「ファンのために音楽を作る」ことの落とし穴

結構前ですが、目覚ましテレビに出ていた今をときめくDef Techが、


「格好いいのを作ろうとして曲を作ると、それなりの曲しかできない。ファンのことを思って曲を作ると、いい曲ができる。」


というようなことを言っていました(うろ覚えですが、内容はそんな感じ)。なんだか一見、凄いまともで模範的なことを言ってるように見えますが、それってどうなのかな?


格好いいのを作ろうとして、曲作って、何が悪いんですか?動機なんて、小学生が自由研究の一番最初に申し訳程度に書くぐらいのモノでしょ?いままで残っている名曲達のなかで「格好いい曲を作ろうとしてできた」曲が無いとでも?


・・・僕は音楽の世界は(芸術の世界全般かな)ある意味、結果がすべての世界だと思ってます。どれだけ努力して作った曲だって、どれだけ高尚な気持ちで作った曲だって、駄曲は駄曲。三分で鼻くそほじりながら作った曲だって、麻薬買う金欲しさに作った曲だって、名曲は名曲。そんな、ある意味フェアで、ある意味アンフェアな世界だと思うんです。込めた気持ちとできた曲は必ずしもリンクしない。もちろんリンクすることもあると思うし、努力が報われていい曲ができることもあるだろうけど。そこはむしろあまり重要ではない。できた曲だけが残っていく。例えば・・・


PRIMAL SCREAMの「Rocks」は麻薬でメンバーのほとんどがヘロヘロのときに作った曲だし。
RADIOHEADの「Creep」の印象的なギターは、この曲が嫌いだったジョニーが、ぶっ壊そうとして入れたものだし。
blurの「Song2」の有名な掛け声「ウー、フー!!」は、メロディに困ったデーモンが苦し紛れに入れたもの。


ほら、このエピソードのどこに、ファンへの思いや、努力が含まれているのか。こんなんでも、名曲は名曲なんだから。むしろこういう話を聞くと、僕はなんか「ROCKだなあ・・・」って感じてうれしくなるんですが(←ひねくれ者)。


それに、「ファンを思って曲を作る」ってむしろ、マイナスに働く気さえするんですよ。ファンを思うということはすなわち、ファンの期待にそえるということ。あの曲が受けが良かったから、またあんなかんじの曲を作ろう・・・こうやって、冒険できないで、似たような曲を量産するバンドが、日本にどれだけいることか。ファンなんて裏切ってナンボですよ。韓流スターとか氷川きよしじゃないんだから。皆が求めているものと、自分が今作りたいものが違ったら、迷わず自分が今作りたいものを作るべきだと思います。たとえ自己満足だとしても。それこそがアーティスト。


Def Tech、音はいいんだけどな・・・なんか発言とか、歌詞とかで、あまりに共感できない部分が多くて。ついこういう風に矛先にあげてしまいます。まあもちろん、彼ら以外にも、彼らと同じことを思ってるだろうってアーティストが、日本には多いけど。もっと、「良い曲作る人が、人格も良いとは限らない」と、ファンサイドのほうが悟るといいなと思うんですけれどね。そうすれば、ファンとアーティストのべたべたした関係がもう少し減って、いい意味で、「ファンを大切にしない」アーティストが増えると思うんですけどね。ROCK少年(になりたいと思ってるただの大学生)のヒトリゴトでした。