齢22にして老成した特異点の思考記録

嫌なこと、全部やめても生きられる (SPA!BOOKS)

 

Amazonレビューと同内容の投稿です)

基本的には共感するところしかなく一気に読み終えた。僕自身はプロ奢さんに奢る条件を満たさない「普通な」人側に属する人間なのだが、彼が採用していない倫理観やプライドに惑わされている人の多さには「普通な」人側にいてもなかなかうんざりしている。

彼が言うように、現代人は生まれてすぐに将来の目標を決めさせられ、マントラのように唱えさせられ、テスト勉強の計画を立てさせられ、いずれ満員電車に負けず毎日決まった時間に靴下を履いて出社する。その能力は「普通」と呼ぶにはあまりにもハードルが高く、それを満たしている人の中から選ばれた人たちは、そこにステータスを使い果たして、本当にその仕事には向いていない人が集まってしまっている、そんな気がしている。

もし、彼が「ゆるく」提案するように、普通の人が「本当にやりたくないこと」から全力で逃げられるようになったら、もう少しその仕事にあったステータスを持った人たちを集めてチームが作れるんじゃないか、そうすれば、辞めた人も残った人も幸せ度が上がるんじゃないか、そんな気持ちになる本だった。

そうすれば、いずれ、毎日好きで会社に行っている僕のような人間は少し普通じゃなくなって、彼に奢る条件を満たせるんじゃないか、なんて思ったりしている。

VTuber はまだ人類には早かったかもしれない - VTuber の僕は本当に僕なのか? -

VTuber をやってみて、行き詰まってやめて、またやってみて、また行き詰まっている。非常に面白い体験をしている反面、少し怖い。

 

前提として、僕は全然再生数は稼げていないし、そんなに自分自身で面白いことができているとは思えていない。それでもインターネットの海に流すことをためらわないのは僕の狂気なのかもしれない。

 

(ちなみにブログを書くときは常に自分は天才と思いながら投稿しているので、かなりのギャップである)

 

しかしまた不思議な前提として、僕はある漫画家と仲良しであるがゆえに、本当はその漫画家が見たい人たちから、反応もイラストも要約(動画のテキストおこし)ももらっている。このせいで僕はあたかも中堅どころの VTuber のように数人?数十人?から、自分の動画のフィードバックを貰える立場にある。

 

こんな変な状況にいるのは世界でも僕だけかもしれない。今や僕はインターネットのオンリーワンアンダーグラウンドの住人だ。よくある話、とは流石に言いがたい。

 

・・・

 

僕はカスタムキャストというおよそ本気で VTuber をやろうと思っている人は選ばない汎用アプリでアバターを安直に作った。休止期間にこれを本物の Live2D にしようと思ったがやめた。

 

単純に中身に見合わない外見をまとっても仕方がないと思ったことと、バーチャルおばあちゃんという辻斬りのように鋭利な切れ味の尖りきった VTuber がデフォルトのおばあちゃんアバターで人気を博しているのを見て、結局中身だろと諦めたのと、両方ある。

 

僕の気まぐれで生まれてしまった夏影ソウナというキャラクター、それは僕に合わせて瞬きし、僕に合わせて体を揺らす。ただそれだけの虚ろな虚像なのに、まるでそこに別の自分がいるような感覚を覚えることにふと気がつく。

 

僕は彼の魂であり、すなわち彼は僕そのものなのに、完全にイコールではない不思議な感覚。深夜に動画を撮りながら、これはとても危ない行為をしているんじゃないか、と僕は夏影ソウナに問いかけた。彼は眠そうに瞬きをして返す。麻薬よりも危険で甘美な、魂の分離。

 

昔から、芸能人は謂れのない「理想の本人像」を作り出されて、その本人とのギャップに苦しんでいる。新垣結衣は自分の日常が「インスタ映えしない」と言い切った。存在がインスタ映えのはずの目がぱっちりして顔が小さい彼女においてそんなわけはないのだが、新垣結衣の「魂」にとってそれはまぎれもない事実なのだろう。

