2019年は狂気の年だった

なんだか最近本当によくわからなくなるんですよね。

ほんとそれだなと(たなかさん=旧・ぼくのりりっくぼうよみ)。

 

僕は僕として僕なりに人生をよくしようと色々頑張っているような気もしなくもないのですけれど、別に人生を「よくする」必要ってなんだろう、そもそも「よくする」ってなんだろうとかよく思うのですよね。

去年はわりかし仕事がうまく行って、自分が過去関わった機能を完膚なきまでに無くすことに成功したり、頼まれてもいないことをせっせとやり続けていたら社内個人事業主みたくなったりいろいろ報われましたし多分そこそこ頑張ったのですけれど、この記事に書いた通り、最終的には運が良かっただけと思うのです。

僕は今この「資本主義ゲーム」にてダーマ神殿で「企業人」という役割を選びました。そこで僕より下手な人には、僕なりの攻略法を教えるし、不真面目なプレイヤーはゲームから抜けて欲しいと思っています(マナーですね)。しかし、最終的にはたなかさんのいうように、他人は他人で好きに生きればいいし「昭和の価値観のままアップデートをせずに生きる」も心から別にいいと思うので、好きに生きればいいという発信をする必要もないのです。

極論、みんな既に「好きに生きている」わけなのですから。

僕の好きな人には僕の見えるところで、僕の嫌いな人には僕の見えないところで適当に幸せに生きていって欲しいなと少し手を打つことはありますけれどね。

 

まあしかしそういう考えに至るともはや何をすればいいかわからなくなるので、わからなくなった僕はとりあえず、

・冬には自己啓発書を読みふけり
・春には結婚し
・夏にはテトリスに熱中したり
・秋には VTuber をやってみたり

(我ながらだいたいこの4行でまとまったな2019年)

ありおりはべりいまそかりしたわけなのですが、停滞の年2018年よりは動いてはみたものの何かが劇的に成功したかというとそうでもなく、むしろ2018年の「Nier:Automata」が2019年には「VTuberテトリス」に変わっただけではないかという思いに囚われもして。

Google に転職活動しようかなと半分冗談で言ってみたら「周りの人が転職した経験が人生においてないから不安すぎる」と母親にガチで心配されたり「テトリスに集中したいから転職は今はいいや」と半分本気で言ったら母親にテトリスが再評価されたりして、私もまたなんというか、適当を絵に描いたように生きているなあと思うのです。

後結婚もね、個人的にはそんなに違和感のない自然な選択だったんですけれど、周りの人にそれはもう「お前はロックと言いつつJ-POPな人間だと思っていたのだけれど、それはマジでロック」とか言われまして。

なんというか僕は常に「自分は天才だ」という気持ちと「自分マジでゴミ」って気持ちを両方持っているのですけれど、それはインターネットに住んでいるからだと本気で思います。結婚を決めたLINEもそれはもうリアル友人会社の同僚からは「すごい」と褒められまくり挙句「心があったかくなった、泣ける」とまで言われたのに、いざ満を辞してツイートしてみたら、60万フォロワーの美人婚活女子、しぬこさんいいねブーストをつかっても「20いいね」でした。今の時代、結構普通、なのかな。

友達とタイ旅行にいって、みんなスマホをいじりながら電車に乗っている光景を見て思いましたけれど、インターネットとGAFAは世界を本当につなげていて、その広い世界に至れば私など超!超!超!普通のプレイヤーであることを実感せざるおえないのです。ちなみに私が今年ハマったテトリスにかけた時間は

テトリス99     80:31:32
ぷよぷよテトリス 60:00:00 以上
Tetris Effect    55:23:09

驚愕の 195:54:41 なのですが、これで Youtube みたらいまだに40LINE 1分切れない自分なんてもう恥ずかしいぐらい初心者のレベルですからね。自分マジでゴミ。というか、周りが狂人(天才)すぎる。まああめみやさんとかテトリス毎日3時間配信してますからね。2ヶ月で配信中のプレイ時間すら負ける(配信外までカウントしたら……)。これが世界と繋がるってことですよ、本当に Google 余計なことをしてくれたな、と思った結果書いた小説がこれです。

 

話を戻すと、つまり自分が調子に乗ってると思ったら YouTuber をしてみれば冷静になれるよということを言っていきたいのです。しかしこれにはデメリットもあって、この「周りの狂気」と対比して「自分の普通さ」を自覚することで歯止めが効かなくなって、今年はちょっと狂気に触れすぎたように思います。

VTuber 活動も完全にインターネットでオンリーワンの領域を目指してよくわからない方向に進み自分で自分のやりたいことを見失いました。まさに「好きなことで生きていくつもりが周りの目を伺いまくってしまう」という状態ですね。周りって三人ぐらいしかいないのだけれど、インターネットで友人でなく自分を見てくれる三人ってマジで貴重なので大事にしすぎるのですよ、つい。

結果やはり2019年は「いろいろやってみたけれど特に成果がなく、そこそこいろいろ失った」年であったなあと思います。でもなんとなく2020年は地面を踏みしめていこうかと思うと別にそうでもなく、このまま流れに身をまかせるようにいろいろなことをしていくのだろうなと思うので失敗したわけでもないのだろうなとも。

相対的に「地元」で「ローカル」な「狭い世界」の意義や意味を見出す一年でもありました。インターネットに触れていると、キズナアイさんやあめみやたいようさんなど世界一ばかりが目についてしまいますが、やはり「株式会社●●品川オフィスではテトリス一位」みたいな称号や、僕の結婚を喜んでくれる友人を大事にした方が絶対に幸せだと思うし、今後はそういう「ローカルコミュニティ」への揺り戻しが起きていくような気がしています。それはわかったのです。だから世界一の技術者にはなれないけれど仕事も大事にします。

 

でもインターネットが好きなんです。幸せになれないとしても。

それがぼくのささやかなきょうき。

2019年は狂気の年だった。