクは失敗したときに周りの信頼を失うことであり、僕はこの悪意に満ちたストーリーから、付いた嘘がバレて言及される展開を予想して非常に怖かった。

 僕は嘘つきである。日常的にそこそこ嘘をついて生きている。サラリーマンは清廉潔白な人には向いていない職業で、僕には向いていた。しかしそんな僕が、ゲームで操作するプレイヤーに嘘を吐かせることにびびっていたのだから、嘘をつくことが苦手な人であれば、このゲームは非常に心臓に悪いであろう。

 学級裁判の難易度は相変わらず良い感じである。何回かプレイしていれば、「これをすれば次の議論に進めるな」とわかる。だが、その答えが「嘘」であるとわかったときの緊張感。こんなゲーム体験は僕はしたことがなかった。他にも「反論ショーダウン・真打」「パニック議論」「議論スクラム」はゲームシステムとしてとても面白かったが、僕はこの「嘘」システムがもっとも良質なアップデートに感じた。やっぱり嘘って、怖いよ。

 

超賛否両論の最終章

 ダンガンロンパV3の評判が良いような悪いような曖昧なものであるのは、すべて最終章のオチによるものだと思う。一言で言うならば、こうなる。

あなた達は記憶を失って「ダンガンロンパ」のキャラっぽい記憶を植え付けられた一般人。殺し合いをすることを知っていて参加したし、その殺し合いは、エンターテイメントとして、お客さんに求められたものなんだよ。  

 嘘がテーマのダンガンロンパV3は、ゲームのキャラたちに「お前らの存在は全て嘘」と言い放つ。そして、お客さん≒ゲームのプレイヤーである僕らだ。そう、ダンガンロンパの新作を待っていた僕らは、つまり、魅力的なキャラクターが凄惨な殺し合いをすることを望んでいたのだ。僕らが彼らを殺し合わせたのだ。

 ダンガンロンパ1・2のように、殺し合いの裏に潜む首謀者のカラクリを暴こうとした登場人物たちは、その行為が限りなく無意味で、首謀者のルール違反を指摘しようがなんだろうが、僕ら(つまり、僕のようなプレイヤー)が求め続ける限り殺し合いは続く、という事実を突きつけられる。林原めぐみ演じる主人公が「はあ?」と連呼して、それでもと希望を探して、それすらもエンターテイメントとして消費されることに絶望する。今回の首謀者はこれ見よがしにダンガンロンパ1・2のキャラの姿と声になりきり、悪意たっぷりに笑う。

 僕はこの展開に吐き気すら催しながらプレイすることになった。

  このオチで全てが台無しになった!
  メタネタもここまでいくと見苦しい!
  これまでのダンガンロンパのキャラクターを冒涜しないで!

 そういう人がこのゲームにAmazonで星1をつける気持ちは痛いほどわかる。しかし、それでも僕は言いたい。これは、奇をてらっていて悪意に満ちていてサイコであるが、とても誠実な展開だ、と。

 この展開を見て思い出すのは、エヴァンゲリオンの旧劇場版だ。映画の中で客席を映し出し、それを見ながら登場人物に会話をさせ、病んだ監督は当時「アニメなんて見てないで現実に帰れ」というメッセージを込めたと言った。

 いつのまにか、あまりに残酷なデスゲームという物語構造に慣れきった僕ら。コンビニの本棚に五種類ぐらいの「閉鎖空間で男女が殺しあう」漫画が並ぶ今、フィションの殺し合いを心底楽しんで消費する僕達への警告。そう捉えることもできるかもしれない。

 でも僕はそういう類のものではないと思う。

 僕らはフィクションにリアルを求めている。普段陰気なキャラクターが突然元気になったら「キャラが崩壊してる。キャラが描けていない」と怒る。ならば、彼らは限りなく「リアル」に作られなければならない。リアルなキャラクターがクリエイターの中に生まれた。それはまるで生きている人間のように。よし、素敵だ。じゃあ閉鎖空間で殺し合いをさせよう。

 ゲームのキャラの立場に立って考えたら、これ以上の悪意ってあるだろうか。

 これまで、1で世界を滅ぼす絶望に打ち勝ち、2で主人公自身が世界を滅ぼす絶望だったという事実と向き合ったダンガンロンパ。その次を本気で考えて、世界を滅ぼす絶望以上の絶望とキャラを向き合わせようとしたら、これしかないというテーマではないか。