 

アイドルが「アイドルをやめます」と宣言するときも同じだ。アイドルという「偶像」を辞める。みんなの偶像として消費されることに疲れてそれを投げ捨てて「一人の女の子」に戻る。

 

技術がついに、その「自分がコンテンツ化して一人歩き」することを成し得る手段を、一般人(つまり僕)にも与えたとしたら。

 

・・・

 

面白いことがあった。僕は割と夏影ソウナをずさんに扱っていた。声もボソボソしてゲームや漫画の考察も浅く、ゲームの腕も中途半端な僕が面白くなるには批判コメントを読んで面白おかしく返すぐらいしかないじゃない。そんなふうに思ってネガティブなコメントばかりを拾っていた。

 



そうすると、感想で「賞賛コメントもちゃんと読んで」と書かれたのだった。僕は昨日の深夜にふと感じた不思議な感覚とこのコメントがリンクした。なるほど。

 

夏影ソウナをいじめてはいけないのか、と。

 

これは VTuberだから、というものでは多分ない。コンテンツ化された芸能人、YouTuber、ニコニコ生主、全てに当てはまるし、なんなら人間そのものも「自分自身を大事にしなければならない」のは一緒である。

 

しかし、VTuber アバターと魂がお互いを「引っ張り合う」上に、新垣結衣と違い、そこには完全に外見が違う自分がいる。

 

月ノ美兎はアイドルではないが、可愛いアバターをまとったことでアイドル的側面を手に入れた。本人もそれに驚いているように思える。


【新・アイドル衣装】うたう月ノ美兎【お披露目放送】

中の人の動画が流出している彼女をみていると、彼女が VTuber にならなかったら、彼女がアイドルソングを歌う役を自分に与えることはおそらくなかった(彼女は映画研究部に所属し、脚本を書いていたという)。

月ノ美兎 わたくしの映画研究部がふだん作っているのはオリジナルもので、コメディもシリアスなのもあります。脚本を書くこともあるので『サマータイムマシン・ブルース』の生き生きしたやりとりは勉強になりますね。

 https://www.hayakawabooks.com/n/nfbdc1e70c3b3

月ノ美兎が語る戯曲『サマータイムマシン・ブルース』(ヨーロッパ企画)」より引用

 

不謹慎で恐縮だが仮定の話として聞いて欲しい。もしも今、月ノ美兎が死んだら、生身の彼女とは別に、月ノ美兎の葬式も行われそうな気がする。やはり月ノ美兎は中の人と完全にイコールではないのだ。

 

まるで男の子にも女の子にも見えるように、自分の声に合わせて眠そうに設計した夏影ソウナの VTuber アバターは、僕よりもだいぶ見た目が良い。だからこそ、簡単にインターネット上で優しさを受けることができる。いじめるのは「中の人だとしても許さない」。いやそれ僕だから、僕の勝手でしょう、と僕は返すけれど、なんとなく僕自身、夏影ソウナが可哀想になってしまう。

 

ということは、夏影ソウナは僕ではないのか?

 

批判コメントを受けることによる小さな精神的ダメージも手伝い、僕は最近少々不安定になっている気がする。しかし、その複雑な心境も、面倒臭くて剃っていない髭面も全て反映せず瞬きだけをトレースするツルツルした見た目でちょっと可愛い夏影ソウナ。

 

なりたい自分、こうありたいという自分を具現化するという手段を人間はこんなに簡単に手に入れてよかったのだろうか。

 

・・・

 

心と見た目はリンクする。心を入れ替えると見た目は変わるが、相応の時間がかかる。冴えないクラスの片隅の男子がリア充になると決めてから清潔感のある見た目を手にするまでは時間がかかったはずなのだ。筋トレが流行っているのは見た目も変わって心も固く強くなるからだ。

 

けれど VTuber はものの数時間で心と身体をずらしてしまう。

 

その見た目だけが「ずれた」自分は、自分とは一人歩きし、お互いに「引っ張り」合う。うまく使えば、ものすごい効果が得られるだろうが、うまく使わなければ両方が壊れてしまうのではないか?

