帰り値は0、帰り道は空っぽ。

さて、最近プログラミングがきつくてしょうがないです。暇な日は大学のパソコン演習室で(僕は家ではできない子。かつ友達と情報交換したりしないととてもじゃないけど、分からない)夜遅くまでやっていくんですが、薄暗くなってからの鉛色に染まった空を見上げながら、ああ、もう五時間もパソコンに向かっていたのかあって思うと、さながら時間旅行でもしたかのようです。


そのまま電車に揺られて帰るときに、なんだかその「五時間の時間旅行」の余韻からか、自分と時間が乖離していくような感覚に襲われたりします。「ドラえもんの四次元ポケットー!!」とかいう響きからすると、「四次元」って夢の世界な気がしなくもないですけど、よく考えたら僕等は「縦」、「横」、「奥行き」、そして「時間」の四つの次元からなる世界にこうして立っているわけなんですよね。みんなにとって時間が平等に配られているから、三次元の世界としか思えないけれど。でも、だとしたら、ふとしたきっかけで時間軸がみんなと入れ違いになってしまって、時の狭間だって見れるのかもしれない。もしかしたら、そのことは誰の日常にも起こっていて、ストーブに手を置いたり、素敵な女の子と話したりしているときに確かに起こってはいて*1、ただ気付いてないだけなのかもしれない。


そんなことを考えていると、iPodminiが好きな曲を鳴らし始めたりして。浮遊感を交えた、ちょっといい気分になりながら、「でも、もうプログラミングはしたくないなあ」って。そんな風に今日も電車に揺られていくのでした。

*1:舌を出した科学者の言葉より