 制作チームはエヴァの映画のように「ダンガンロンパに疲れた、もうこんなゲーム作りたくない」そう思ってこのテーマに至ったわけではないと、僕は思う。そうでなければ、登場人物に「お前はゲームのキャラとして作られたんだ」と突きつけた後の大団円なんて作れっこないからだ。

最後にキャラ達は全てを捨てる。ゲームから降りる。ゲームに参加しない。
首謀者の「最後に希望を手に入れる物語にしてよ!」という声に耳を貸さず、何もしない。
「何もしないと全員殺すよ」と言われてもめげない。
僕らの命を使って、このダンガンロンパという「デスゲーム」を終わらせる。

 この終わり方には僕は本当に痺れた。嘘がテーマと言いながらなんと本質的で、どこまでも物語のことを深く考えて潜って苦しみ続けた結果の、曖昧で歯切れの悪い結論。過去のキャラの姿で登場人物を苦しめ続ける首謀者に吐きそうになりながら、それしかないなと思わせられた。そして、ありがとうと思った。

 何がありがとうかって、この展開はゲームのキャラクターだけでなく、プレイヤーにも誠実でなければ出てこないからだ。プレイヤーに誠実でなければ、すなわち、僕らを軽はずみなハッピーエンドが好きな消費者として軽んじていたら、こんな曖昧で歯切れの悪いまるで現実の問題解決の方法みたいなラストは出てこない。それに、この展開を使ってしまったら今後のダンガンロンパにも支障が出るだろう。どうせV3みたいに、全部嘘なんでしょ。ゲームの世界なんでしょ。ダンガンロンパ4を作ろうと思ったら、こんな展開にしないほうがいいに決まっている。

 でも、このラストを作ってくれた。僕らを過去作以上に驚かせるために。僕らに本気でゲームのことを考えてもらうために。

 誰がなんと言おうと、僕はダンガンロンパにこういう体験を求めているのだ。もちろん、主人公の最原が心底嫌悪するようなデスゲームの後のハッピーエンドも、求めているのだろうが、それだけじゃなくて、他のゲームではできないような外連味あふれる展開を、吐きそうになりながらそれでも続きが気になって眠れもせずにコントローラーを離せないようなゲーム体験を求めていたのだ。それは叶えられた。

  一章では、好きになった女の子を犯人として指摘する絶望を。
  二章では、コナンのような大掛かりな舞台装置のようなトリックを。
  三章では、閉鎖空間で新興宗教が生まれ、連続殺人でぶち壊される醜悪な展開を。
  四章では、虫も殺せない善人が忘れた記憶の中で犯した殺人を暴く最悪を。
  五章では、嘘つきがついた最後の死を厭わない入れ替わりトリックを。

 このゲームはこれまでのどのゲームにもない驚きと吐き気があった。これでダンガンロンパが最後になったとしても、このゲームのことを僕は覚えていると思う。それぐらい鮮烈な体験だった。フィクションに命をかける人間がいるという、その矜持と覚悟をひしひしと感じた。そして最後は楽しかった。

 ぜひこのゲームをやってほしい。そして、最終章で何かを感じてほしい。あんな展開は納得できないと僕を説き伏せに来てほしい。良質なポップスは、受け取る相手によって受け取り方が違うものだ。

 そして、最後にはやっぱり絶望する。

 こんなすごいダンガンロンパを作って、次回作どうするんだろう、と。

*1:このような流れは「推理小説 - Wikipedia」が詳しい

おおゆうしゃよ なつやすみをすててしまうとはなさけない

f:id:so-na:20190821003705p:plain

https://www.hogera.com/pcb/cgi/dq_str.cgi

11れんきゅうをてにいれた!

 

 

8/9 金 テトリス99(3)←括弧の中はプレイ時間

8/10 土 ゲーム購入三昧 テトリスエフェクト + BUY!! ぷよぷよテトリスドラゴンクエストビルダーズ2 + Detroit: Became Human + BUY!! 麻雀 + BUY!! Cities: Skylines(12)

8/11 日 飲み会 FGOぷよぷよテトリス(3)

8/12 月 帰省 FGOぷよぷよテトリス(6)

8/13 火 お盆 ぷよぷよテトリステトリス99(6)

8/14 水 親戚のおじさんの自慢話に付き合ったのち台風を考慮し東京に戻る ドラゴンクエストビルダーズ2(6)

8/15 木 ライジングサン一日目中止決定 テトリスエフェクト + ドラゴンクエストビルダーズ2(10)

8/16 金 ライジングサン含む北海道観光のキャンセル テトリスエフェクト + ドラゴンクエストビルダーズ2(10)

8/17 土 ドラゴンクエストビルダーズ2(10)

8/18 日 ドラゴンクエストビルダーズ2(10)

8/19 月 飲み会 ドラゴンクエストビルダーズ2(10)

 

 

82じかんげーむをぷれいした!