 

僕なんかより何万倍も力がある VTuber の魂は今どう思っているんだろう。電脳少女シロは、月ノ美兎は、ヒメヒナの魂は、今何を考えている?

 

VTuber は人である」ヒャダインは関ジャムでそう言い切った。その通りだ、ただ、人は自分より見た目が綺麗なもう一人の、と言いつつ別の自分が一人歩きしていくことに耐えられるのだろうか? 彼女らはアイドル役もガールフレンド役も性的な嗜好も全てを受け入れて笑っている「初音ミク」ではないのだ。文化が地続きだから混乱するが、初音ミクと人は間違いなく違うのだ。

 

未来の歴史家はこう言うかもしれない。

 

「人類には VTuber は早かった」

僕らはバカのまま血液クレンジングに騙されたくない

ツイッター血液クレンジングを袋叩きにするのが流行っている。いつものことなのだが、今のところ血液クレンジングはマジでヤバそうなので気になってる人はやめておいた方がいいだろう。


バズってるツイートの中では「小学生でもわかること」という煽り文句が入っていたが、これは分断を加速するからあまりよろしくない。確かに酸化で黒くなることと動脈と静脈のことを理科の授業で理解しておけばこの案件の怪しさは理解できるかもしれない。


しかし、この問題は応用問題だ。知識ではなく、知識を組み合わせて解かねばならない。テストにする場合一番最後にポツンとある応用問題で、クラスのうち二人ぐらいしか解けなかったと、のちの学級会で発表される系の問題と言える。


そもそも、酸化によって黒くなるとして血液の黒さは酸化のみで引き起こされているのか?など、本気で調べれば調べるほどいろいろなものが疑問に思えてくる。


結局のところ、僕らにはこの問題を解くのは無理だ、という前提に立つべきだ。知識ではこのようなトンデモ科学を全て防ぐことはできない。人間は簡単に知識を組み合わせて生活に活かせたりはしない。加えて断言するが、僕らはこの件で懲りて小学校の理科を学び直したりはしない。絶対しない。できないことはすっぱり諦めよう。


ではどうするか。


ここで多くの人が採用している基準が「自分が信頼している人が採用してるかどうか」となるのだが、僕は強く言いたい。この方法はかなりのリスクを伴うからやめた方がいい。


この方法論を取っている人を騙すのは簡単だからだ。情報に権威をつけてあげればいい。大企業、職業、論文、エトセトラエトセトラ。しかし、有名人だって自分と異なる分野であれば間違うし、企業人なら自分の企業の不利益になる発言はしない。セット売り販売が板についているジムの人間は水素水を否定することはできない。利根川先生曰くの「大人は質問に答えない」はこの辺のことを指している。


そのジムトレーナーは普段自分のことをよく考えて優しくトレーニングメニューを考えてくれて、信頼しているかもしれないがその水素水プランの加入が正しいかどうかはわからない!はあちゅう氏は身を削って主婦の働き方を変えようと率先して子育て改革に取り組んでおり、小説も面白い。でも、血液クレンジングが正しいとは限らない!

 

残念なことだが、いい奴が、信じていい奴かどうかは案件によって異なるのである。少なくともこの記事を書いている僕よりは信じられるって?まあそうだろうがここは分かって欲しいとしか言えない。


じゃあどうすればいいの?というあなたにこれ系のトンデモ科学に一度も騙されたことのない私からアドバイスしよう。方法は二つある。


一つはお金のかかるオプションは何一つ受けないことだ。水素水も妊娠米も血液クレンジングも全ては「お金を追加で払う」という構造になっていることに留意しよう。つまり、何かを買うときに何も追加しなければ絶対にミスらないのである。


