KID A/RADIOHEAD(中編)

コンポに入れた瞬間、あふれ出てきた音に僕は絶句した。無味無臭で生温い温度の電子オルガンが鳴る中、切り刻まれた声が聞こえてきた。その声はばらばらになりながら、何かを訴えようとしているようだった。それにどうしようもないほど空っぽな男が無感情な歌を添えていた。
僕は、なにかものすごい間違いをおかしてしまったような、触れてはいけないものに触れてしまったような感覚のなか、CDを止める気になれなかった。ぞっとするようでいて光惚な瞬間はその一曲では終らなかった。アルバム全体が一つの世界を持っていた。最後には救いと優しさが少しだけあったけれど。


・・・最初は正直「ワケわからない曲を聞ける自分って格好いい」っていう気持ちだったかもしれない。けれども僕は毎朝電車でKID AのMDを聴くようになり(電車の中にいる人間にまるで意思がないかのように見えるのは貴重な経験だった)いつのまにか、僕はこのCDを手放せなくなっていた・・・


と、大雑把に言えばこれがKID Aにはまった過程だ。こんな体験ができるのなら・・・と、僕が洋楽にはまったきっかけでもある。


よく、KID Aの凄いところはAutechreとかAphex Twinの方法論で「ポップミュージック」を作ったところだとか言われてるけど、僕はそれには賛成できない。


まず、こんな最後に「自殺する」という救いがあるだけのアルバムのどこが「ポップミュージック」なんだ?メロディーが意外とやさしいとか音が柔らかいとか無理に指摘して、これを「ポップミュージック」と名付ける必要なんてないと思う。KID Aが万人に受けるような世の中ってなんなんだ?これは明らかに「ポップミュージック」ではないと僕は思う。なら何?といわれたら困るけど。


このアルバムの凄いところはAutechreとかAphex Twinとかが生み出した方法論の一番の生かし方を見つけたところ」だと僕は思う。僕は今までにいろいろなアルバムを聞いたけど、KID Aほど、悲しみではなくむしろそれを通り越した圧倒的な「虚無感」をうまく表現したアルバムを知らない。虚無感っていうのはようは空っぽなわけだから、悲しみよりも音に表すのは難しいと思う。それをこのアルバムからは物凄く鮮明に感じることができる。
そしてさらに、トム・ヨークが感情を抑えて歌うことで、逆にどうしても溢れでてしまう凝縮された感情が切実に感じられるというパラドックスが起こっていて、またこのアルバムの魅力を増している。(これが特に感じられるのはEverything in its right placeとIdiotequeだ。途中明らかに声のトーンが変わっている)