めのまえがまっくらになった!(じょうたい がんせいひろう)

きょむをてにいれた!

ナンバーガールがひびやおんがくどうにあらわれた!しかし ちけっとをもっていない!

なつやすみは さびしそうなかおをして さっていった

Stardust Prayer / 初音ミクオリジナル

ニコニコ動画

https://www.nicovideo.jp/watch/sm35467722

YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=bkD5AXauHWM

 

key = E / BPM = 128

主要コード : E F#m G#m A B C#m D#dim

サビ :
A A E_sus4 E * 3
B7 B7 C#m C#m

Aメロ :
A A C#m C#m
A A G#m G#m
F#m F#m G#m G#m
F#m F#m B7 B7

Bメロ :
A B A E
A B F#sus4 | G#sus4 G# |

消えないように毎日今日をなぞっている
忘れないようにチェックペンのキャップをあける

なぞっては安心して
なぞっては安心していて
赤い下敷きの向こうは
あってもなくても分からない

穏やかな毎日にひどく疲れながら
寝る前にスマホに今日の意味を聞いた
既読のついたラインも
流れていくタイムラインも
鳴り響くアラームも
朝淹れるコーヒーも

信号は青になり誰もが歩き出す
行先がないならばせめて同じでいたい

目を閉じて目を開いて僕らはずっと祈っている
目を閉じて目を開いて僕らはずっと祈っている
目を閉じて目を開いて僕らはずっと祈っているから
違う明日に連れてってくれよ

恵まれぬ子供に愛の手をと叫ぶ
学生を横目に僕は街を歩く
時々苦しく くやしくてかなしくて
それなのに何故だろう 幸せだから救われない?

信号は赤になり誰もが足を止める
どこにもいけないならせめて同じでいたい

目を閉じて目を開いて僕らはずっと祈っている
目を閉じて目を開いて僕らはずっと祈っている
目を閉じて目を開いて僕らはずっと祈っているから
せめて昨日に連れてってくれよ

いつまで気づかぬふりでいるのか
いつならまだやりなおせるか
諦めて 目を閉じて 頭上には 流れ星
水溜り 映し出す 最後の願いを

無い物ねだりの 夢追い人たちは
今でも今でも 満たされずに星を見上げる
行き場を無くした 祈りよ集まって
キラキラキラキラ 降り注げ!!

星降る夜には 誰もが祈ってる
叶わぬ願いは 燃え尽きて光り輝いて
確かに僕らの 時間を進めていくのなら
違う明日が聞こえてくるよ

さよなら 僕の 流れ星

ツイッター風紀委員長達へ捧ぐ

Mercury 車用 チョイおしゃれ おもしろステッカー 「中指を立てるイヌ」 シルバー 防水 車用 光沢 かわいい カーアクセサリー シール 車 汎用 ユニバーサル カーアクセサリー

 ツイッター何だか疲れちゃった。

 ニュース含めた情報収集に使っているから、流石にアカウント消すまでは行かないのだけれど、僕のiPhoneからツイッターアプリはアンインストールした。これでひどいと噂の WebUI でしか見ることはできない。まあ、見ることはできるので禁止というほどでもない。昨日のフジロック配信の感想ツイートを眺める時間は至福だった。

 が、ツイッター風紀委員長達が嫌いだ。僕らを育てた漫画やゲームでは風紀委員長は倒すべき存在だったはずだ。正しいルールを守らない人を袋叩きにして分からせるなんてことはなかったはずだ。そんな主人公に僕らはついていかないはずだ。

弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく

その音が響き渡れば ブルースは加速していく

 

TRAIN TRAIN / THE BLUE HEARTS

 やはり甲本ヒロトは天才だった。今の twitter も同じだ。何かのフラストレーションを抱えた弱いものが、正義の名の下に誰かを叩いていく。誰もが風紀委員会所属で、誰もが風紀委員長で、それぞれ告発できる相手を探している。それをひとしきり叩くことで、少しストレスが消え、そして少しのストレスを抱え、その音が響き渡ると、ブルースは加速していく。