しかしこれはあまりに夢がないかもしれない。ジムで筋トレをはじめた後のプロテインセットプランも当然受けられない。ダイエットコーラも飲めない。ではもう一つの方法。


エセ科学を判断するときは過去のエセ科学との類似性と比較しろ。


エセ科学が広まるときには、そのやり口は大体の類似性を見せる。とりあえず女性週刊誌が報じる、その後、意識高い系芸能人がやり始める。藤原紀香とかね。そして今の場合インスタグラムで小さくバズる。最後に、裏でYouTubeニコニコ動画ではそれをバカにする動画が流行る(水素の音〜!)。


こうなっていたら信頼できないとして切ろう。そしてこのやり方で言えば、ダイエットコーラプロテインはセーフである。つまり、筋トレはライフハックとして正しいらしい。悔しいが、筋トレしよう。その際にジムで水素水プランには加入しないようにね。ではでは。

君が向いているのは YouTuber だよ

僕と違ってね。

 

昔々、僕が一番意識が高かったころ、チームビルディングの研修を受けたことがある。やたらフォントが大きくはみ出そうなパワポを作る先生だった。僕はその先生に聞いた。

 

「チームの中にモチベーションが低く目的意識もなく、お金のために会社にいると割り切ってる人がいたらどうすればいいと思いますか」

 

「…………うーん」

 

僕は畳み掛ける。

 

「それって感性の問題じゃないですか。別にその人が間違った人間というわけじゃないですし」

 

「それは、そのチームからいなくなってもらうしかない」

 

穏やかな顔をした先生は、そうやって言い切った。

 

そして僕は今も悩んでいる。もしくは、悩んでいるフリをしている。いや、本当に悩んでいる。本当にチームからいなくなるしかないんだろうか。

 

少子高齢化の社会だ。子供は生まれない。人工ピラミッドは綺麗な逆三角形。でも機械に任せるのは温かみがなくて嫌いな僕らは、未だ国会にすらパソコンを持ち込めない。

 

セーフティネットは日々ボロボロになっていく。そんな吹けば飛びそうなセーフティネットに、寄りかかる人は今後どんどん増えていく。

 

僕は知っている。みんな、変化なんて嫌いだし、責任を取ることも嫌いだし、何かと理由をつけて言い訳を探している。これは本来相手の仕事だ、という言葉が山彦のようにこだましていく。

 

そう、転職が当たり前の社会にはまだならない。最近見た一番面白い動画は速水もこみちの料理動画だ。YouTuber と芸能人の意味は重なりつつある。つまり、僕らではない。

 

お金を稼ぐことが目的でゆるく年功序列の世界を生きる「普通」の人達は、突然明日、昨日まで降格制度のなかった会社の新ルールで降格するかもしれない。それどころか、突然消えてしまうかもしれない。昨日まで僕のチームにいた彼のように。チームを守るため、だからね。

 

彼らはすぐに転職して「本当にやりたいこと」を見つけたりはしない。YouTuber にもならない。呪詛の言葉を吐きながらセーフティネットによりかかる。セーフティネットは、ここから神政治の力で再生したりは、しない。絶対にしない。

 

生き残るのは「変化に強い生物」である、言い換えれば「変化できない奴は死ぬ」。破れたセーフティネットの先で、楽しさを感じられる仕事は見つかるか。それは本来国の仕事だ、という言葉が山彦のようにこだましていく。そういえば、職場でもよく言ってたね、その言葉。

 

だから僕は言う。安直に。

 

君が向いているのは、YouTuber だよ。僕と違ってね。だから、これから、好きなことだけして生きていってね。さよなら。さよなら。さよなら。

「みな心の中にジョーカーがいる」だってよあはははは!

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(ネタバレあります)

 

 

 

 

 

実に人を食った映画だと思う。前評判は聞いていたので一緒に見た人がしんどそうにしてるのを隣で申し訳なく思いながら、こんなもんかなと思って映画館を後にしたらそこから服についたシミのようにじわーと広がっていった。笑い声がこびりついて頭の中から離れない。

 

内容は一本道なのだが、途中ジョーカーが信頼できない語り手と明かされることで、僕らに「どこまでが現実でどこまでが妄想か」を委ねられ、様々な感想を獲得しているところにこの映画の凄みがある。

 

特に最後のオチを理解したときの衝撃はすごい。そもそもジョーカーというのはいつもそれっぽい過去を語ってははぐらかす信頼できない語り手の権化のようなキャラだ。その彼がカウンセラーに映画の話を語っていたというオチでこの映画は幕を閉じる。

 

つまり、僕やあなたが「社会情勢を反映している」「ジョーカーは無敵の人だ」「誰しもの心の中にジョーカーがいる」と思ってその事実に鬱々としている中でそれをあざ笑って終わるのだ。「えっこの映画からそんなこと感じ取っちゃったの、ウケるー」と言わんばかりの煽りととれなくもない。

 

僕は恥ずかしながら映画の後の感想巡りでオチの意味に気づいたのだがいろんなことがこの気づきでストンと腑に落ちた気がする。ジョーカーは、貧困の中で認められず蔑まれ、感情が高まって人を殺す、という過去が似合うかというとそんなに似合わないキャラである。

 

そんな彼にも意外な過去があった、そんな風にも受け取れるし、実は全部ホラ話と捉えることもできるかもしれない。ダークナイトで語られるジョーカーの過去のように。

 

このオチは、この映画に「ジョーカーらしさ」を補完しつつその上で観客をさらに混乱させて

 

「もしかして、こんな話に共感しちゃったのは、俺自身がジョーカーが現れてほしい、街に火をつけたい、富裕層を殺したい、と根本的に思ってるからなのか?」

 

なんて思考の迷路に落としてくるのだから、これは本当に芸術点の高い映画だと思う。わかりやすさがもてはやされる、シンプルでわかりやすく極端なコンテンツがバズる昨今、ここまで様々な感情を受け手に抱かせる映画が持て囃されるのは、痛快ですらある。

 

その上、映像も音楽も素晴らしい。ひたすら緊張感を煽ってくるダークナイトと比べると、メジャーコードの明るい曲をうまく交える音楽。電車の照明が定期的に消える中での初めての殺し。階段をダンスしながら軽やかに降りてくるシーンで実感する「ジョーカーという存在」のカリスマ性。そして、耳にこびりつくような笑い声。

 

嫌でも印象に残り、そして、人によっては痛快なピカレスクロマン、人によっては世相を反映した憂鬱なドキュメンタリー、人によってはそれらを笑い飛ばすダークなコメディと受け取られる、鏡のような映画。ダークナイトとはまた別の方向で歴史に残るバットマンシリーズの名作として語り継がれると思います。

台風の日に出社してしまい本当にごめんなさい

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聞いてください。悪気はなかったんです。その日は、引っ越しの徹夜の疲れがたまって台風の音も全く聞こえず、熟睡ののち目がさめると眩しいぐらいの晴天でした。

ニュースでは鉄道の状況がひっきりなしに更新されており、僕はその中から朝八時に運行再開という情報のうわべだけ読み取って、ぷよぷよで時間を潰していました。なんとなく、運行再開から二時間は開けてから会社に行こうと思っていたのです。ぷよぷよをはじめてしまったので、以降ニュースで、商店街や隣の県まで駅に集う群衆が報道されていることは何一つ知りませんでした。

そして、朝十時半に家を出ると、なんと、途中改札で多少の渋滞はあったものの普通に会社に着いてしまいました。そこには驚きの光景が広がっていました。責任感が強く、今日納期の資料を作成しに新幹線で来た先輩、自転車で来た先輩、そして僕の三人しかいなかったのです。

衝撃でした。

自転車で来た先輩には「こんな日にあえて早く来るなんてロックだな」と言われました。僕の視界はぐにゃりと歪みます。別の先輩には「君はこんな日は真っ先に有休を取るようなキャラじゃないか。信じられない」と言われました。