 今朝もまだアンインストールを忘れていた iPadから twitter を見てしまった。そこで、統計学を理解せず日本語として成立しない教師のツイートをスクショして「こいつはダメだ」と晒されていた。僕も心底バカだなあと思ったが、別に彼が本当に先生かどうかもわからないし、本当に先生だったとしてここで晒し上げておけば僕の知ってる人たちの子供が救われるかというとそうでもなかった。僕がここで怒る理由は何もない。しかし、ツイッター風紀委員達の巧みな戦略で朝から怒りを覚えさせられてしまった。やはり僕も風紀委員会に所属していたようだ。簡単に乗せられてしまう。

 自分の仕事がらみのツイートはもっとダメだ。また 7pay の話で、石器時代のようなプロジェクト運営をしているツイートが流れてくると僕はご意見を表明するしかなくなるだろう。note か。note に書くならまだいい。ただ呟くだけかもしれない。一体それが当事者のブラックな職場のなんの改善になるのだろうか。インターネットで任意のサイトを見るために申請をしなければいけない会社はまあゴミだろうが、僕がゴミとつぶやいたところで何も変わらない。

 

 自分のエネルギーをもっとまともに使おう。そう思った。

 料理報告ならインスタで投稿できる。

 フジロックレポートは文章はブログで、写真はインスタで投稿できる。

 質問箱はツイッターがなくても開くことができる。

 月ノ美兎の動画はチャンネル登録してるから新作がこればすぐにわかる。

 なら僕は……ツイッターをやらなくても困らないと思う。

 

 ツイッター風紀委員会に加わることの中毒性と言ったらすごい。「僕のフォロワーだけでも、フジロックは撮影禁止だって知ってください」……風紀委員長、悪いけれど黙ってもらっていいですか。本当に止めたかったらスタッフがスマホ出してる人の前でバッテンを構えたり、アーティスト出演の合間に流す映像とかで周知したりするだろう。それをスタッフがしないということから察してほしい。去年のスクリレックスのライブでスマホ撮影をした人をつまみ出したらどうなると思う? グリーンステージから人がいなくなる。それがあなたの望み?

 そう、それが望みなのだ。もっとも中毒性の高い麻薬は大麻でもタバコでもコカインでもなく正義なのだ。最も気持ちよく酔っ払えるものが正義なのだ。正義でお互いを監視しあっていい社会が生まれるのだ。確かに、ああ、正義で人を叩くのはなんて気持ちがいいんだろう。こうしてまたフジロックの動画をツイッターにアップロードする悪の枢軸から世界は守られるのだ。すべての風紀委員達におめでとう。ありがとう。僕も、風紀委員だったんだ、昨日まで、ね。

 これで明日には僕がツイッターでつぶやいていたら笑える。でもそれはとても良いオチになるかもしれない。そう、正義とはこれほどまでに気持ちいいものなのだと、離れられないものなのだと、僕自身が身をもって示すことになるのだから。胸には風紀委員会のバッジをつけて、TRAIN TRAIN を口ずさみながら、意識の低いエンジニアを、体罰をやめない教員を、インフルエンザで出社するのが当たり前の会社を、京アニ被害者親族のふりをする狂人を、叩いて、叩いて。僕がツイッターの最後の一人になるまで、ずっと繰り返すんだ、きっと。

フジロック2019の感想「ライブ配信が始まってもブレないフジロック感」

 今年からフジロックライブ配信YouTube で始まった。海外フェスの流れからすると当たり前ではあるものの、その取り込みの早さはさすがフジロックである。僕もやはり朝11:00から中村佳穂を見る気力はなかったので(11:00とか会社に出社する時間じゃん!)、道中にライブ配信で見た。彼女の言葉は歌になる、そんなパワーを感じる素晴らしいライブだったし、それをフジロックの道中でワクワクしながら見られるなんて本当に良い時代だ。

 ライブ配信フジロックに行く客は減るだろうか。減るはずがない。ライブ配信があるからフジロックにこない人は、そもそもフジロックに来ていない。けれど、これまで興味がなかった人がフジロックの配信をチェックして「今度は現地で見たいかも」っていうのは大いに期待できる効果だ。じゃんじゃんやって欲しい。

 ついでにこのまま撮影も解禁して欲しい。今年は去年と違って撮影禁止ツイートがバズることはなかったが、このままツイッター風紀委員長たちが怒る理由をさっさと奪って欲しい。メモリアルな体験を残しておきたいと願うのは人間の自然な感情だと思う。自然な感情をルールで規制するから争いが生まれるのだ。僕は知っている。口ではルールを守れと言いながら、ツイッターにアップロードされたエルレガーデンの「風の日」の動画を見てしまった人がいることを。早く、みんなが罪悪感を感じず楽しめるようになるといい。