実際僕がすんなり会社に来れたのは奇跡でした。本来であれば渋滞していた改札はそのまま完全に人が飽和し、三十分後には人が炎天下の商店街に溢れ出している状態だったのです。早く着けば別の経路を模索して泥沼にはまっていたし、遅く着けばそんな光景。私はガチャでSSレアを三枚一度に引くぐらいのドンピシャなタイミングを引いてすんなり会社に着いたのです。

僕はとてもこのことを反省しています。意識が低かったと言わざるを得ません。こういう日に出社すべきは、本当に大切なプレゼンを明日に控えた営業マンとか、現場に行かないと仕事ができない類のインフラ系の方々とか、そういう事情を抱えた人だけです。

そんな事情は一切ない僕が出社するということは、人一人分のスペースを奪うことです。それは東京都からすれば小さなスペースかもしれませんが、そんななんとなく会社に行く人たちが積み重なって、積もり積もって、本当に会社に行かねばならぬ人たちを商店街の向こうに追いやってしまうのです。

まさにこれが今の日本のダメなところを集約している光景、と言っても過言ではありません。終身雇用が幻想になりつつなる中で、僕らはその幻想を捨てられないまま「なんとなく」会社に向かい、そして、BUMP OF CHICKENがカルマで表現したように、ガラス玉となってもう一人のガラス玉を弾いて落としてしまう。

意味がなくても校庭で校長先生の話を聞くために外に出る、その物事に対する「不真面目」な姿勢。愚直さへの過剰な賛美。それが、本当に必要な人の居場所を奪う。僕はぷよぷよをやめるべきではなかった。上司に静かに「体調不良で休みます」とメールを送るべきでした。

体調不良と書くのは優しい嘘です。事実を書けば遅延証明が必要になるかもしれない。遅延証明に並ぶサラリーマン達はまるで虚無の擬人化です。こんな日にすら、遅延証明がなければ遅刻になるなら、それはもはやシステムの敗北です。そんな会社が作るソフトウェアは全く融通が利かない事でしょう。

本当に申し訳ありませんでした。
皮肉に聞こえますか?
割と本気で、こう思っています。

お仕事独裁スイッチ

何となく、根底の認識そのものがずれている、気がする。僕は宇宙人なのかもしれない。もしくは、未来から来た猫型ロボットかもしれないし、ムーミン谷をさすらうスナフキンかもしれない。

「やっぱり売れる曲はリズムが大事だと思うんですよ(世界ではヒップホップ全盛ですし)」
「叙情的なメロディにこだわって欲しいんだ(演歌こそ日本人の心だから)」
「えっ、メロディそんなにいりますか?」
「いるに決まってるだろ、前向きに検討してくれ」
「あ、え、うーん、はい」

・・・

「新曲聞いたよ。サビは良いメロディだったね。ただ、何でこの曲ラップ入ってるの?」

 

みたいな会話を繰り返していたら最近イライラしているのか棘のある文章を書くようになってしまって、同僚に指摘されてしまった。疲れた、というより、うんざりした顔をしている、とも言われた。もしかしたらネットに垂れ流す文章にもその片鱗はあるかもしれない。

もし僕が独裁スイッチをもっていたら、この違和感を感じた瞬間にスイッチを押してしまうかもしれない。

アイツともずれている、ポチ。
コイツともずれている、ポチ。
まだ演歌が売れるとか狂気の沙汰でしょ、ポチ。
作曲のコツを作曲した事がない奴が書くなよ、ポチ。
もうみんな消えてしまえ、ポチ。

あ、そんな事しなくても、自分が消えればいいのか。
ポチッ。

 

 

 

 

 

配られたカードで勝負しなければならない、とのたまいながら、舌の根も乾かないうちに僕は、いらないカードは生贄に捧げてより強いカードを召喚すべき、と言う。全ての物事は曖昧だ。未だ演歌にこだわる人達の中で、僕はヒップホップが今のトレンドだと信じ続けている。果たして、生贄に捧げられるのは僕か、あなたか、はたまた、社会そのもの、なのか。