 やはりフジロックは特別だな、というのを一日目に入場ゲートをくぐった時になんとなく思った。山の綺麗な空気を吸い込んでかすかに聞こえる Green Stage の音楽に胸の高鳴りを感じる。ここは特別、とは様々なアーティストが口にしていた。「出演者だけが渡ることができる小さい橋」について語った ELLEGARDEN の細美さん、「まるで家みたい」と語ったクラムボンのミトさん、「音楽が好きな人がこんな山の奥でフェスをしてるってことが愛おしい」と語ったクラムボンの原田さん、「グラストンベリーより規模が小さいのがいいね」とインタビューで答えた The Chemical Brothers 。Superfly もこのフェスの特別さには感じ入るところがあるみたいで「良い緊張感がある」と評していた。

 僕もやはり大学一年生の夏に無理をして行ったフジロックの一日が忘れられない。最後に見た White Stage の Sigur Ros のステージは僕の人生でも一二を争う経験だった。大自然の中で Sæglópur(サイクロウブル:この曲の日本語読みがすらっと出てくる人はだいぶ重症な Sigur Ros 信者だと思う)を初めて聞いた時の感動は語りつくせない。

youtu.be

 今回はあまりに雨が辛く、僕も心が折れて二日目は早期退場してしまったが、それでも屋根があるステージがたくさんあればいいのにとは思わない。この時の感動は、屋根があるステージで聞いていたらなかっただろうなと思うから。今年も、クラムボンのステージはピアノの響きが雨のホワイトステージととてもあっていて泣きそうだった。泣きそうだったのは雨で体が冷え切っていたからかもしれない。

 アジカンのゴッチが言っていた。

 「誰の真似もしないで、それぞれのやり方でノってくれればいいから」

 「昔は歳をとることが怖かったけれど、豊かになったものも増えて。アジカンは変わったと思うかもしれないけれど、変わった僕らを楽しんで欲しい」

 「誰の真似もすんな 君は君でいい」とはミスチルの歌詞だが、数多のアーティストが歌い続けているからきっと死ぬほど難しい事なんだろうなと思う。そんななか、誰の真似もせずフジロックは変わらないまま、出演者が歳をとって変わっていく。それが本当に素晴らしい。その「変わらない場」の引力はまた誰かを苗場に連れてくるだろう。雨でびしょ濡れになるのは本当にしんどくて、寒い、帰りたいと何度も思うし、バスで越後湯沢駅に行くのも向かうのも本当に遠いし、たまにバスは立ちっぱなしだし、もうしんどいことばかりなのに、そのしんどさがフィルターとして機能して、そのしんどさを知っているのについ来てしまう音楽好きだけが集まる幸せなフェス、それが、フジロックだと改めて感じた三日間だった。

 

☆ 超よかった

★ 掘り出し物

 

<一日目>

中村佳穂(配信)

七尾旅人(配信)

★ JANELLE MONAE

ELLEGARDEN

The Chemical Brothers

THOM YORKE TOMORROW'S MODERN BOXES

 

<二日目>

銀杏BOYZ(配信)

JAY SOM

★ DYGL

ASIAN KUNG-FU GENERATION

clammbon

American Football(断腸の思いで配信)

 

f:id:so-na:20190729014720j:plain

f:id:so-na:20190729014730j:plain

f:id:so-na:20190729014739j:plain

f:id:so-na:20190729014753j:plain

f:id:so-na:20190729014803j:plain

f:id:so-na:20190729014814j:plain

f:id:so-na:20190729014824j:plain

f:id:so-na:20190729014834j:plain

f:id:so-na:20190729014844j:plain

f:id:so-na:20190729014854j:plain

f:id:so-na:20190729014903j:plain

f:id:so-na:20190728223914j:plain

f:id:so-na:20190728230107j:plain

 

天気の子 感想「碇シンジが辿り着きたかったハッピーエンド」

【Amazon.co.jp限定】天気の子【特典:CDサイズカード「風たちの声」ver.付】

 新海誠監督本人が賛否両論あると思うと言っていたクライマックスの全肯定組です。これは「君の名は。」以上の最高のハッピーエンドだと思います。

 

 これまでセカイ系と呼ばれる数多の作品が、セカイと繋がってしまった彼女とセカイどちらを選ぶかという問いを投げかけてきました。この作品もその系統にあり、世界よりも彼女を選ぶという選択をします。君がいてくれれば世界はどうなってもいい。その選択をした瞬間のカタルシス。それはもう美麗すぎる映像とRADWIMPSの音楽で完璧に演出されていたのですが、この作品の素晴らしいところは更にその先を描いたことです。

 

 天気と繋がってしまった彼女が祈って天気を変えることを繰り返したことで、東京は異常気象にずっと見舞われ続けることになります。それを元に戻すためには彼女が消えなければならない。それを強引に引き止めた主人公によって東京は永遠に雨の降り続ける街になり三年が経って完全に水没してしまいます。これが彼女を選んだことに対する代償なのですが、そこに関して今回のキーマンである小栗旬が声をあてる須賀が言うのです。

 

「世界なんて元から狂ってる。自分たちが世界を変えたなんて自惚れるな」

 

 世界を変えてしまったことと思春期の感情の爆発をこの台詞で結びつけたわけです。それはお前らの勘違いだよ、世界は元から狂っていてお前たちではどうすることもできないものだったんだ。

 

 本当にそうかもしれません。実は彼女が居なくなって晴れたのは一時的なものだったかもしれない。もともと東京は水没する運命だったかもしれない。全ては青春時代が見せた妄想だったのかも。そんな煮え切らない思いを抱えながら、もう一度陽菜に会いに行くと、彼女はまた空に対して祈っている。その姿を見て帆高は思うんです。やはり僕らは世界を変えてしまって、彼女を選んだ結果が今なのだと。

 

 このラストで新海誠さんの伝えたい事がストレートに伝わってきて映画が終わった後もその余韻に浸っています。極めて冷静に世界を変えることなどできない自分を見つめながらも、思春期の感情の暴走を許して受け入れたということなのです。

 

「これは彼女と僕だけが知っている

 世界の秘密についての物語だ」

 

 CMのモノローグがそのまま伝えたいことだったわけですね。

 

 このラストは本当に優しい。御都合主義だろうと何だろうとこの優しさを僕は前面肯定します。これに対して、実際に雨しか降らない東京で被害にあった人達はどうなるんだというツッコミはここでは野暮というものです。そもそも世界は狂っているのでそれは彼らのせいではないのです。

 

 この達観した視点は新海誠さんの強い個性だと思います。他にはない。思春期の暴走をそのまま形にしていくエヴァと対極に位置する優しさ。碇くんにこの言葉をかけてくれる須賀のような大人がいればな、と考えてしまうぐらい。

 

 本作「天気の子」は、「君の名は。」と比べると更に粗が目立ち(ストーリーが少し淡々としてる分余計気になるのもあると思います。前作は展開の目まぐるしさでそれをカバーしていたので)音楽とのシンクロも前作には劣ると思います。しかし、前作にはないじわじわとくるカタルシスがあるのです。勝手に世界を変えてそれらを世界の秘密と呼んで青春の輝かしい思い出にしてしまうそんな不謹慎さを受け入れてあげたっていいじゃないですか。新海誠監督曰くの「映画は普通に言ったら世間の人に眉をひそめられてしまうような自分を表現するもの」そのものだと思います。僕はこんな世界を変えるような壮大な青春がしたかった。それをそのまま表現できたのは、君の名は。で新海監督が得た実績のおかげです。全ては無駄ではなかった。新海監督が作りたいものをそのまま作ってくれてそれはゼロ年代セカイ系に対する回答となった。あれは「僕らだけが知っている僕らだけのための物語だった」のです。

 

 追伸

 

 拳銃という分かり易過ぎる非日常のモチーフや昭和の髪型でよく分からない警察は、なんだか笑ってしまいました。まるで key 作品のようなチープさがあって、新海誠監督もゼロ年代エロゲ世代と繋がってるんだなと思わせてくれて、なんだか懐かしい。確かにこの映画、後三人ほどヒロインを足したらきっとそのままゲームにできますね。本作は多分トゥルーエンドルートでしょう。他のエンドでは別のヒロインと結ばれて陽菜は消えてしまうルートでしょうね。まあここはわかる人だけわかればよく、別に拳銃と警官が安っぽいという批評には一ミリも反論するつもりはありません。知ってる人がくすりとできる要素、ただそれだけのお話です。

 

Yahoo! 映画にも寄稿しました。 

https://movies.yahoo.co.jp/movie/366483/review/3439/

 

君の名は。」の当時の感想はこちら。

http://so-na.hatenablog.com/entry/2019/07/22/235857